幕間 準備
11と12の間のお話になります。
その日は朝から目が回るほど忙しかった。
しかし、その忙しさがアデルの気を紛らわせてくれていた。
昨夜、ウィステリアとスピネルの姿が見えず、屋敷の中には不穏な雰囲気が漂っていた。とはいえ、お客様にそのようなところを見せるわけにはいかない。皆が不安を抱えながらも、いつも通りに振る舞う。
そして、スピネルが帰ってきたことで、アデルは胸をなでおろした。
「ああ、スピネルお嬢様。ご無事でよかった……!」
駆け寄ってその手を取ると、スピネルの身体は冷え切り、顔は真っ青だった。湯の用意をするように指示を出し、けがはないかと目を光らせた。
服は破れ、ところどころに血がついているのに、スピネルの身体にはかすり傷一つなかった。
安堵とともに、強烈な違和感がアデルの胸をざわめかせる。
そこへ、スピネルの父であり領主のオニキスがやって来た。
オニキスは一度強くスピネルを抱きしめた。名残惜しそうに離れると、オニキスは厳格な領主の顔で、スピネルに沙汰があるまで部屋から出ないようにと命じた。
アデルは思わず胸を抑えた。
生まれた時から見てきたスピネルのことを思うと、深い後悔の念がわきおこる。亡くなられた奥様にも、申し訳が立たない。
それなのにアデルは、一人去っていくスピネルの背を眺めることしかできなかった。
夜が明けてからは、さらに慌ただしかった。
深い傷を負ったウィステリアが戻り、その治療は夜半まで続いた。神官と医師がそれぞれ治療したが、完治はしていないらしい。
にもかかわらず、明日の儀式は予定通りに行われるという。
何の事情を問うことはしなかった。
自分にできる最大限のことをする、それが彼女なりの誠意だった。
今日の儀式は、真昼間に行われるため、準備の時間は限られている。
ウィステリアの負傷により、準備の手順にも変更がある。何一つとして失敗することはできない。
アデルが先頭に立ち、皆が一丸となって取り組む。
「大変です! 衣装が、衣装が……」
そこに飛び込んできたのはコニーだった。
彼女は手にもったものを、大きく広げて見せた。
「布なんです!」
滑らかな光沢のある、純白の布。そこには縫い目もなにもなかった。
広げられた一枚の布を見て、周囲の者たちが足を止め、表情をなくす。
今から衣装を用意するなど、到底間に合わない。皆がどうすることもできず、固まっていた。
さて、どう説明したものかとアデルはため息を吐いた。
「コニー、安心して。それで間違いはないわ」
洗髪から戻ったウィステリアが、くすくすと笑いながら現れる。
「留め具と帯だけで、これは服になるのよ」
未だ半信半疑なコニーは置いておいて、アデルは手を叩いて他の者たちを促す。立ち止まっている時間はない。
そして、ウィステリアに向き直り、神妙に頭を下げる。
「お手伝いいたします」
ウィステリアの指示通りに、両肩のところで留め具を使い、腰には帯を巻く。
すると、どうだろうか。きちんと服になっている。
柔らかな布が美しいドレープを描き、人々の目を引いた。光沢のある布地が、窓からの光を滑らかに反射し、神々しくすら感じられる。
身支度の済んだウィステリアを見て、アデルの心に懐かしさが広がる。
「あなたは布と言われて驚いてなかったけれど、知っていたの?」
「はい、もう二十年近く前になりましょうか。遠目に一度だけ、ご衣装をまとった神子様を拝見したことがあります」
あれは、奥様に付き添って王都に行った時のことだった。
本当に遠くから少しだけ、その姿を目にした。華やかさはなくとも、視線が釘付けになる。むしろ、その簡素さが神秘的で近寄りがたい美しさを作り上げていた。
あれは、何をしていたのか――。
「それでよく、一枚の布で服になるとわかったわね」
問いかけられて、思考が過去から戻る。
「お恥ずかしながら、あまりに美しさに興味を惹かれて、色々調べました。また、この目で見られて感無量でございます」
「ありがとう、その期待にこたえられるように頑張ります」
そう言って、ウィステリアは歩き出す。
アデルはいつまでも頭を下げてその背を見送った。




