――私の死は、最初から決まっている。
その運命を知りながらも、私はここに立っていた。
静まり返った教会本部の奥にある、高価な調度品に囲まれた執務室。窓からは暖かな光が差し込み、室内を明るく照らしていた。
けれども、部屋の中に満ちる空気は張り詰め、指先が冷え切るほどに寒々しい。
呼び出されて来たにもかかわらず、この部屋の主は黙り込んだままであった。
立った状態では、座って俯く相手の表情を伺うことはできない。帽子から零れ落ちた白髪混じりの髪が、机の上に広げられた羊皮紙に影を落としていた。
それこそが今回の用向きであろうが、ここからでは内容を読み取ることは難しかった。
いったい、どれくらいそうしていたのか。ようやく、この部屋の主――教皇が動き出した。
大きく息を吐いてペンをとり、羊皮紙の末尾にさらさらと署名を入れる。そして、滑らかな動作で立ち上がると、羊皮紙を掲げて見せる。
陽の光が眩しい。逆光のせいで、相手の顔も掲げられた紙も、すべてが黒く塗りつぶされたように見えた。
自分の心臓の音だけが、耳の奥でうるさいぐらいに鳴り響いていた。
差し出されたそれを受け取り、一文字一文字読み込んでいく。
それは、命令書だった。内容を理解するにつれ、背中を冷たい汗がつたった。
そんなこちらの様子をあざ笑うかのように、教皇は口を開く。
「神子ウィステリア。喜べ、重大な使命をそなたに任せよう。――宵の国より神木を望む声が届いた。彼の国に赴き、民の願いに応えよ」
抑揚のない、冷たい声だった。
ウィステリアと呼ばれた少女は、そっと目を伏せた。
言葉通りの栄誉ある任などではないと、嫌でも理解させられる。
白々しい。為せるとも、成功するとも、本気で思ってはいないだろうに。
派閥に属さず、後ろ盾もない孤児。ではあったが、その資質は疑いようもなく、ウィステリアは神子にならざるを得なかった。
そんな己を、一部の人が煙たく思っていることは察していた。だからといって、積極的に何かするほどではなかった。今までは。
この機会に持て余した仕事を押し付け、使い捨ててしまおうということだろう。わかってはいても、断ることはできなかった。
「……謹んで拝命いたします」
ゆっくりと頭を垂れると、くすんだ銀色の髪が流れ落ちた。
顔を上げる頃には、教皇はもう彼女を見てはいなかった。
部屋を出て、長い回廊を歩く。
空高く枝葉を伸ばす世界樹が、柱の間からウィステリアを見下ろしていた。
足を止めて、大きく見上げる。雄大で神々しい姿に、ウィステリアは思わず顔をしかめた。
――ここは、あのゲームの中だ。
世界樹が視界に入るたびに、それを突きつけられるようで面白くなかった。
ウィステリアには、前世の記憶があった。
それは、この世界とは全く異なる場所、日本で生まれ育った頃のものだ。そして、そこで遊んでいたゲームの舞台が、この世界に酷似していた。
よく似たどころではない。同一のものであると気付いたのは、神子となってからだった。
愕然とした。
なぜなら、このウィステリアというキャラクターは、本編開始時点で既に死亡しているのだから。
それからは、眠れぬ夜を過ごすこととなった。
単に死ぬだけならば、一度経験したこと。それほど恐れることはなかった。恐れたのは、苦痛の果てに死ぬことだった。
ゲーム内では、『ウィステリアという神子がいたが、神子の資格をはく奪された上で亡くなった』程度の情報しか開示されていなかった。
詳細は判明していない。当時、ストーリーはまだ第2章までしか配信されていなかったのだ。
ウィステリアが故人であることは言及されていても、いつ、どこで、どうして死んだのかまでは明かされていない。
ただ、かなり悲惨な死に方をしたことが、言外に匂わされていた。
気が付いてしまえば、何かをしていないと気が休まらなかった。
最初の数年はがむしゃらに行動した。たとえ無駄だとしても。
図書館に通いつめて知識を蓄えた。
この地に収められている本は、閉架書庫まで全部読んだ。
さらに、お金も貯めた。
最悪の場合には、どこかへ逃げ隠れられるように。
そして、自らの力を伸ばすために色んな訓練方法を試した。
残念ながら、結果にはつながらなかったが。
年を重ねるにつれ、焦りは薄れ、諦めも含んだ静かな覚悟に落ち着いていった。
恐怖が消えたわけでも、運命を受け入れたわけでもない。多分、心が慣れてしまったのだと思う。
大きな鐘の音が、頭上から鳴り響いた。
ハッとすると、抱えた命令書がくしゃりと歪んでいた。慌ててしわをのばす。
手の中の用紙が重みを増す。
運命の時が来たのだと、そう感じた。
ウィステリアの死の原因は、きっとこの任務にある。
失敗の責任を取らされるのか、それとも失敗を隠そうとして自ら破滅の道を辿るのか。憶測でしかないが、そんなところではないかと考えている。
もちろん、間違っている可能性はある。
だが、ウィステリアはもう17歳。
ゲームの登場人物の年齢を踏まえると、彼女は20歳にもならずに亡くなったと思われる。であれば、この任が全くの無関係ということは考えにくい。
神木。
各国に存在し、人々に様々な恩恵を与え、魔物といった脅威を抑制するとされている。
神木を持たない国は、二つだけ。その一つが、宵の国だ。
昔読んだ本の中に、神木に関する研究資料があった。埃をかぶったその本には、多くのことが記されていた。管理や手入れ、そして神木の植樹についての記載もあった。
ウィステリアは、服の上から胸元を握りしめる。
そのために必要なものは、もうこの手の中にある。
だから、大丈夫だ。
失敗して、死ぬような結末にはさせない。
そのために、ずっとずっと暗闇の中、手探りで歩いてきたのだから。
呼吸を落ち着かせると、ウィステリアはゆっくりと目を開け、前を見据えた。
「さあ、いけるところまで、できるところまでやってみましょう」
再び、鐘が鳴った。
旅立ちを告げるようにも、二度目の死へ送り出すようにも聞こえた。




