5-1
「昨夜に届いた王家からの書状とほとんど同じ内容だな」
オブシウスは、傍らに控えていた文官シトレンに、先ほどまで読んでいた手紙を渡す。受け取ったシトレンは、素早く内容を確認すると肩をすくめてみせた。
彼は金色の巻き毛に童顔という出で立ちだが、オブシウスの片腕ともいえる副官だ。優秀で、留守の間を任せるに足る人物だった。
「困りましたね、神子様にここで一か月ほど待機してもらえとは」
「王都の受け入れ態勢が整っていない以上、仕方ないな」
シトレンは、意味ありげな笑みで頷く。
書状の内容が表向きの理由にすぎないことは、どうやら伝わっているらしい。
会食中に緊急で届いた書状には、神子をここに留め監視するようにと書かれていた。
国境からここまでの出来事は、逐一報告書を作成してシトレンと王都に送っていた。当然、魔物襲撃事件も詳細に知らせている。
根拠のない噂である偽物の疑いは、記してはいない。だが、同じような懸念を抱いたのだろう。それでこの指示だ。
「まぁ、王都の方は雪もまだ残っていますしね。安全のためにもお待ち頂き、その間はじっくり見守りましょう」
「ああ、頼む」
後は、シトレンが上手く神子に伝えるだろう。
「一応、今調べられる範囲のことをまとめました。残念ながら、碌な情報はありませんでしたけど。聖国に関しては弱いですねー、人を入れますか?」
その問いには首を振る。この状況で安易な刺激は避けたい。
オブシウスは、差し出された薄い報告書を受け取る。パラパラと流し読みすれば、確かに目新しい情報はなさそうだ。
「わかる範囲ではウィステリアという神子は確認できませんでした。とは言え、全ての神子を把握できたわけではなく、各国に派遣実績のある数名だけですが」
「単に、国を出るのが初めてなだけか。それとも……」
「何にせよ面白くはないですよねー」
肯定も否定もしない。
どのみち、今は不確かなことしかわからないのが事実だ。余計な先入観は不要だ。
オブシウスの執務室から出たシトレンは、その足で別館へと向かった。
そこで目にしたのは、下働きの少女と楽しそうに鍋を洗うウィステリアの姿だった。
「これだけ洗えば、お茶も飲めるしスープを温めることもできるね」
「いいですね! 本館からだとどうしても冷めちゃいますから、よかったです!」
「ありがとう。これが終わったらお茶にしましょうか?――あら?」
ウィステリアが振り返り、厨房の入り口から様子を探っていたシトレンに気が付く。のぞき見していたバツの悪さを隠すように、シトレンは深々と頭を下げた。
「申し訳ありません! 玄関で何度かお声がけしたのですが、返事がなくて……。何かあっては困ると思い、失礼ながら入らせていただきました!」
「こちらこそごめんなさい。賑やかにしていて、気が付かなかったわ」
そう言ってウィステリアが、シトレンへと近づく。
大きな木綿のエプロンで手を拭く姿は、とても神子には見えない。不審に思われない程度に注意深く相手を伺いながら、ここから本題を切り出そうかと逡巡する。
その上で、愛嬌があると評判の人懐っこい笑みを浮かべた。
「それで、私に御用でしょうか」
「はい、我が主より、しばしこちらでごゆっくりお過ごしいただくよう言伝を承りました」
「そうですか。では、承知したの旨をお伝えください」
あっさりと了承の返事をされて、シトレンは面を食らった。
スピネルによって別館に押し込まれ、碌な使用人もつけられず、自分で雑用までしなければならなくなっている。抗議や嫌味をぶつけられることも覚悟していた。
ましてや理由も問わないなんて訝しく思っていると、「ところで」とウィステリアが言葉を続ける。シトレンは、そら来たことかと身構える。
「外出は控えた方がよろしいでしょうか?」
「どちらに御用でしょうか?」
「この子と少し町を見に行きたくて」
「……では、護衛を付けます。日暮れまでにお戻りを」
予想外の言葉に、一瞬意図を測りかねた。
どこかと秘密裏に連絡を取るつもりか、それとも何かを探るつもりなのか。何にせよ、監視は念入りに行う予定だ。
ウィステリアは、護衛の件も特に気にも留めることなく受け入れる。
あまりにも都合よく動く相手に、言い知れぬ違和感が残った。別館を出る最後の一瞬まで、シトレンがウィステリアから注意をそらすことはなかった。
午後、ウィステリアたちはさっそく町へと繰り出していた。
コニーの案内で出店が並ぶ大通りを歩く。鮮やかな布、香辛料の匂い、見たことのない形の器。目に映る全てが、異国の息づかいをしていた。
そんな心躍る光景を見ながらも、頭の中にあるのは先ほどのやり取りだった。
突然やって来た、オブシウスの使いを名乗る文官。
エプロンを付けて食器やら鍋やらを洗うウィステリアに目を丸くしていた。どんどん神聖な神子としての株が落ちている気がする。
反省するべきかと考えたところで、ウィステリアはいやと思いなおす。もともと守るべき矜持などない。彼らにどう思われようと関係はない。
それよりも気になるのは、彼の言った言葉だ。
この町に滞在する。――何をそんな当たり前のことを。
神木の効果を十全に発揮したいのであれば、国の真ん中に据えるのがよい。
そして、アルセリアはちょうど宵の国の中央部分に位置している。
もし、王が自身の権力の道具として神木を欲しているのであれば、王都に植えることになるだろう。でも、今まで耳にした印象では、女王は真に民を思って求めている。
であるならば、アルセリアで過ごすのは当然のこと。それなのに、改めてそんなことを言うなんてどうしてだろうか。
はっとウィステリアは気が付いた。
神子を招いた以上、一度は王都に行き、女王陛下と謁見し、歓迎の宴か晩餐を受ける。そういう流れだったのかもしれない。
晩餐、というところで、昨日の出来事が思い起こされる。
美味しかったが、せっかくのデザートは全く味がしなかった。
できることならば、そんな面倒事はごめんこうむりたい。
やはり、一刻も早く、為すべきことを為そう。ウィステリアはそう決意した。
歩き疲れた頃に、噴水広場で一休みをする。
「次はどちらに向かいますか? 私は詳しくないですけど、お嬢様がよく行くお店が並ぶ通りなんかもあります!」
コニーは疲れた様子も見せず、元気よくしゃべる。底抜けに明るい彼女がいると、気持ちがくさくさしないで済む。ウィステリアは有難く思いながら、少し悩むそぶりを見せた。
神木の植樹の準備を進めるのであれば、教会に行く必要がある。笑いかけながら、コニーに提案する。
「それもいいけれど、この町の教会に案内してもらえない?」
「そうですよね! 神子様ですものね。こちらです!」
中心部の喧騒から少し外れたところにある教会は、鐘楼の付いた中々見事な建物であった。孤児院が併設されているようで、隣の建物からは子どもの楽し気な笑い声が響いている。
静けさに包まれた教会の中に足を踏み入れると、祭壇の奥で光を浴びて佇む神像が目に留まった。
どこか懐かしさすら感じるその姿に、珍しさを覚える。
神々が人の前に姿を現さなくなって幾星霜。仕方のないこととはいえ、今では遠い存在の神よりも、そこに在る世界樹を祀ることの方が当たり前になった。
未だ古来の信仰を守り続けている様子を感慨深く眺めていると、後ろから声がかけられた。
「おや、コニー。帰ってきていたのかい?」
振り返れば、神官服に身を包んだ年配の男性が立っていた。目を細めて、コニーを見ている。
「先生! お久しぶりです。でも、帰ってきたんじゃなくて、今日はお客様の案内をしていたんです!」
「そうなのかい?」
コニーが胸を張って答えると、先生と呼ばれたその人はウィステリアへと視線を移す。そして、流れるように最上級の礼をとる。
「これはこれは、神子様をお迎えできるとは望外の喜びでございます」
今は街歩き用に、簡素なワンピースを着ている。目に見える形で教会関係者とわかるものは身に着けていない。
会ったことがあるだろうかと相手の顔を見ても、覚えがあるようには思えなかった。
「私はこの教会を任されております、スパロウと申します。お見知りおきいただければ、恐悦至極に存じます」
「……神子ウィステリアです。こちらこそよろしくお願いいたします。もしかして、本国から連絡が来ていましたか?」
「ははは、そうではありませんよ。ですが、事情は少々伺っております。何かお手伝いできることはございましょうか?」
そういうと、彼は人の良さそうな笑みを浮かべた。




