終焉(後編)
ルミナスブレイブは戦場を抜け、ギルド本部へと向かって駆けていた。
——しかし。
「そこのお前たち!止まれ!」
街の正門前、重装備の冒険者が何人も立ち塞がる。その中には、Aランクの冒険者たちの姿もあった。
「Cランク以下の冒険者は、すべて避難命令が出ている! 今すぐ南東の地下シェルターへ!」
「は!? 俺たち、応戦に——」
アレンが抗議しようとした瞬間、周囲の空気が凍ったように冷たくなる。
立ち塞がる男が険しい表情で言い放つ。
「今動いてる“何か”は、お前たちの想像を超えてる。さっきの咆哮……聞いたろ?」
「……!」
「俺たちAランクですら、震えが止まらない。今は生き延びることが最優先だ」
ルーシーが小さく震えながら、そっとリリアを見やる。
ユージンは唇を噛みしめながらも、頷くしかなかった。
「……くそ……!」
数秒の静寂ののち、ルミナスブレイブの4人は、他の冒険者たちと共に地下の避難シェルターへと押し込まれていく。
入り口が閉ざされる直前、リリアは遠く、空の裂け目の方向を見つめた。
(……なにが、起きてるの……?)
そのとき、胸の奥で、誰かの声がふわりと響く。
『リリア。そろそろ、隠してる余裕はなくなるかもしれないよ』
——フィーネだった。
リリアはぎゅっと拳を握る。
(……わかってる。でも、もう少しだけ……)
避難シェルターの扉が、重く閉じられた音が、街の運命を告げる鐘のように響いた。
——そして、地上ではまだ、災厄の顕現が始まったばかりだった。
——それはまるで、世界そのものが息を飲んだ瞬間だった。
天災・ヴェル=ザルファが咆哮を放つと同時に、空間が裂けるように歪み、その裂け目から次々に“幻獣”と“幻獣亜種”たちが街へと降り注いだ。
「っ……! 幻獣!? こんな数、あり得ない……!」
ギルドマスターの額に、今まで見せたこともないような焦りと冷や汗が滲む。
街の外縁部が、次々と炎や氷、雷に覆われていく。
Bランク、Aランクの冒険者たちが応戦に出るも、敵の数と質に押され、一人また一人と倒れていく。
「くそっ……防壁魔法が……貫かれた……!」
結界を維持していた要の魔法陣が、幻獣の一撃で粉砕された。
ギルドマスターはすぐさま防衛ラインの立て直しを図るが、その場を動けないまま敵の波に囲まれ、足止めされる。
「これは……手に負えない」
自らの魔力をもってしても、この災厄の波を防ぎ切るにはあまりに数が多すぎる。
そのとき——
「アメリアァァァ!!」
叫んだのはロキだった。
遠くの路地裏で、仲間の身体が地面に崩れ落ちていく光景が見える。
——ヴァルキュリア。
Dランク最強と称された、ロキ、アメリア、ヴィクトリア、レイヴンの4人パーティ。
そのうちのロキ以外の3人が、幻獣の猛攻によって戦場から消えていった。
彼らは避難民の護衛任務についていたが、突如として現れた幻獣亜種の群れによって、逃げ道を断たれたのだ。
「……逃げろって言ったのに……!!」
ロキは力のない拳を握りしめる。
——彼の目の前で、最も信頼していた“仲間”たちが、力尽きた。
一方その頃。
地下の避難シェルターでは、ルミナスブレイブの3人が緊迫した面持ちで天井を見上げていた。
微かな震動。外で何が起きているのか、想像すらつかない。
「リリア……大丈夫かな……?」
ルーシーが声をかける。
しかし、リリアは返事をしない。
——彼女の瞳は虚空を見つめ、意識はすでに“精神世界”の奥へと潜っていた。
『リリア。もう、隠してる場合じゃないよ』
心の中に響く声。
フィーネだった。
『これは神話の時代の戦いだ。君が、いま立ち上がらなかったら……』
リリアは目を伏せたまま、静かに問い返す。
「……本当に、出してもいいの?」
『いいかどうかじゃない。出さなきゃ、全部終わるよ』
リリアの心に、決意の炎が灯る。
そして彼女は静かに、シェルターの扉に向かって歩き出した——。
シェルターの静寂の中、ひとり立ち上がる少女がいた。
リリア・エルフィス。
その目に宿るのは、これまでにないほど強い光——迷いのない、覚悟の色だった。
「……わかってる。守らなきゃいけないって、やっと本当の意味でわかったよ」
その呟きに、アレンが驚いたように顔を上げる。
「リリア……?」
リリアは静かに、自らの右腕にある銀色の魔力制御の腕輪へと手を伸ばす。
そして、アレンたちに優しく微笑みながら差し出した。
「これ、預かってて。少しだけ……待っててね」
「ちょ、ちょっと待てリリア!? まさか……」
「どういうこと? 外は危険なんだよ!? いまは出ちゃダメだよ!」
ルーシーとユージンが慌てて引き止めようとするが、リリアの目は真っ直ぐで、まるで誰にも止められない光を放っていた。
「……ごめんね、ほんとはずっと、隠してたの」
リリアはそう告げると、カチリと音を立てて腕輪を外した。
次の瞬間——
ズンッ……!
地の底から響くような振動が、シェルター全体に伝わる。
まるで世界そのものが怯えたように——空気が震えた。
「な、なにこれ……!? リリア……なの……?」
アレンが唖然としたまま呟く。
彼らの目の前に立つリリアの身体から、光のような、重力のような、何か得体の知れない力が溢れ出していた。
その魔力は、明らかに異常。
風が逆巻き、地面が震え、遠くにいるはずの冒険者たちが一瞬、動きを止めて天井を仰いだ。
ルーシーが泣きそうな声で呟く。
「こんな魔力……見たことないよ……。リリア、あなた、いったい……」
それでもリリアは、笑っていた。
どこまでも優しく、どこまでも決意に満ちた、芯の通った笑顔で。
「後でちゃんと話すから。ほんとに全部……隠しててごめんね」
そして、リリアは振り向き、そのまま歩き出した。
——ゴォォッ!!!
彼女がシェルターの扉に手を当てた瞬間、それはまるで紙のように破裂して吹き飛び、リリアの魔力の光が外界へとあふれ出す。
そのまま彼女は歩みを止めず、シェルターの入口に新たな防壁魔法を展開した。
「ここは安全だよ。だから、絶対に出てこないで」
振り返らずにそう言い残し、彼女は戦場へと向かって走り出す。
その背には、街を、仲間を、そして大切な人々を守ろうとする少女の強さがあった。
ギルド本部を中心とした広場は、すでに戦場と化していた。
割れた石畳、崩れた建物、焼け焦げた路地。煙と瘴気が立ち込め、そこに立つ者の息を奪う。
中央にそびえるのは、天災《ヴェル=ザルファ》。
漆黒の鱗に覆われた竜のような巨体。その眼は深淵のごとく澱み、見るだけで精神を削られるような威圧感を放っていた。背から伸びる数対の翼が、夜の闇を切り裂くように広がり、その咆哮は大地を震わせる。
その周囲を取り囲むのは、彼に忠誠を誓った強大な幻獣亜種たち。それぞれが並のAランクでは到底太刀打ちできない格を持つ存在ばかり。
──地獄の群れ。
だが、その中へ、多くの冒険者たちが命を賭けて飛び込んでいた。
「くっ……魔法が効かない!?」
「バリアを貫通してきた!ありえない……ッ!」
「下がれ!全員、隊列を立て直せ——ぎゃあああッ!!」
仲間の叫び、悲鳴、命の終わる音が連続して響く。
──Bランク、Aランク、Sランク。
名だたるパーティたちが、1つ、また1つと崩れていった。
かつて憧れだった英雄の背が、今は地に伏している。
誰もが信じていた正義が、ひとつ、またひとつと炎に焼かれ、消えていった。
その中心で、たったひとり、ギルドマスターが奮戦していた。
「……クソッ、数が減らない……どころか、増えていやがる……!」
防壁魔法を展開し、突撃してくる幻獣亜種を強引に受け止めながら、彼は息を荒げる。
魔力の枯渇は目前。額には汗が滲み、呼吸は浅く、集中を切らせば一瞬で死が訪れる戦場。
「あと一歩……本部に辿り着ければ……!」
だが、その「一歩」が──遠すぎた。
道を阻むかのように現れた、3体の新たな幻獣亜種が咆哮する。
もう、ギルドマスターの姿さえも霞んで見えるほどの瘴気が辺りを包んでいた。
その目には、焦りが滲んでいた。
かつて、どんな強敵にも怯まず、仲間の背を支えてきたこの男でさえ、今は「敗北」の2文字を感じている。
街の結界はとうに破壊され、一般市民はシェルターに閉じ込められ、戦える者たちは次々と倒れ、防衛線は完全に崩壊していた。
そして、彼の脳裏に浮かんだのは──
(リリア……)
かつてのエレノアに似た、あの黒髪の少女。
(お前がこの惨状を見なくて済むように……俺は、そう思っていたのに)
だが、その願いは届かなかった。
次の瞬間——
風が、止まる。
魔力の流れが、凍りつくように変わる。
──空気そのものが、圧されていた。
「……!」
ギルドマスターは、身を翻す。
そして見た。
幻獣亜種たちの群れの向こう。瓦礫の道の先に、ひとりの少女が、立っていた。
黒髪が風に揺れ、彼女の足元から、まるで光が地面を這うように魔力が広がっていく。
小柄で、優しげなその少女が、今、この地獄の戦場を睨み据えていた。
「……リリア……?」
ギルドマスターの声は、かすれていた。
そして次の瞬間——
リリアの体から、信じられないほど膨大な魔力が、夜空に向かって噴き上がる。
大地が震え、空が唸る。
絶望の帳を、光が裂いた。
「リリア……?なぜここに——」
ギルドマスターの目に、信じられない光景が広がる。
リリアの足元には、吹き飛ばされた幻獣亜種の残骸。
そして、未だ空間に震える、解き放たれた魔力の余韻。
「今は……説明してる場合じゃないです」
リリアは静かに、けれど強く言った。
「後でちゃんと話します。だから今は、先に行ってください」
ギルドマスターは、目の前の少女が発する圧に呑まれながらも、ふと口元を緩める。
「……これなら、行けるかもしれん」
彼はうなずき、本部へと走り去っていく。
そして——
本部の前。
その中心に鎮座する存在。
全てを薙ぎ払う咆哮。
「……まさか……あのときの……」
ギルドマスターの膝が一瞬だけ震える。
「この気配、間違いない。リリアの母……エレノアを退けた、竜族亜種……!」
その名は、天災——『ヴェル=ザルファ』。
伝説を超えた存在が、リリアの帰還を待つように、ただその場に立ち尽くしていた——。