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流血表現があります。苦手な方はご注意ください。
これで、人狼は弱体化する。
その考えが甘かったことを、オブシウスは間もなく痛感することとなる。
魔法を放つと同時にオブシウスは走り出し、剣を振り下ろした。
先ほどの手応えのなさからは一変し、刃は肉を切り、骨を断った。だが、息の根を止めるには不十分だった。
片腕を半ば失いながらも、人狼は種だけを見つめ止まらなかった。
その先には、無防備なウィステリアがいる。
「ウィステリア!」
体が浮遊感に包まれ、足が空を切る。
ウィステリアは人狼に掴まれ、持ち上げられる。眼前には、ぽっかりと開いた口が見えた。
食べられる前に、握りつぶされるのではと思う。肋骨が軋み、息が詰まる。
なんで、と疑問がウィステリアの頭を占める。
世界樹の種によって強化・変異したのであれば、失えば元に戻るか、大幅に弱体化するかと思われた。だが、目の前の現実は違う。
何かが足りない。見落としている。
酸欠で意識が飛びそうになる。白くもやがかかる脳裏に、情景が浮かぶ。
そういえば、ゲームのイベントとして描写されていた。人狼は、死霊系モンスターに分類され、物理攻撃や魔法攻撃に高い耐性を持つ。
ゆえに、神聖な何かで、その耐性をはがさなければならない。
力を練り上げるほどの余裕はない。
一縷の望みを賭けて、鞄の中に手を伸ばす。しかし、手探りの状態では指先をかすめるだけで、目的のものが中々掴めない。
駄目かと思った時、ウィステリアの目の前を蝶が横切る。――淡く光る紫色の蝶が。
虚を突かれたように、人狼の動きが一瞬止まる。
その隙にようやく掴んだ最後の聖水入りの回復薬を、迫る口の中へと投げ入れた。
絶叫が辺りに響き渡る。
人狼がウィステリアを放り投げる。
一瞬の浮遊感、直後の落下感。
悲鳴を上げる間もなく、ウィステリアは目をつぶって衝撃に備えるしかできない。だが、待てども痛みはない。
振り返ると、至近距離にオブシウスの顔があった。
油断なく一点を見据えている。
視線の先へと向けると、口の周りが焼けただれ、煙を吐き出しながら近づいてくる人狼の姿があった。
オブシウスが、無言で前へと進み出る。
一歩ずつ両者は近づき、互いの距離が間近まで迫ったところで、示し合わせたかのように同時に腕を振り上げた。
そして――人狼の首が宙にとんだ。
群れのリーダーであった人狼が倒れたことで、狼たちも戦意を失って散り散りに去っていった。
皆が動きを止め、武器を下ろす。ようやく本来の静けさが戻ってきた。
座ったまま胸をなでおろすウィステリアの前に、先ほどの蝶が飛来する。
ウィステリアが目を丸くしていると、蝶は話しかけるようにゆっくりと翅を動かす。
――明日、太陽が天頂に昇る時。
脳裏にそんな言葉が浮かぶ。
愕然とするウィステリアを尻目に、蝶は溶けるように消えていった。
ウィステリアの身体のあちこちが、思い出したかのように痛みを訴え始める。
掴まれた時に爪が皮膚を食い破り、肉を抉っていた。血に濡れた衣服が張り付いて、気持ち悪い。
それでも、いつまでもへたり込んでいるわけにはいかない。
痛みをこらえて、ウィステリアは立ち上がる。
いつまでもへたり込んでいるわけにはいかなかった。
予定に変更はない。それならば、明日に備えなければならない。
ウィステリアが立ち上がった瞬間、くらりと体がふらついた。
倒れる前に、オブシウスがその体を支える。
「動くな! まず傷を癒せ」
その言葉に自分の体を確認すると、服が血で真っ赤に染まっていた。
思い出したかのように、全身が痛みを訴え始める。
「本当の、本当に、私は癒せないんです」
「ならば薬はどうした?」
「あれが最後の一本でした」
動かなくなった人狼に視線を向ける。
聖水入りの回復薬がのおかげなのだと説明する。
オブシウスが再び口を開きかけたところで、コニーに支えられたスピネルが歩み寄って来る。
「兄さま……。その、ごめんなさい」
自分の引き起こした事態の大きさに、顔色を失っている。肩を震わせ、深くうなだれる。
「スピネル、お前は――」
「スピネル様。私の大事なものを一緒に探してくださり、ありがとうございます」
オブシウスの押し殺した声を遮って、ウィステリアは前に出る。
痛みが強くなるが無視する。今優先すべきことは、事態の収拾と明日の準備だ。
そのために彼女に近づき、手を取る。
「あなた様のおかげで、明日の儀式は問題なく執り行えます」
触れたスピネルの指先は冷え切り、見上げる瞳は驚愕と困惑で揺れ動いている。何か言おうとする二人に、ウィステリアは小さく首を振る。
「待て、儀式は延期だ」
「いいえ、予定通り執り行います」
オブシウスが、厳しい表情を向ける。ウィステリアも怯むことなく、相手へ視線を返す。
念押しまであった以上、ここで立ち止まることはできない。
「戻りましょう。明日に備えなければなりません」
「待て、無理だ。その体で――」
「言ったはずです。私は、私の全てを賭けてでも、成し遂げます」
オブシウスが大きく息を吐いて、髪をかき上げる。
「説明をしてくれ。なぜそうも明日にこだわる?」
「……」
「口にしなければわからない」
それはその通りだと、ウィステリアも頭では納得はしている。
納得はしていても、忌避感がある。
届くことない言葉を、伝わらない思いを、口にしたくない。言っても栓のないこと、と諦めていたい。
そうすれば、聞く耳を持たない相手と言葉の足りない自分を、責めるだけで済むから。後悔と失望をしないで済むから。
ウィステリアは視線をそらして、黙り込む。
「そうせねばならない理由があるのであれば、こちらも協力する」
「……」
「言わなければ助けられない」
彼は、いつだってウィステリアの言葉を待っていたし、話を聞いてくれていた。
知っている、わかっている。――ただ、心だけがついてきていないだけ。
不安と期待の天秤が揺れ動く。最終的に勝ったのは――。
「日にちはずらせません。もとから、神が定めた日時なのです」
「事情が事情だ。変更してもらうことはできないのか?」
「無理でしょうね。先ほども御使いから“明日の正午”と念を押されました」
「それでも……」
言いつのるオブシウスに、ウィステリアは首を振る。
「一歩間違えれば、百年ほど神木は諦めてもらうことになります」
「――承知した」
オブシウスは為政者だ。
必要であれば、少数を切り捨て多数を救う選択をとれる。でもそれは、好き好んでのことではない。
手を差し伸ばせるのならば、それを躊躇うこともない。
やらざるを得ないのであれば、打てる手を全て打ったうえで執り行う。
急にウィステリアの身体が宙に浮く。気が付くと、オブシウスに抱き上げられていた。
「明日、あなたは儀式だけに集中してくれればいい。余計なものは全て省略する」
そう言い切って、治療のために医者と神官を邸に呼ぶように伝令を出す。他にも次々と指示を下していく。
ずんずんと来た道を戻るオブシウスの抱えられたまま、ウィステリアはただ運ばれる。
「来賓の対応もこちらで行う。念のため、強めの鎮静剤も必要か」
聞こえてはいるものの、意味を理解することなく通り抜けていく。
驚き固まる猫のように、ウィステリアの思考も体も何一つ動かなかった。
次で第一部ラストです。
お読みくださり、誠にありがとうございます。




