表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
路地裏の自販機が売っていたのは、失くした青春でした  作者: 久遠翠


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

10/12

第10話「売り切れランプ」

 その日の帰り道、俺は自然と、あの路地裏へと足を向けていた。

 何かを確かめたい、というわけではない。ただ、もう一度だけ、あれを見ておきたかった。


 薄暗い路地の奥には、あの自動販売機が、相変わらずぼんやりとした光を放ちながら静かに佇んでいた。まるで、俺が来るのを待っていたかのように。


 ゆっくりと、その前に立つ。

 並んでいる懐かしいジュースのラインナップは、あの夜と何も変わらない。

 俺は、視線を一番右下のスペースへと移した。


 そこは、空になっていた。

 黒いベルベットの小袋も、古びた鍵も、もうどこにもない。

 そして、白紙だったはずの商品プレートには、小さな赤いランプが、静かに灯っていた。


「うりきれ」


 たった四文字の、カタカナ。

 それを見た瞬間、俺の心の中に、ほんの少しだけあった寂しさのようなものが、すっと消えていくのを感じた。


 チャンスは、もうない。

 でも、それでいいんだ。

 あの不思議な体験は、一度きりで十分だ。


 俺は、自動販売機に向かって、誰に言うでもなく小さく呟いた。

「ありがとう」

 そして、小さく頭を下げると、踵を返して路地を後にした。


 もう、ここに来ることはないだろう。

 過去に囚われていた俺は、もういないのだから。


 路地から出た瞬間、俺はふと空を見上げた。

 いつの間にか、あれほどしつこく降り続いていた雨はすっかり上がっていた。分厚い雲の切れ間からは、大きな、まんまるい月が顔を覗かせている。


 その優しい月明かりが、雨に濡れたアスファルトを静かに照らし出していた。

 水たまりが、まるで鏡のように月を映し、世界が新しく生まれ変わったかのように、きらきらと輝いて見えた。


 俺は、その場に立ち止まり、少しだけ深く息を吸い込んだ。

 ひんやりとした夜の空気が、肺いっぱいに満たされる。その空気には、雨上がりのアスファルトの匂いと、ほんの少しだけ、あの夏の夜の匂いが混じっているような気がした。


 劇的に人生が変わったわけじゃない。

 相変わらず仕事は大変だし、面倒なこともある。

 でも、もう大丈夫だ。


 明日は今日より、もう少しだけ良い一日にできるかもしれない。

 その次の日は、もっと。

 そうやって、不器用ながらも一歩ずつ、未来を作っていけばいい。


 そんな小さな、しかし確かな希望を胸に、俺はしっかりとした足取りで、家路についた。

 月明かりが照らす道を、まっすぐに見つめながら。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ