表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

34/85

失望の痛み

「兄上、話があります。」


 ルシアンに呼び止められたのは放課後だった。

 学園の中庭。春の風が柔らかく吹き抜け、芝生の上にはセレスティアが植えたたんぽぽが、白い綿毛となって揺れている。

 その光景が、なぜか儚く見えた。


「ルシアン? 話とはなんだ……?」


 弟は少し俯いてから、僕の目をまっすぐ見上げた。

 あの純粋な瞳が、今はどこか苦しげに揺れていた。


「兄上……噂は本当なのですか?」


「噂……? リアナのことか?」

「はい。」


「違う。リアナはセレスティアに何もしていない。全部、誤解なんだ。」


 そう答えると、ルシアンの瞳がわずかに揺れた。

 けれど彼は、沈黙を挟んでから言った。


「リアナ様のことではありません。兄上は……リアナ様のことが、お好きなのですか?」


 その問いに、息が詰まった。

 胸の奥を突かれるような痛み。

 その一言が、ずっと自分でも避けていた感情を暴き出した。


「ちが……違う。それは……リアナが噂で苦しんでいるから、助けようとしているだけだ。」


「……そうなのですね。」


 ルシアンは、少し寂しそうに微笑んだ。

 その顔がまるで、何かを悟ったようで、逆に僕の方が言葉を失った。


「でも、噂は止まりません。これ以上リアナ様を庇えば、兄上の立場が危うくなります。」


「わかっている。……それでも、リアナがやっていないと皆が信じるまでは続けるつもりだ。」


「兄上、それでは……セレスティア様を軽んじているように見えてしまいます。」


「軽んじてなどいない。セレスティアは婚約者だ。大切にしている。」


「……。それは“婚約者”として、でしょうか?」


 ルシアンの声音が低くなる。

 春風が止まり、遠くで鐘の音が鳴った。

 白い綿毛が一つ、風のない空に舞い上がっていく。


「セレスティア様は怪我もされています。信じたい気持ちよりも、事実を見てください。」


「事実……? リアナがセレスティアを攻撃したというのが、事実だと言いたいのか?」


「兄上……!」


 ルシアンの声が強く響いた。

 彼がこんな声を出すのを、僕は初めて聞いた。


「兄上は第一王子です。国の未来を背負う方です。たとえリアナ様に想いを寄せていたとしても、立場を見失うべきではありません。セレスティア様を傷つけたと噂されている彼女を庇うのは、兄上にとって――危険なことなのです。」


「わかっている。だが……!」


「兄上!! 感情で動かないでください!」


 ルシアンの叫びが、庭に響いた。

 鳥たちが一斉に飛び立ち、綿毛が空へと散っていく。

 弟の目には、焦りと恐れが混じっていた。兄が破滅へ向かっている――そう感じているのだろう。


「……僕は、感情で動いているわけじゃない。」

「兄上……。」

「リアナは無実だ。だから、それを皆に伝えたいだけだ。真実を歪めたままにしたくない。」


「……兄上は、周りが見えていません。」


 ルシアンは小さく首を振った。

 その仕草に、かつての僕の姿が重なる。正しさを信じて、現実を見失っていた頃の。


「目を覚ましてください。兄上は“正義”のつもりでも、その行動が誰かを傷つけることもあるのです。」


 その言葉が胸に刺さった。

 彼は、まだ知らない。セレスティアの裏の顔も、リアナの涙も。

 でも――知らないからこそ、まっすぐに“正しいこと”を言える。

 その正しさが、今はあまりに眩しかった。


「……ルシアン。」


「……兄上。失望しました。兄上は、もっと立派な、責任を持って行動できる王子だと思っていました。違ったのですね。」


 ルシアンは小さく吐き捨てるように言うと、背を向けた。

 春風に揺れる綿毛が、彼の後ろ姿を包むように漂っていく。


 ――立場か、真実か。

 僕はどちらを選ぶのだろう。

 胸の奥で、セレスティアの笑顔と、リアナの涙が交錯した。

 そのどちらも、まだ守らなければならない。

 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ