小さな幸せ
森の道は朝の光を受けてきらきらと輝いていたが、昼が近づくにつれ、木々の影が濃くなり、ひんやりとした空気が漂い始めた。鳥たちの声も遠ざかり、風の音ばかりが耳に残る。
「ねえ、優真くん……森って、こんなに静かだった?」
「ここは深いからね。動物もあまり近づかないんだと思う。」
莉亜は僕の腕にそっと近づく。朝よりも不安そうな目。けれど、それ以上に信頼を寄せるように僕を見上げていた。
「離れないでね。」
「離れないよ。ずっとそばにいる。」
そう言って、僕は莉亜の細い手を握り直した。
しばらく歩き続けていると、道の途中に細い倒木が転がっていた。苔むした表面は滑りやすく、足をかければ簡単に転びそうだ。
「莉亜、気をつけて。滑りやすいから。」
「うん、大丈夫――わっ……!」
言い終わる前に、莉亜の足が苔でつるりと滑った。
僕は反射的に腕を伸ばし、落ちる前に彼女の腰を抱き寄せる。莉亜の体が僕の胸に収まり、そのまましばらく動けなくなった。
「……び、びっくりした……。」
「大丈夫? 痛いとこない?」
莉亜は胸元にしがみついたまま、小さく震えている。
「ごめん……私、気をつけるって言ったのに……。」
「謝らなくていいよ。お互い助け合ってけばいいんだもん。」
莉亜はその言葉にぎゅっと唇をかみ、悔しそうに、でも甘えているように顔を寄せた。
「優真くん……ほんとに、ずるい……そんなこと言われたら……。」
「……言われたら?」
「……さらに大好きになっちゃう。」
照れながら言う彼女は、ものすごく可愛い。言わせたでしょーって怒ってる彼女も。
「莉亜。」
「……なに?」
「怪我してなくてよかった。ほんとに。」
抱き寄せたまま、僕は莉亜の頭に軽く頬を寄せた。
莉亜はそのまま僕の服の裾をぎゅっと握って、ぽつりとつぶやく。
「私ね……また優真くんを困らせたくなくて、気を張ってたんだ。強くなろうって。でも、こうやって助けられると……私、やっぱりひとりじゃ無理なんだって思っちゃうの。」
振り絞るように言う声だった。
僕はゆっくり首を振る。
「ひとりじゃなくていいよ。僕がいるんだから。」
「うん、そうだね。今はそう思うよ。」
莉亜は顔を上げ、瞳が少し潤んでいる。けれど泣きそうではなく、安心したときの、あの柔らかい光を帯びていた。
「優真くん、大好き!」
莉亜の表情が一気に崩れ、僕の胸に飛び込むように抱きついた。しばらくそのまま抱き合って、森の静けさの中で呼吸だけが重なった。
やがて、莉亜がふっと笑う。
「ねえ……さっき転びそうだったのに、今はなんか元気になっちゃった。」
「それならよかった。」
「優真くんのおかげだよ。」
「じゃあ、これからも元気にする。」
僕がそう言って手を差し出すと、莉亜は照れたように笑いながら指を絡めてきた。
僕たちの旅はまだ始まったばかり――その事実が、なぜか甘くて、嬉しかった。騎士団が追ってることの恐怖よりも、彼女との時間がただただ楽しかった。




