第9話「月曜日の生姜焼き定食」
月曜日の朝。
俺の耳に聞こえるアラームの電子音は、先週と同じ無機質なものだった。窓の外の景色も、会社の最寄り駅に降り立った時の雑踏も、何も変わってはいない。
灰色の日々は、また始まった。
だが、俺の足取りは、先週とは少しだけ違っていた。
ほんの少しだけ、軽くなっていた。
会社のエレベーターを降り、自分の部署のフロアに入る。いつもなら、重い空気とキーボードのタイプ音にうんざりするところだ。でも、今日はなぜか、その全てが「日常」として、すんなりと受け入れられた。
自分のデスクに着く前に、俺はいつもミスが多くて俺が注意してばかりいる後輩、高橋の元へと向かった。彼は俺の姿を認めると、びくりと肩を震わせた。また何か怒られると思ったのだろう。
「高橋、ちょっといいか」
「は、はい! なんでしょうか!」
身構える彼に、俺はゆっくりと頭を下げた。
「先週、お前にきつく当たった件。悪かった。よく考えたら、俺の指示の出し方も悪かったんだ。すまん」
フロアに、一瞬だけ静寂が訪れた。
高橋は、鳩が豆鉄砲を食ったような顔で、目をぱちくりさせている。
「い、いえ! そんなこと……俺のミスですから……」
「いや、俺にも責任がある。これからは、もう少し分かりやすく説明するように気をつけるから、お前も分からないことがあったら、遠慮なく聞いてくれ」
そう言って彼の肩をぽんと叩くと、高橋はまだ戸惑いながらも、「……はい。ありがとうございます」と小さな声で言った。
周りの同僚たちが、少しだけ驚いたような、温かいような、そんな不思議な視線を俺に向けているのを感じた。職場の空気が、ほんの少しだけ、軽くなったような気がした。
昼休み。
俺は、ずっと気になっていたことを実行に移すことにした。
それは、他部署の同期に声をかけること。彼は趣味が合いそうで、いつか話してみたいとずっと思っていたが、「断られたら気まずい」というちっぽけなプライドが邪魔をして、これまで一度も行動に移せずにいた。
俺は彼のデスクへ向かい、深呼吸を一つしてから声をかけた。
「なあ、鈴木。もしよかったら、今日、昼飯一緒に行かないか?」
鈴木は、驚いたように顔を上げた。
断られるかもしれない。その覚悟はできていた。だが、彼の口から出たのは、予想外の言葉だった。
「え、相馬? もちろん! 嬉しいよ、ぜひ行こう!」
彼は、人懐っこい笑顔でそう答えてくれた。
あっけないほどの、快諾だった。
俺は、今まで何をためらっていたんだろう。
鈴木と食べた生姜焼き定食は、いつもよりずっと美味しく感じた。
仕事の愚痴や、共通の趣味である映画の話で盛り上がり、あっという間に昼休みは終わってしまった。「また行こうぜ」と約束を交わし、俺は自分のデスクに戻った。
劇的な変化は何もない。
仕事は相変わらず山積みだし、上司の小言がなくなるわけでもない。
でも、俺の心は、金曜日の夜とは比べ物にならないくらい軽くなっていた。
過去は変えられない。
でも、今の自分の、ほんの小さな行動一つで、明日の空気は少しだけ変えることができる。
未来は、変えられる。
あの羊皮紙の言葉の意味が、今ならはっきりと分かる。
俺は、パソコンのモニターに向き直った。
カタカタと、いつもより少しだけ軽快なリズムで、キーボードを叩き始めた。




