表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
21/22

覚醒

幻獣亜種の群れに囲まれていたはずの戦場は、信じられないほど静かだった。


 魔力が満ちた空気が風も音も飲み込んでいる。

 まるで、世界そのものが呼吸を止めて、ひとりの少女の行動を見守っているようだった。


 リリアは、先にギルド本部へと駆けていったギルドマスターの背を目で追い、そして静かに振り返る。


 そこには、幻獣亜種たちが数十体。

 先ほどまで冒険者を蹂躙し、街を脅かしていた凶悪な存在たちが、今は動けずにいた。


 誰ひとりとして、リリアに飛びかかる者はいない。


 その理由は明白だった。


 解き放たれた“それ”が、この場の空気を支配していたからだ。


 少女の細い体から放たれた魔力は、まるで嵐のように場を包み、幻獣亜種たちの本能を麻痺させていた。


 一歩、リリアが足を踏み出す。


 そのわずかな動きに、幻獣亜種たちはビクッと身を強張らせた。


「……怖いの?」


 彼女がぽつりとつぶやいた瞬間——


 そのうちの一体が、声も出せずに走り出した。


 その動きに釣られるように、他の幻獣亜種たちも一斉に方向転換し、雪崩のように逃げ出していく。


 山を越え、林を駆け抜け、何かから逃れるかのように。


「逃げるの? ……まぁ、いいけど」


 リリアはふわりと息を吐いた。


 その顔に、怒りも悲しみも、驕りもない。


 ただ、静かに。


 仲間と街を守るために。


 彼女は再び前を向き、ギルド本部へと歩みを進めた。


 その背に、誰も追いつけない。

 その力に、誰も抗えない。


 けれど、まだ誰も知らない。


 この静かな少女こそが、世界を変える“嵐”になることを——。



ギルド本部は、もはやその役目を果たせる状態ではなかった。


 瓦礫と化した外壁、黒く焼け焦げた柱、地面には冒険者たちが数人、呻き声を上げる余裕もなく倒れている。

 かつてこの街の誇りであり、冒険者たちの心の支えであった建物は、今や“災厄の玉座”と化していた。


 その中心に、ヴェル=ザルファはいた。


 空を裂いて現れた“天災”。

 その黒紫の鱗は光を弾き、巨大な翼が熱風を巻き起こす。

 ただ存在しているだけで、世界が歪んで見えるほどの魔力を放ち続けていた。


 ──そして、そのヴェル=ザルファに立ち向かっているのは、たった一人。


「くそっ……これが、エレノアを退けた存在……!」


 ギルドマスターだった。


 Sランク。

 人類の中で最も高位の魔法使いの一人。


 だが今、彼の足取りは鈍く、額には冷や汗。

 魔法による攻撃は届かず、防壁は息をするたびに砕ける。


「全然……歯が立たん……!」


 ヴェル=ザルファは喉の奥で低く唸り、音のない咆哮を吐き出す。

 それだけで、空気が砕けるような衝撃がギルド本部内を襲う。


 まるで、戦場に響く“死の合図”。


 ギルドマスターは、崩れた壁を背に、ついに膝をついた。


 その瞬間だった。


 ——ガチャリ。


 崩壊しかけたギルド本部の、かろうじて形を保った扉が、静かに開いた。


 そこに立っていたのは、ひとりの少女。


「……リリア……?」


 ギルドマスターが目を見開く。


 黒髪が揺れ、足取りは穏やか。

 しかしその歩みは、どこまでも確かだった。


 彼女は、瓦礫を越え、倒れた冒険者のそばをすり抜けるように歩く。


 そして、ヴェル=ザルファの前に、ためらいなく進み出た。


 ギルドマスターは、咄嗟に声を上げる。


「バカなっ! お前じゃ勝てる相手じゃない! 早く逃げろ、リリア!」


 しかし、リリアは立ち止まらず、静かに——笑った。


「ううん、逃げないよ。だって……」


 彼女のそばに、光の粒が舞い上がる。


 その光は、一つの姿へと収束していく。

 白い毛並み、光の瞳、空気よりも柔らかな気配。


「……この子、見たことあるよね? フィーネ」


 ギルドマスターは思わず息を呑む。


 目の前に現れた“小動物”

「フィーネ……?」


 リリアはその横顔のまま、さらに一歩、ヴェル=ザルファへと近づく。


 そして、笑った。


「ねぇ。この子って……フィーネの試練のときの子、だよね?」



ギルド本部の扉が静かに閉まり、緊迫した空気の中にリリアの声が落ちた。



 リリアの肩にちょこんと乗った白い小動物。ふわふわとした毛並みに光のような瞳、気配すら空気よりも柔らかく、どこか神秘的な存在。


 それが、くるんとしっぽを揺らして答えた。


「そうそう。僕が模範した竜族亜種だよ。まさか本物が出てくるなんてねぇ、偶然ってこわいね」


 目の前のヴェル=ザルファは、リリアの姿を見るなり肩を震わせ、威圧感に満ちていたはずの気配が一気にしぼんでいく。


 その様子に、リリアがくすっと笑った。


「また震えてるけど、どうする? バーサクでもかける?」


 フィーネはあくびをしながらのんびりと答える。


「試練じゃないし、そんな必要もないんじゃない? どうせ動けないだろうし」


 そのやりとりを聞いていたギルドマスターが、目を細めて二人を見つめる。


「……何者だ、あの生き物は。あの小さな体に、恐ろしいほどの魔力を秘めている……」


 フィーネがくるりと跳ねて、リリアの肩から彼の視線に向き直る。


「僕? 一応“精霊”ってことになってる。でも、時代によって“聖獣”とか“神の使い”とか“世界の監視者”とか……いろんな呼ばれ方してたよ」


「私は“フィーネ”って名前をつけたけどね」

リリアが照れくさそうに笑うと、フィーネは「気に入ってるんだ」としっぽをふる。


 ギルドマスターは思わず息を呑み、視線を再びヴェル=ザルファへと戻す。


 その“天災”は、まるで生まれたての仔犬のように震えながら、ただただリリアの存在を恐れていた。



ギルド本部の床に深く沈む巨体。竜族亜種、天災《ヴェル=ザルファ》。

 かつてその咆哮ひとつで都市を沈黙させた存在が——今、リリアの前で震えていた。


 黄金に輝く瞳は大きく見開かれ、全身から溢れていた禍々しい魔力が霧のようにしぼんでいく。

 後退りし、後脚をひねるようにして身を低くするその姿は、もはや威厳のかけらもない。


「……ふふ。どうしよっか」

 リリアの口元に浮かんだのは、どこか小悪魔的な微笑み。

 ただ立っているだけ——けれど、それだけで、天災は完全に支配されていた。


 そしてついに、ヴェル=ザルファはその場に膝をついた。

 高貴にして獰猛なる存在が、地を這う者のように頭を垂れ、声を震わせる。


「……我が命、差し出す……使い魔として仕えさせてくれ……。命だけは……お助けを……」



その光景を見たギルドマスターは、声にならない息を呑んだ。


「まさか……。あのエレノアを退けた天災を……少女が、圧倒している……?」


 震える声が本音をさらけ出すように空気に溶ける。


 そして、ヴェル=ザルファの口が再び開かれた。


「この少女の魔力量は……エレノアなど、比べ物にならぬ……。我が主となるに相応しき、絶対の存在だ……」


 その言葉に、リリアの瞳が大きく揺れる。


「……ママを、知ってるの?」


 リリアの問いかけに、ヴェル=ザルファは小さく頷いた。


「エレノアの娘……やはり、そうか。ならば知っている。彼女は、今も生きている」

「その居場所へと、お前を導くこともできる……主よ」


 しんと静まり返った空間に、その声だけが染み込むように響いた。


 リリアはしばらく黙っていたが、ゆっくりと歩を進め、ヴェル=ザルファの前に立つ。


 そして——小さく、呟く。


「……うん。じゃあ、決まりだね。契約、しよう」


 リリアの手が掲げられ、魔力が流れ出す。

 かつて世界を震わせた天災は、その手を取るように額を地につけ、従属の印を受け入れた。


 こうして、街を襲った“災厄”は、少女リリアの“従者”として幕を下ろすこととなった——。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ