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昔は、純粋に仲の良い兄妹だった。
領主夫妻は二人を分け隔てなく可愛がり、スピネルはオブシウスを本当の兄と思って慕っていた。オブシウスとは、年が離れていたこともあって喧嘩の一つもせず、仲良く過ごしていた。
それが崩れたのは、数年前のこと。スピネルの母親である領主夫人が亡くなり、屋敷中が悲しみに暮れた。その葬儀の折、オブシウスが養子だと知ってしまった。
オブシウスは、少々出来すぎた。頭脳明晰で、武術も魔術もそつなくこなした。それでいながら、養子ゆえに向上心と謙虚さを持ち合わせていた。
もともとスピネルのオブシウスへの懐き具合は、兄妹というには近すぎた。
そこへ、血のつながりがないという事実と、家族の別離という恐怖が重なり合い、執着へと変貌した。
結果として、自分と結婚することで、オブシウスは真の当主になれる。本当の家族になれる。その考えへと至り、振りかざすようになった。
以来、兄と呼び慕いながらも、自分が妻になるのだと彼に近づく女性を排除するようになったそうだ。
ひとしきり話し終わると、マルダはすっきりとした様子だった。片づけを済ませ、部屋を出ていく。
残されたウィステリアは、妙に納得していた。
要は、近所の優しいお兄さんや大学生の家庭教師に恋心を抱くようなものだ。憧れを土台に、自分の理想を押し付ける恋。大人になったら、笑い話になるのだろうが、今この時は恐ろしいぐらいに真剣なのだろう。
了承してしまった以上、今後オブシウスとの話し合いは避けられない。そうなれば、スピネルにとってウィステリアが障害であることには変わりない。
幸いにも、オブシウスが抑えると言ってくれたし、マルダが防波堤になってくれている。
さすがに、国の大事を妨害するようなことはしないだろう。
ウィステリアにとっては、彼らの事情よりは自分の生死にも関わる神木の方が大事だった。
「どうして!? どうしてなの!?」
クッションを振り下ろすと、布が裂ける音とともに羽毛が舞う。
その様子が目にも入らないかのように、スピネルは何度も何度も同じ動作を繰り返す。
ようやく落ち着いてきたころには、部屋の中は荒れ果てていた。
片づけを命じるのも面倒で、スピネルはそのままベッドに倒れ込んだ。
――あの日から屋敷の中が、すっかり変わってしまった。
もう誰も偽物だなんて言う者はおらず、ちょっかいをかければ関わることを禁止されてしまう。
ウィステリアは打ち合わせと称して、連日オブシウスの執務室に招かれている。スピネルだって、執務室に入ったことは数えるほどしかない。
今では、街中が神木一色だ。誰もが忙しそうに、でも楽しそうに準備に奔走している。
面白くない。
とはいえ、スピネルにも矜持はある。儀式の邪魔はできないが、一矢報いないことには、到底気が済まない。
何か、何かないかと考える。
ただ、ウィステリアが困ればいい。そのための良い方法を。
いよいよ儀式は明日に迫っていた。
この日ばかりは、ウィステリアも最終準備のために本館へと移ってきている。他にも、賓客が滞在していることもあり、屋敷内は静かな慌ただしさに包まれていた。
スピネルもまた、賓客の対応で忙しくしていた。
一通りの対応が終わり、廊下を歩いていると、向こうから洗濯物を抱えたメイドが歩いてくるのが見える。メイドがスピネルを認識すると、道をあけて頭を下げた。
その瞬間、洗濯物の合間から落ちるものがあった。
両手がふさがっていたメイドは、「あっ」と声をあげる。スピネルが前にいては拾うわけにもいかず、戸惑っている
ほんの気まぐれで、スピネルがそれを拾った。
「これは何? 誰の物なのかしら?」
「神子様のものです。洗濯物だけ持ち出したつもりが、紛れていたようです」
申し訳ございませんと、メイドが頭を下げる。
メイドは気づかなかったであろうが、神子と聞いてスピネルの表情が変わる。
相手が顔を上げるころには、取り繕った笑みを浮かべてスピネルが言う。
「では、私から返しておくわ」
「ですが……」
「もしかして、盗もうとしたの?」
「とんでもございません!」
「じゃあ、私から返却しても問題ないわよね?」
スピネルは、それを手の中で弄ぶ。
ありふれた布で作られた小さな巾着。その中には、固い何かがある。
覗き込めば、見たこともない虹色の宝石がルースのままで入っていた。
(何かしら? もしかして、あの日にもってこようとしていた神子の証?)
もしそうであれば、なくなればウィステリアが困り慌てるさまが見れると思った。
後はもう衝動だった。
頭では駄目だとわかっている。でも、止まれなかった。
スピネルは、巾着を抱えたまま早足に屋敷から出る。皆、自分の仕事に必死で、少し様子のおかしい彼女を気にする者はいない。
そのまま、敷地外に出ようと門をくぐったところで、嫌がらせとして神子付きにした下女と鉢合わせた。
ぶつかりそうになった拍子に、巾着を落としかける。ひもを掴んだおかげで落とすことはなかったが、大きな弧を描いて巾着が揺れる。
「お嬢様、申し訳ございません。――あれ、それって?」
何かに気づいたように、コニーが声を上げる。
心臓が早鐘を打つように鳴る。見つかったという焦りと後ろめたさが、スピネルの思考回路をぐちゃぐちゃに乱す。
何も考えることもできず、スピネルはただ走り出していた。
本館で入浴を終えたウィステリアは、すぐに世界樹の種がなくなっていることに気が付いた。
部屋の中を見渡しても、隙間を覗いても、どこにもない。
「ここに置いた、間違いなく」
できるだけ視界内に置いておきたかったが、ウィステリアに慣れていない使用人相手では指示が上手く通らなかった。ちゃんと部屋に置いておくという言葉を信じなければよかった。
焦りよりも、深く静かな危機感。
儀式は明日の昼。あれがなければすべてが無に帰す。
事の重大性が伝わるはずもなく、メイドたちは困惑気味に様子を伺うだけ。
ウィステリアは、止める彼女たちの言葉を無視して部屋を出た。
この部屋に入った人間はそう多くないはずだ。マルダに聞けば、すぐにわかるはず。
そう思って歩いていると、正面玄関の方から何やら騒ぎが起こっている。直観のままに、ウィステリアはその方角に向かう。
そこでは、鋭い静止の声と子どもの叫び声が聞こえる。
ウィステリアが姿を見せると、孤児院の子どもたちは安堵したように彼女を呼んだ。
「どうしたの?」
尋ねても、子どもたちが口々に話すので中々要領を得ない。
ウィステリアに渡したいものがある。みんなで頑張って作った。コニーとやって来た。門できれいな女の子と会った。コニーが彼女を追いかけていった。
そして――
「お嬢様が小さな袋を持ってて、コニーがそれは神子様の大事なものだから返してって追いかけて行ったの」
付き添いであろう年長の子の説明で、ようやく合点がいく。
子どもたちの頭をなでて、今日のところは帰るようにと伝える。そのまま、ウィステリアは二人が消えた方角へ駆けていった。
二人を見かけた人は多かった。少し尋ねるだけで、皆が二人の行き先を教えてくれる。
そして、ウィステリアが辿り着いたのは、町を囲む城壁の一角だった。
辺りを見渡すと、壁沿いの植え込みに何かが引っかかっていた。近寄って手に取ると、それはスピネルのリボンだった。
不自然な植え込みの切れ目の向こうには、女子どもが通り抜けられる程度の穴が開いている。
ウィステリアの胸に、冷たいものが走る。
穴の先には雑木林が広がり、夕日によって木々の影がより一層濃くなっていた。
住処へ帰る鳥の羽ばたき、木々の揺れる音が辺りに不気味に響く。
ウィステリアは意を決して、その穴を潜り抜ける。
林の入り口に立てば、足の裏から冷たい湿った土の感触が伝わる。
部屋を出るとき、念のために持ってきた鞄の中から明かりを取り出す。その光は頼りなく、より一層影の色を濃くした。
不安を落ち着かせるように、鞄の中身を確認する。万が一のための回復薬が、三本入っている。何かあっても、ひとまずはこれで何とかなるだろう。
地面に残された足跡を頼りに、奥へ奥へと進んでいく。
しばらく歩くと、今度はコニーの帽子が落ちていた。雇用主からの支給品で大事なもののはずだが、拾う間もなく急いでいったのだろう。
ひとまず、彼女たちがこの道を進んでいるということは確かだった。
その時、どこかで言い合う少女の声が聞こえた。




