第7話 望んでいたもの
アルテイシアがルイーゼを連れて向かったのは、ロハーニアとトルネオ帝国の国境付近だった。二つの国の間には国境に沿って森があるが、北のロハーニア側には国境付近を一望できる「ナトリア」という名の山がある。
ナトリア山は元々ロハーニアに豊かな雪解け水を与えていたが、戦争により汚水が流れるようになった。汚れた水は感染症を蔓延させ、さらに火薬による戦いによって山の五分の一ほどの木々を焼失してしまったのである。
それでも山は再生し、紅葉が始まった今は周囲の木々は緑から赤や黄色に変化している最中であった。
ルイーゼは、アルテイシアと手を繋ぎ空を飛んだ状態で、眼下にある山の頂を眺める。するとそこには、見知った人影があった。
「え……? あれは、ダニエル……?」
「そうです」
アルテイシアは頷くと、ナトリア山の頂上へ近づき、ルイーゼと共にふわりと地に下りる。
「あの、さっきはごめんなさい。それとありがとう……?」
戸惑いながら御礼を言うと、アルテイシアは笑った。
「いいえ、こちらこそ手荒な真似をしてすみません」
「空を飛んだのはびっくりしたけど……、それよりどうしてダニエルがここに?」
ルイーゼは空を飛んだ話は早々に切り上げ、彼がここにいる理由を尋ねた。
「私の僕に連れて来てもらいました。あなたと同じように、空を飛んで」
するとアルテイシアの後ろにある木の陰から、燕尾服を着た背の高いアズールが現れ、軽くお辞儀をする。ルイーゼはそれにつられて軽く頭を下げた。
「でも……何故?」
眉を寄せて尋ねられると、アルテイシアはダニエルのほうを見る。それにつられて、ルイーゼも彼のほうを見た。ダニエルはじっとそこに佇み、眼下にみえるトルネオ帝国を眺めている。
「彼がここへ来ることを望んでいたからです」
「どういうこと?」
言っていることが分からない、と言った様子のルイーゼに、アルテイシアは柔らかな笑みを浮かべた。
「直接聞いてみたらいかがです? きっと彼なら答えてくれるはずです」
「……」
ルイーゼはアルテイシアに促され、おずおずとダニエルの傍に行く。
隣に立ち、彼の横顔を見ると泣いていた。
「ダ…ニエ……ル?」
驚きつつ恋人の名を呼ぶと、ふっと彼はこちらのほうを向く。
「ルイーゼ」
「ダニエル、どうして泣いているの? 何が悲しいの?」
彼女は彼の頬を手で包み込み、涙を指で拭ってやる。すると彼はふるふると首を横に振った。
「悲しんじゃないよ、ルイーゼ。嬉しいんだ」
「嬉しい? どうして?」
「戦争は終わったんだね」
ルイーゼは息を呑んだが、ダニエルはふわりと笑う。心から晴れ渡るような気持ちが顔に表れていた。
「よかった……。本当によかった……」
「ダニエル……」
「君も無事でよかった」
その瞬間、ルイーゼは堰を切ったように涙を流した。
「なん……で、なんで……! ダニエル……あなたは……人のことばかり!」
泣き出す恋人を見て、ダニエルはその頬をそっと両手で包み込む。
「君は、いつも僕のことばかり考えてくれるね」
「当たり前よ、愛しているもの!」
「ありがとう。とても嬉しい。でも、僕は君と同じ時間は生きられないんだよ……」
すると、ダニエルは彼女のことをゆっくりと抱きしめた。その瞬間、ルイーゼははっとする。心音がない。
「ダニエルあなたっ……!」
顔を上げると、ダニエルは寂しそうに笑い、恋人の手を取って自分の頬にくっつける。
「ルイーゼ、再び会えて良かった。僕はずっと君を愛している。そして、君が幸せになることを祈っている」
そして恋人の唇に優しく口づけをした。ルイーゼは目を見開き、そのあと委ねるように瞼を閉じる。そう長くない時間のあと、ダニエルの唇が離れると、彼は恋人の頬に触れたまま言った。
「幸せになって――……」
ダニエルはそう言うと、ふっと笑い目を瞑る。すると彼の皮膚がどんどん乾いていき、土のようにぼろぼろになった。
「待って、ダニエル、待って!」
ルイーゼの叫びも虚しく、彼は自分で立っていられず、ゆっくりと彼女にもたれかかる。ルイーゼは土になった恋人を抱きしめ、別れと悲しみのために泣くのだった。
ダニエルを形作っていた土は、ナトリア山にぶつかって吹く風が少しずつ持ち去っていく。ルイーゼは風に取られまいとしていたが、ふとその風が向かうほうを見てみると、涙が零れた。
「ダニエルはこれを見ていたの……?」
戦いによって壊れた建物たちが、修復しつつある。
戦いの痕跡が完全に消えることはないのかもしれないが、それでも人々は生活しようと必死にもがいていた。
「彼が望んでいたものは分かりましたか?」
そっと近づいてきたアルテイシアに聞かれ、ルイーゼは頷いた。
「彼は、戦った相手であるトルネオ帝国がどうなったのか知りたかったんですね……」
「ええ」
「彼らしい……」
「優しい人ですね」
「ええ。とても優しい……優しすぎる人でした」
アルテイシアは、顔を覆ってすすり泣く彼女の背を優しく撫でると「帰りましょう」と言った。
「はい」
帰りはアズールの背に乗せてもらい、ルイーゼは本来自分が住む町に帰った。
そしてアルテイシアたちは、森の家へと戻るのだった。




