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第8話:力 ― 不滅の膠と張り子の獅子 ― ③



黄金の庭園に、乾いた風が吹き抜ける。それは旋風となり、シュレッダーにかけられた紙の地を猛烈に巻き上げた。

その中心で、メルミの短い四肢がバネのようにしなった。


メルミの牙が、眩いばかりの黄金色に発光する。それは光の刃というより、あらゆる執着を、あらゆる「繋がり」を強制的に溶断する、純粋な意志の切っ先だった。


「フゴーッ!!フゴゴッゴ!フガ!フゴァァァーーー!!(私はライオンを殺さない……。その、紙に染み付いた『執着』という名の、怨念だけを殺す!!)」


咆哮。

次の瞬間、メルミの体が黄金の地を爆発的に蹴り上げた。

超高速の旋回。独楽のようにスピンしながら空を切り裂く肉の弾丸。その牙の一閃が、クラフトテープでミイラのように補強されたアイソの首から胴体までを、音速で駆け抜けた。


パァァンッ!!


紙が破裂するような、凄まじく乾いた音が響く。

スローモーションの中、アイソの正中線に一直線の亀裂が走った。


「なんとぉぉぉーーーーーッ!!」


アイソの絶叫が空に響く。

左右に泣き別れた段ボールの胴体からは、昨日、一昨日、あるいはもっと遠い過去の残骸である「古新聞の山」が、雪崩のようにドサドサと溢れ出した。一面に広がる、インクの匂いと黄ばんだ紙の海。それは、王を自称した男の、あまりに空虚で、あまりにゴミ溜めのような内臓の露呈だった。


だが、張り子の王は無惨に地に伏すことさえ拒んだ。

胴体から分離したアイソの「首」が、底部の竹組みから凄まじい勢いで段ボールの粉末を噴射した。


「フッ……。不慣れな機体フレームにしては、よく動いてくれた。私の素養に、このパルプの強度が追いつかなかったということか」


生首はロケットのように不格好に回転しながら、負け惜しみを空に撒き散らして飛翔する。


「ちょっと! 待って! どこ行くの!? 置いてかないでよ!!」


エプロン姿のお姉さんが、巨大なハサミを抱えたまま、泣きながらその首を追って走り去っていく。黄金の空の彼方へと消えていく、あまりにシュールで無惨な背中。

その飛翔の拍子に、アイソの首の付け根から、ポロリと一滴の輝きがこぼれ落ちた。


「……あ、何か落とした!」


ゆりえは反射的に地を蹴り、宙を舞うそれを空中でひったくるようにキャッチした。 手のひらに収まったのは、琥珀色に透き通った古い接着剤の結晶。『不滅のにかわ』だ。指先にまとわりつく生臭い執着の感触。


その時、ゆりえの足元でアイソのたてがみだった千代紙の残骸が、風に煽られて舞い上がった。 ゆりえはそれを力任せに掴み取り、空の彼方へ消えていくアイソの残像と、崩れゆく紙の庭園に向かって、喉が張り裂けんばかりに吠えた。


「見てなさい! あたしたちは、あたしたちのやり方で、この不条理をぶち抜いてやる! 勝手に決めた掟なんて、誰が認めるかってんだぁぁーーーっ!!」


その咆哮は、焼き尽くされた絶望を、そして突きつけられた「虚飾の正論」を、まとめて笑い飛ばす野生の爆発だった。 ボロボロの紙の鬣を高く掲げたゆりえの姿は、泥にまみれながらも世界のことわりに唾を吐く、紛れもない「勝者」のそれだった。


「行っけぇぇーーーっ!!」


ゆりえが叫びながら、がま口の口金を力いっぱい弾く。 小瓶が闇に呑み込まれると同時に、あの音が鳴り響いた。


「パチンッ!!」


音を立てて、世界が砂のようにサラサラと崩落し始める。 黄金の芝生も、千代紙の木々も、ただのパルプの塵となって降り注ぎ、二人の視界は、次の階梯へと向かう「白い余白」へと包み込まれていった。



どこまでも続く、純白の虚無。

足元には、崩壊した庭園の残骸である「紙の雪」が静かに降り積もっている。


ゆりえは雪の中に座り込み、自分の手をじっと見つめていた。指先にはまだ、さっきの膠のベタつきと、喉を焼くような怒りの余韻が残っている。


「……何か、疲れたね、メルミ」


ポツリと、ゆりえがこぼした。

思考が、アイソの断面から溢れ出したあの古新聞の山に引き摺られていた。


「大人は、首がもげてもテープを巻いてまで自分を飾り立てる。……癪だわ。あたしも、あの箱と似たようなものかも。あたしの中身だって、ただの空洞だった。一番大事な何かなんて、入っていなかった……」


自嘲気味に呟くゆりえの瞳は、一時的に光を失っていた。自分が誰かの書いた記事の寄せ集めのような、空っぽな存在に思えて仕方がなかったのだ。


隣で、メルミが口の端に溜まった泡を前足で乱暴に拭った。彼女は、虚空の一点を見つめたまま、鼻を短く鳴らした。


「空洞? 素晴らしいじゃない。昨日の中身(古新聞)が詰まったアイソより、よっぽど風通しがいいわよ」


「……えっ?」


予想外の言葉に、ゆりえが顔を上げる。メルミは皮肉屋の笑みを浮かべ、さらに畳み掛けた。


「あんたのその激しい怒りが中でどれだけ燃え盛っても、空っぽなら火災報知器も鳴らないでしょうしね。少なくとも、あんたの絶叫で私の耳が難聴にならなかったことだけは、神に感謝するわ」


「……メルミ。あんた、あたしを馬鹿にしてるでしょ」


「事実を言ったまでよ。でもね……。その空っぽな喉を震わせて、あんたはあれだけ無様に吠えた。その『熱』だけは、アイソのような紙細工には一生かかっても出せない、あんただけのオリジナルだったのよ」


メルミはそれ以上語らず、重たそうに目を閉じた。

皮肉にまみれた、けれど偽りのない肯定。

中身が空っぽだろうが、紙クズだろうが。今、この余白の地で心臓を叩いているこの「熱」と、前へ進もうとする意志だけは、誰にも奪えない自分の実存。


ゆりえは、自分の胸の「空洞」にある、消えない小さな火を抱きしめるようにして、深く息を吐いた。


「……行こう、メルミ。あたしたちのやり方で、文句を言わせないくらいに走ってやるんだから!」


砂埃が舞い、二人の影が白い余白の先へと伸びていく。

その足取りには、泥臭い疾走感と、まだ見ぬ自分への、未知の可能性が宿っていた。



(第8話:完)



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