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第8話:力 ― 不滅の膠と張り子の獅子 ― ②



メルミの強烈な体当たりを受け、アイソの段ボール装甲は見るも無惨な「アコーディオン状態」にひしゃげていた。内部に詰められた古新聞のクズが、裂け目から内臓のように溢れ出し、黄金の紙芝生の上に散らばる。


あまりに無惨。あまりに安っぽい。

だが、張り子の王は倒れなかった。


ギギギ、ギギッ……。


澱粉糊が無理やり引き剥がされる、耳の奥を逆撫でするような不快な音が響く。ひしゃげた脇腹を、まるで目に見えない糸で引き上げられるように、アイソは自力で押し戻した。そして、剥がれかけた千代紙のたてがみを風に踊らせ、あえて左斜め45度の――それが最もスタイリッシュに見えると信じているかのような角度で、ピタリと静止した。


首から下げた「がおー」の札が、風もないのに劇的に揺れる。


「……ニコ、やるじゃない」


アイソは、マジックで太く描かれた眉を悲しげに歪めて見せた。その平面的な劇画顔が、ひしゃげた体の歪みによって、皮肉にも深みのある表情を生み出している。


「だが、物質的な破壊など、この『パルプの平穏』においては現象のさざ波に過ぎん。形を保とうとする自尊心プライドこそが、魂を繋ぎ止める不滅のにかわなのだということが、何故わからんのだ」


アイソの描かれた瞳が、ゆりえの手元を冷たく射抜く。


「人類は常に、未練の重力に魂を引かれ、虚飾の執着を積み上げてきた。貴様のがま口も、エゴのパルプを重ねただけの紙のフォートレス……所詮は、虚妄の産物だ。その未熟な熱が、この美しく平坦な静寂を汚す。認めがたいな。」


ゆりえの頭の中で、何かが「プチン」と弾けた。

焼き尽くされた家具、あの重厚な木の匂い。母との思い出を象徴するソファーが消えた傷跡に、アイソの「紙の理屈」が容赦なく塩を塗り込む。


指先に食い込む赤い糸が、トクトクトクと激しい拍動を伝えてくる。メルミの野生の熱が、ゆりえの理性を焼き切っていく。


「……出てこなければ、やられなかったのにッ!! あんたが、そうやって言葉だけで人間を裁いた気になって、あたしたちの必死さを嘲笑うから!!」


ゆりえの喉が、引き裂かれるような音を立てた。


「あんたが、そんな紙の理屈を並べ立てて、あたしとメルミを馬鹿にするから!! あたしたちが必死に掴んでるものを、安っぽいなんて……あんたに言われる筋合い、ないんだよ!!」


ゆりえはアイソに向かって一歩踏み出し、そのまま視線を隣の「お姉さん」へ転じさせた。お姉さんは巨大なハサミを抱えたまま、「ああ、私の接着が……私のこだわりの糊付けが」と、半泣きでアイソの凹みを撫で回している。


「ちょっと、あんた!」


「ひっ!? な、なによ、怖い顔して……!」


「そうやって自分を美しく飾り立て、本質から目を背ける大人……あたしが、修正してやるッ!!」


ゆりえはお姉さんのエプロンの襟首を掴み、力任せに前後に揺さぶった。少女の暴力的なまでのエネルギーが、紙の世界の住人を翻弄する。


「やめて! ハサミが、ハサミが危ないでしょ! 私、ただ完璧な作品を作りたいだけなのに!」


「そんなの、知らないよ!」


ゆりえの咆哮に応え、メルミが再び黄金の地を蹴った。 今度は体当たりではない。メルミは低く鋭い跳躍で肉薄すると、アイソの――古新聞を芯にした無骨な「前足」へとその強靭な顎で食らいついた。


バリィッ!!


「フガガガガガッ!!」


メルミは獲物を仕留める猛獣の眼差しで、食らいついた前足を狂ったように左右へ振り回した。ブンブンと、凄まじい遠心力でアイソの巨体が揺れる。 フレンチブルドッグ特有の首の筋肉が唸りを上げ、アイソの前足の付け根が悲鳴を上げた。


バリバリバリッ、ボキィッ!!


湿った糊の層が裂け、骨格である竹ひごがへし折れる、派手で安っぽい音が響き渡る。次の瞬間、フッと抵抗が消えた。 メルミの勢いに耐えきれず、アイソの右前足が根元から無惨にねじ切られたのだ。


「フゴッ!?」


勢い余って、もげた前足を咥えたまま数メートル吹っ飛ぶメルミ。支えを失ったアイソの巨体が、ズズンと音を立てて紙の芝生に倒れ込む。中身の古新聞が傷口からドサドサと溢れ出した。


客観的に見れば、それは「お気に入りのおもちゃを破壊し尽くした犬」の滑稽な光景だ。 だが、蹂躙され、片腕を失って地に伏した張り子の獅子は、不敵な笑みを消さなかった。


「なかなかやる!だが、私の段ボールに刻まれたこの凹みは、諸君らへの『賞賛』という名の、勲章サインに過ぎんのだよ」


アイソの声には、もはや執念を超えた狂気が宿っていた。首の竹組みが折れ、頭部が不自然に横へぶらんと垂れ下がる。首の皮一枚で繋がった状態。その無惨な姿で、アイソは逆さまになった視界からゆりえを見据えた。


「まだだ! まだ終わらんよ! 首の一本や二本、クラフトテープで補強すれば、理想の形を維持することなど、容易いというものだ!!」


「いい加減にしてよッ!! そんな不格好に縛り付けた『威厳カタチ』を、いつまで『力』だなんて言い張るつもりなの!?自分の弱さも、情けなさも認められないで、ただガムテープで自分を繋ぎ止めているだけじゃないかッ!!」


ゆりえは、お姉さんの手からハサミを奪い取らんばかりの勢いで叫んだ。

お姉さんは震える手で、ポケットから茶色のクラフトテープを取り出した。


ベリッ、ベリベリッ。


静かな庭園に、粘着剤が剥がれる醜悪な音が響き渡る。お姉さんは半狂乱で、アイソの首の裂け目にテープを何重にも巻き付け、無理やり固定し始めた。


「直るわ! 私の接着が……この美学こそが命なの! 形を保てば、心もそこに留まる。それが私という造り手の、絶対の責任なのよ!!」


首をテープでぐるぐる巻きにされ、異様な太さになったライオン。それでもなお、その劇画調の瞳は「覚醒」を説くように輝いている。


ゆりえは、その嚙み合わない光景に言いようのない恐怖を覚えた。

どんなに傷ついても、どんなに形が崩れても、「自分はこうだ」と言い張り、テープで自分を繋ぎ止めて立ち上がる狂気。それが、このアルカナが示す「力」の裏の顔。


メルミが低い姿勢で唸り声を上げる。彼女の黄金の瞳には、もはや遊びの色はなかった。

この張りぼての「怨念」を、その根源から断ち切るための、致命的な一撃を狙っている。


「……メルミ。あんなの、あたしたちのやり方で、黙らせてやろう」


ゆりえの言葉に、赤い糸が熱く応えた。



(つづく)


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