街のぬくもり
「今日はお休みだし、ちょっと街にでも出てみようかな……」
ルミナスブレイブの面々はそれぞれの予定で解散し、ひとり残されたリリアは、ギルドの前で小さく伸びをした。
街は快晴、空は青く、風はちょうど良く心地いい。こんな日に外に出ない理由なんて、どこにもない。
だがこのあと、リリアのささやかな買い物時間は、“街のアイドル”状態に変貌するのであった——。
広場を抜けて市場通りに差しかかると、八百屋の店主が満面の笑みで手を振ってくる。
「おおっとこれはこれは、エレノア様の娘さんじゃねえか! 今日も可愛いのぅ!」
「えっ、ちょ、えええ!? そんな、私なんて……!」
トマト1袋を手に取っただけで、
「これはサービス!ついでにこのリンゴも!いや、こっちのメロンも!」
と次々に商品を袋に詰められる。
「え、そんな!買いに来たのに!」
「いいのいいの!リリアちゃんが街にいるだけで、今日も平和だなぁって思えるからさ!」
(……なんでこんなに好感度高いの!?)
リリアは半笑いで荷物が増えていくカゴを見下ろしながら、小声でぼやく。
「普通にお買い物……したいだけなのに……」
広場を通りがかると、元気いっぱいの子どもたちが何やら遊びの真っ最中。
「お前が魔王な!俺が“勇者リリア”だー!」
「えー!リリアちゃんってもっと優しいでしょ!? 魔王と話してから、にっこりして倒すんだよ!」
「なるほど……笑って倒すタイプの勇者か……」
リリアは頭を抱えながらも、ちょっと嬉しそうに笑う。
すると、フィーネがふわりと現れ、つぶやいた。
『笑って倒す勇者……ふふ、君らしいじゃないか。案外、その“愛され方”が本質かもしれないね』
「フィーネまで何言ってんの〜!」
ますます混乱するリリアであった。
リリアは子どもたちに手を振られながら広場を離れ、少し照れたように歩を進めた。
「勇者リリア、かぁ……。そんな大層なものじゃないのに」
そう呟いたその顔は、少しだけ誇らしげだった。
自然と足が向いたのは、街角の小さなパン屋だった。
「こんにちは~」
「リリアちゃん!? 来てくれると思ってたよ!」
パン屋のおじさんがドヤ顔で取り出してきたのは——
『本日限定!リリアちゃんセット』
(内容:ふんわりあんぱん・とろとろクリームパン・ハート型メープルパン)
「な、なんで名前ついてるんですか!?」
「昨日ギルドの報告書読んでさ、これはもうリリアちゃんフィーバーが来るって思って作っちゃった!人気出たら常設にするかもな!」
「えぇぇぇ!?」
「ちなみにリリアちゃんが買ってくれたら、きっと他の子も買いたくなるだろ?」
「まさかの宣伝塔!?」
リリアはあたふたしつつも、結局買ってしまう。
そして帰り際、おじさんがウインクしてきた。
「街の希望を、よろしくな」
「……あの、普通にパン屋さんしててください……」
笑いながらパン袋を抱えて裏通りを歩いていたリリアは、静かな気配に足を止めた。
石畳の隅、影の差す場所で、一人の絵描きがスケッチ帳に筆を走らせている。
(あれ、なんの絵を描いてるんだろう……)
何気なく近づいたリリアは、目を見開いた。
——そこには、リリアらしき少女と、その背後に広がる漆黒の巨大な竜の影が描かれていたのだ。
「え……これ……私……?」
「そうだよ」
絵描きの男は目を伏せたまま、淡々と語る。
「夢で見た。黒き竜を従える少女の姿を。君の顔も……そっくりだった」
「そ、それって……誰かと間違えてません……?」
「いや、間違えていないさ」
そう言って、男はようやく顔を上げる。
その瞳はどこか“確信”を含んだ、静かで深い光を湛えていた。
リリアは背筋に寒気を覚えながら、そっと数歩下がった。
精神内に現れたフィーネが、ふわりと微笑む。
『……視える人には、ほんの少しだけ未来が視えるものさ。リリア、気をつけて。ああいう人は“真実”を知っている可能性がある』
「や、やめてよ、怖いんだけど……!」
パン屋のノリと子どもたちの笑顔が嘘のように、妙に現実離れした空気がそこに漂っていた。
(……でも、なんか、嫌な感じじゃなかったな)
絵描きの言葉は、やがて訪れる“大きな変化”の静かな始まりだったのかもしれない。
街の陽は傾きかけていたが、リリアの買い物散歩はまだまだ続く。
気を取り直して商店街へ足を踏み入れると——
「おーい!リリアちゃーん!!」
乾物の香ばしい匂いを漂わせながら、魚屋のおじさんが全力で手を振ってきた。
「リリアちゃん、今日はツイてるぞ! うちの奥さんが『この骨格はエレノア様譲りに違いない!』って言ってな、急遽カルシウムセットを詰めた!」
「か、カルシウムセット!?」
渡された袋の中には、煮干し、干しエビ、骨せんべい、さらに謎の「超濃縮カルシウム水」まで入っていた。
「育ち盛りだろ! 骨、強くしとけ! あとで背が伸びるかもな!」
「そ、そんな予定なかったんだけど!?!?」
困惑しながら歩いていると、今度は向かいの薬屋から派手な湯気がもくもく。
「リリアちゃーん!こっちこっち! 例の試作品、完成したよ〜!」
「な、なんの試作品ですか!?」
現れたのは、白衣に花柄エプロンのポーション屋の奥さん。
手にはピンクに輝く不穏な液体入りの小瓶が。
「名づけて“ぷるぷる美肌ポーション”! モデルになってほしくて〜! 若さと潤い、詰め込んどいたから!」
「えっ、私まだ15歳ですよ!?」
「大丈夫! 未来への投資よ! 飲んだら三日後くらいにモッチモチ!」
「モチモチになる未来とか求めてないんですけど!?」
断り切れず、小瓶をそっとポーチにしまってしまうリリア。
このまま帰ったらきっとアレンに変な顔される未来が見えた。
そんな未来予知(ただの勘)を感じながら、最後に立ち寄ったのはアクセサリー屋。
そこで——
「……え?」
「おぉ、ちょうどいいとこ来た! リリアちゃん、このくまさんネックレス、覚えてるだろ?」
店主が差し出してきたのは、以前リリアが仲間たちとお揃いで買った、あの子供っぽくて可愛いネックレス。
「う、うん……」
「新作だ!! 名づけて【くまさんネックレス・二代目】!!」
「な、なんで勝手に作っちゃったんですかーーっ!?」
「リリアちゃんが可愛いのつけてたって、他の子からも評判だったんだよ! だから改良版を!」
差し出されたネックレスは、まさかの**目がキラキラ光る“動くくまさん仕様”**だった。
「……フットワーク軽すぎません!? 街の人たち!!」
リリアは頭を抱えつつも、心の奥でじんわりとしたものを感じていた。
(ほんと……みんな、優しいなぁ……)
リリアの帰り道は、カルシウムと美肌とくまさんでいっぱいの買い物袋を抱えながら、ゆっくりと続いた。
リリアは空を見上げて、ふわりと笑う。
「絶対に、守ってみせるからね。この街を——みんなを」
その言葉が夜空に溶けるように響いた瞬間、風がやわらかく頬を撫でた。
ふと気づけば、辺りはすっかり暗くなり、街灯に明かりが灯り始めていた。
帰り道、石畳の小道を曲がった先、広場の片隅に数人の子どもたちが輪になっていた。
その中心には、古ぼけたローブを羽織った老いた語り部が、いつものように昔話を語っている。
「——はるか昔、人の世とはまるで違う、もうひとつの世界があったそうじゃ」
リリアは立ち止まり、少しだけ距離を置いてその話に耳を傾ける。
「そこは、“ワールドエンド”と呼ばれる渦の向こうにある……魔力に満ちた異世界じゃよ。普通の人間は近づくだけで塵になるとも言われておる……」
「えー!ほんとにあるの!? その世界って、誰か行ったことあるの?」
子どもが目を輝かせて聞くと、老人はふっと微笑みながら、首を横に振る。
「誰も戻ってこなかったからのう……。でも、“向こう側”から来た者はおる。……たとえば、竜の血を引くものや、魔神の眷属と呼ばれる連中じゃな」
リリアはその言葉に、心のどこかがピクリと反応するのを感じた。
(ワールドエンドの向こう……?)
フィーネが小さく囁く。
「君も、いずれ知ることになるよ。世界の外側に、何があるのかをね」
リリアはもう一度、空を見上げた。
今はまだ、星の瞬きしか見えない夜空。
けれど、その向こうに何があるのかを——少しずつ知りたいと思った。
ギルドの扉を開けると、まっさきに聞き慣れた声が飛んできた。
「リリアー!俺たちの分のパンも買ってきてくれた!?」
ユージンが両手を振りながら走ってくる。
リリアは苦笑いを浮かべながら、そっと荷物袋を見せた。
「……ないよ?」
「えっ、なんで!?」
「チヤホヤされすぎて……あんぱん食べながら歩いてたら……気づいたら全部なくなってた……」
「どんだけ無意識で食べたんだ!?」
突っ込むユージンの背後から、アレンが呆れたように肩をすくめる。
「リリア、おまえ今日は“戦利品多めのモンスター”みたいになってたぞ」
ルーシーがクスクスと笑いながら、軽く肩を叩いてくる。
「チヤホヤされすぎてアイドルみたいだったよー!」
「もうやだ……次からお買い物は変装して行こう……!」
仲間たちの笑い声に包まれながら、リリアは肩をすくめた。
そして、心の奥で思う。
(でも……こうして笑い合える今が、すごく幸せ)
だからこそ、守りたいと思う。
この街も、人々も、そして——この仲間たちとの日々も。
それが、リリアの“ちいさな決意”となって、今日も静かに積み重なっていくのだった。