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昼過ぎ、城壁に囲まれた町が遠くに見えはじめた。
近づいていくにつれ、商人たちの列、人々の行き交う声、そして微かな潮風の香りが届いてくる。
宵の国の玄関口であり、物流の中核を担う交易都市アルセリア。
それが一行の目的地だった。
門をくぐると、そこから広がる町並みは見事なものだった。
馬車の車輪が石畳を軽快に叩き、道の端には素朴なレンガ造りの建物が並ぶ。雪の多い土地柄ゆえか、とんがり帽子のような屋根には、帽子の飾りのような煙突がちょこんと乗っている。
聖国とは全く異なる景色に、ウィステリアは思わず目を奪われた。座席に腰掛けながらも、視線はいつまでも窓の外へと注がれていた。
一行は大通りを進み、最終的に重厚な門構えの屋敷へと入っていく。
ウィステリアは馬車から降りると、そのまま応接室に通された。用意されたお茶と軽食には目もくれず、立ち上がって大きな窓へ向かった。
町全体が港へ向かってゆったりとした傾斜になっていて、高い位置にあるこの館からは町が一望できた。
ウィステリアは、じっとその光景を眺め続けていた。
夕刻。
正装に着替えると、ウィステリアは食堂へと通される。
そこには、オブシウスの他に淡い赤髪を二つに結った少女が立っていた。
13歳ほどだろうか。
幼さの残る顔立ちとは対照的に、大人びたデザインのドレスを身に纏っている。首から上と下がちぐはぐで、無理に背伸びしている印象を受けた。
口元には淑女らしい微笑が浮かんでいるが、その瞳には品定めするような無遠慮な光が宿っていた。
同じく旅の埃を落とし、着替えたオブシウスが口を開く。
「改めて、領主代理オブシウス・ディ=カーネリアンと申します。領主不在の不調法をお詫び申し上げます」
正式な名乗りを受けて納得する。
洗練された所作も、人を従えることに慣れた様子も、一介の騎士にはやや過ぎたもの。大都市をまとめる貴族の出であれば腑に落ちる。
「お気になさらないでください。旅路がだいぶ早まりましたからね」
「恐れ入ります。――そしてこちらが、義妹スピネルです」
紹介されたスピネルは、芝居がかったような仕草で、オブシウスの腕へそっと手を伸ばす。
意味ありげな視線をウィステリアに向けて、その唇に弧を浮かべて言う。
「やだわ兄さま、義妹なんて。家族って紹介してくれればいいのに。――スピネル・ディ=カーネリアンです。お見知りおきください」
「……神子ウィステリアです。お世話になります」
どう反応するのが正解か。悩んだ結果、ウィステリアは見なかったことにした。穏やかに礼を返すと、スピネルは一瞬鼻白む。
気を取り直したスピネルが、目を細めて口を開く。
「まぁ、神子様。ようやくお目にかかれましたわ。兄さまからはお話を伺っております。道中、“ずいぶん大変だった”そうですわね?」
「お気遣いありがとうございます。皆さまのおかげで、こうして全員無事に到着できました」
甲高い、嘲笑を含んだスピネルの声には、やわらかい毒が混じっていた。
ウィステリアは、淡々と受け流す。
そんな2人をオブシウスは手で制した。
「晩餐を始めよう」
食事は和やかに進んだ。
瑞々しい野菜、新鮮な魚介のスープ、柔らかな子牛のロースト。交易都市の名の通り、豊富な食材を丁寧に調理した、もてなしの心を感じる料理の数々に舌鼓を打つ。
デザートが運ばれてくる頃に、文官らしき服装の青年が入室してきた。そして、オブシウスに何かを耳打ちすると、彼の眉間にしわが寄った。
「申し訳ないが、至急の用が生じたようです。館のことはスピネルに任せているので、何かあれば彼女に申しつけください」
そういうと、オブシウスは足早に退室していった。
残されたのは、ウィステリアとスピネルの二人だけ。
「聖職者や神子様は、清貧を尊び静謐を好むと伺っておりますわ」
「……」
「ですので、本館の部屋は少々落ち着かないのではないかと思いまして、特別に別館をご用意いたしました」
食後のお茶の準備をしていた給仕の女たちの手が一瞬止まった。
意味ありげな笑みを浮かべるスピネルに、ウィステリアはデザートを一口運んでから答える。
「お心遣いありがとうございます。――ええ、本当に助かります」
その返答に、スピネルは目を見開いた。
「非常に美味しい食事に楽しい時間、きめ細かなもてなしに感謝申し上げます。不躾なことではございますが、荷ほどきもありますのでお先に失礼させていただきたく存じます」
「……構いませんわ」
ウィステリアは最後の一口を飲み込むと、泰然と礼を述べて立ち上がった。その様子を睨めつけるスピネルの目が、毛を逆立てて怒る猫のようだった。
案内された別館は、質素ながらも造りのしっかりとした建物だった。
恐らく、本館に宿泊する客人の従者たちが滞在するために作られたのであろう。生活に必要な一通りの設備は揃っているようだ。
ウィステリアが中の様子を確認していると、背後からパタパタと小走りに近づく音がした。
振り返ると、ぶかぶかのメイド服を着た10歳を越えたほどの少女がいた。手には掃除道具を持ち、白いエプロンは薄汚れていた。
少女は、切らした息を整えると勢いよく頭を下げた。その明るい声が、くさくさした気持ちを押し流してくれた。
「申し訳ございません! お出迎えもせず、まだ掃除も終わってなくて。それで、えっと……」
「大丈夫よ、私一人では全部の部屋なんて使えないもの。必要な場所だけできてれば十分だわ」
安心させるように、ウィステリアは腰を落として微笑みかける。
「私は、ウィステリア。お世話になります。――よかったら、お名前を教えてもらえる?」
「あっ、すみません! 私は、コニーです。よろしくお願いいたします!」
「よろしくね、コニー。よかったら、荷解きを手伝ってくれる?」
「はい! お荷物は二階の寝室に運んであります」
元気よく返事をするコニーは、可愛らしい。よく働きそうな、素直な子だった。
しかしながら、客人の世話を任せられる子ではないのは明らかだった。
意図的なことだろう。だが、ウィステリアにとっては有難い。むしろ、優秀な侍女に就かれた方が、よっぽど窮屈な思いをすることとなっただろう。
こっちこっちと軽快な足取りのコニーに、思わず微笑みがこぼれた。後に続いてウィステリアはゆったりと二階へと上がっていった。
小さな明かりが、静かな部屋をぼんやりと照らしていた。
ほとんどの部屋の灯が消えた後も、スピネルは眠れずにいた。先ほどの食堂での光景が何度も脳裏に浮かぶ。
ウィステリア。
聖国から来た、神の代理人とも称される神子であるらしいが、とてもそのようには見えない。
くすんだ銀髪はみすぼらしく、顔立ちも地味で、こちらを歯牙にもかけない態度がひどく忌々しい。
先ほども、任されたのをいいことに下の者が使う館を宛がった。
別に悪いことじゃない。道中のオブシウスからの報告には、ウィステリアに疑念がある旨が記されていたと聞く。
だから、余計な手出しをされないように離れた場所に押し込んだ。その上で、侍女ではなく、入ったばかりの下働きを側に置かせた。
これで何一つ満足にできないはずだ。
そのことを伝えれば、怒り出すなり抗議するなりすると思った。澄ました顔をあかして、化けの皮をはがしてあげるつもりだったのに。
しかし、彼女はすんなりと受け入れた。蔑みを感じていないのではなく、スピネルを相手にしていない。
スピネルの胸中に、理解できない苛立ちが芽生える。
文武に優れ、誰よりも優しく、いつだって正しい。その背中は、幼い頃から私の憧れだった。
幼いころ、私に付き合って遊んでくれた日々を思い出す。まだ、あの楽しい時間がずっと続くと信じていた。
今も昔も、オブシウスは何一つ変わらない。いつだって結果を出して、皆からも頼りにされる、自慢の人。
その隣は、誰にも渡したくない。
オブシウスにとってスピネルは、守るべき妹としか見られてなくても。




