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流血表現があります。苦手な方はご注意ください。


 旅路は順調そのものだった。

 天気も良好で、小気味良く大地を蹴る蹄の音が心地よい。



 休憩の折、ウィステリアが馬車を降りると、兵たちの顔には安堵の色があった。中には笑い声をあげ、雑談に興じている者もいる。

 座りっぱなしで強張る体を、彼女はこっそりと伸ばす。周囲に耳を傾ければ、楽しげな声が耳に届いた。


「珍しいな、全然魔物がいない」

「行きの時には、あんなに出たのにな」

「全くだよ、遅れそうになってだいぶ急かされたよな」

「はは、ほんとにな――あっ」


 不自然に途切れた会話に視線を向けると、オブシウスがこちらへ歩いてくるところだった。

 花を咲かせていた雑談は、途端にしぼむ。兵たちはそそくさと装備の点検や馬の世話に戻っていく。



 その様子に思わず笑みをこぼせば、オブシウスの眉間のしわが深まった。


「……神子殿。離れないよう、お願いいたします」

「ええ、承知しております」


 努めて穏やかに頷いた。

 正直に言えば、彼が近づくとどうしても身構えてしまうので放っておいてほしい。職務上、それも難しいことはわかっているが。


 返ってきたのは、ため息まじりの声。


「今晩は野営となります。不便をおかけしますが、ご容赦ください」


 それだけ告げて去っていく背中に、今度はこちらがため息をつきたくなる。

 会話を聞かれていたのか、それとも様子を伺っていたのか。ちらりと向けられる視線が、余計に落ち着かない気持ちにさせる。

 結局、ウィステリアは早々に馬車の中に戻ることにした。




「ご報告します! 前方の街道で馬車が魔物に襲われています!」


 穏やかに進んでいたところに、鋭い声が飛び込んできた。

 一気に空気がピリリと張り詰めた。


「けが人多数!」


 その言葉に、剣の柄を掴むオブシウスの手に力が入る。瞬き一つすると、すぐさま冷静に指示を飛ばした。

 そして、自身は歩調を落としてウィステリアのいる馬車に並ぶ。


「神子殿、聞こえたかと思いますが……」

「どうぞ行ってください。私のことはお気になさらず」

「感謝します」



 周囲には一定数の護衛だけが残り、馬車は速度を落として進む。

 やがて剣戟の音、獣の唸り声、怒号が入り混じって響く。騒ぎから少し離れたところで、馬車は止まる。


 ほどなくして騒々しさはおさまり、風に乗って鉄の匂いが漂ってくる。

 怒号は消え、代わりに響くのは負傷者のうめきと、鎧を鳴らしながら駆け寄る音だった。


 突然、ウィステリアの馬車の扉が開き、年若い兵が飛び込んできた。


「神子様! けが人が多数……っ、癒しをお願いします!」


 そのまま腕を引かれ、ウィステリアは凄惨な現場に足を踏み入れる。



 血を流してうずくまる人、倒れたまま痙攣する人。大地に広がる血が、陽の光を鈍く跳ね返していた。

 兵士たちのけがは浅いが、民間人らしき人々は重傷を負っていた。

 遠くでは、魔物の死骸を重ねて焼こうとしていた。


 鼻をつく鉄の匂いと、低く途切れるうめき声が、あちこちから漂ってくる。

 ウィステリアは初めて目にする凄惨な光景に、込み上げそうになる何かを必死に飲み込んだ。

 引かれるままに足を運んでいたが、止まってしまえば、ただ立ちすくむしかできなかった。


 オブシウスは、そこに現れたウィステリアに目を見張る。

 そして、彼女を連れてきた少年を怒鳴る。


「何をしている!?」


 その声は怒号というより、焦りを押し殺した低い響きだった。


「神子の無事を確認しろとは言ったが、ここまで連れて来いとは命じていない!」

「重傷者が多すぎます! 隊の治癒術者だけでは足りません!」

「……だとしても、その判断を下すのはお前ではない!」


 少年を下がらせると、オブシウスは短く息を吐いた。

 神子に余計なことをさせるべきではないと分かっている。それでも――目の前で命が消えかけている。

 背を向けることなど、できなかった。



 オブシウスが、ウィステリアの前で片膝をついた。


 ウィステリアは、彼が何を言わんとするのかわかってしまった。

 体から血の気が抜けるような感覚がした。地面を踏みしめる足の感覚もあいまいで、真っすぐに立っているか不安になりそうなほどだった。

 どうか言わないで、やめて。お願いだから、そこで止まって。私は――癒せないのではない。

 癒してはいけないのだ。

 ウィステリアの願いもむなしく、彼は言葉を発した。



「神子殿、ご無礼をご容赦いただきたい。――そして、何卒、彼らに癒しを」


 ウィステリアに注目が集まる。視線というのは、こうも痛いものなのかと縮こまる心が悲鳴を上げた。

 沈黙。

 兵たちの期待と、オブシウスの探るようなまなざしが怖い。


「……わかりました」


 唇をかみしめる。握りしめた手のひらに爪が食い込み、痛みを訴えている。

 遠くなりそうな意識を、微かな痛みと申し訳程度の矜持が繋ぎとめる。

 悩んだ時間は、動けなかった時間はどれほどだったのだろうか。



 竦む思いを振り払うように、一歩踏み出した。

 血で湿った土を踏んだ瞬間、靴底がぐしゃりと沈んだ。その冷たさが足の裏から膝へ、そして喉元まで一気に駆け上がる。

 立ち止まってしまえば、もう動けなくなりそうで、勢いのままに進む。


 最も手傷の深い者の側に膝をつく。

 裂けた肉の隙間からは、赤よりも白いものが覗いていた。元の色がわからないほど衣服は赤く染まり、顔面は蒼白で呼吸は浅く早い。

 見るからに瀕死の状態だった。


 ウィステリアは腰の鞄から小瓶を取り出し、中の液体を傷口に直接振りかける。


 瞬間、背後から強く腕をねじり上げられた。

「何をかけた!?」

 オブシウスの瞳が鋭く光った。


「聖水入りの回復薬です」


 ウィステリアは静かに答え、視線で効果を見るよう促す。

 そこには、傷一つない男が横たわっていた。裂けた服と血の跡だけが、先ほどの惨状を物語る。

 誰もが息をすることを忘れていた。オブシウスさえもその目を見開き、食い入るように見入る。


「失った血はすぐには戻りません。安静にして、精のつくものを食べさせてください」


 介抱していた者にそれだけ告げると、掴まれた腕を振り払い、次の重傷者のもとへ向かう。


 足を投げ出し、木箱にもたれかかった男。

 意識はあるものの、腕にある大きく縦に裂けるような傷から血が止めどなく流れている。他にも無数の傷が全身にある。


「薬です。飲んでください」


 いきなり小瓶を差し出され、男は反射的に口を固く閉じた。恐れの色がある。

 ウィステリアは、安心させるように微笑みを浮かべる。

 それは引きつり、ぎこちないものだったかもしれないが、少しは効果があったようだ。彼は困惑しながらも口を開いてくれた。


 ふるえる指先で、そっとその唇に小瓶を傾ける。

 腕の傷も足の傷もふさがっていくのを見届け、次の患者へと歩みを進めた。

 片手で鞄の中の薬の残量を数えながら、けが人の数を確認する。軽傷者は治癒術師に任せて、中程度のけがには一瓶の半分を。それなら足りるはずだと、冷静な部分が告げる。

 

 ただ目の前のことに必死で、その背にそそぐ厳しい視線には気付かなかった。


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