溢れる魔力
ギルドの扉が勢いよく開かれた。中にいた冒険者たちが一斉に視線を向ける中、1人の男が息を切らせて駆け込んできた。
「た、たすけてくれ! 街道で……魔獣の群れに襲われた! 仲間が、囮になって……!」
男は肩で呼吸を繰り返しながら、涙交じりに訴えかけてきた。
「落ち着いてください!」
ギルドの受付嬢がすぐさま前に出て、男の腕を支える。
「場所はどこですか? 魔獣の数と、護衛の戦力は?」
「北の旧街道……五人で護衛してたが、奴らの数が多すぎて……! みんな、逃げろって俺だけ……!」
すぐさまギルドマスターに状況が伝えられ、冒険者たちの間に緊張が走った。
「この案件、Eランク以上に限定。即時対応クエストとして発令する」
ギルド職員が声を張り上げる。
「行きます!」
一番に名乗りを上げたのは、ルミナスブレイブだった。
アレンが勢いよく前へ進み出る。
「俺たち、訓練で鍛えてきました。今こそその成果を試す時です!」
ユージンも拳を握りしめる。
「間に合うなら、やるしかねぇだろ!」
「助けられる人がいるなら、絶対助けたい!」
ルーシーも力強くうなずいた。
(……この空気、みんなほんとに変わったな)
リリアは小さく息を吐き、仲間たちの背を見つめる。
《どうやら、“少しだけ”本気を出すことになりそうだね?》
リリアの精神の奥で、精霊・フィーネの声が響く。
「やだなぁ……ほんとに、少しだけで済めばいいけど……」
リリアは腕輪にそっと手を添えて、仲間の後ろに続いた。
かくして、ルミナスブレイブは現場へ急行する。
これが、“魔力の揺らぎ”の始まりになるとも知らずに――。
山の霧が薄くかかる旧街道の奥で、何人かの冒険者たちが必死に戦っていた。剥き出しの岩肌、折れた木々。そこには、まるで自然の怒りが吹き荒れたような光景が広がっている。
「くそっ……! もう持たねぇぞッ!」
護衛にあたっていたパーティの1人が、肩から血を流しながら叫んだ。魔獣たちの咆哮が響き渡る。黒い毛並みに鋭い牙、二足歩行の異形。見た目は獣だが、どこか異質な魔力の気配が漂っている。
「援軍だ!!」
その声と同時に、空気が一変した。
「ルーシー、支援頼む!」
「了解、速度強化、展開!」
足元の魔方陣が輝き、アレンの動きが一気に加速する。
「——ブレイズラッシュ!」
燃え上がる炎の連撃が、魔獣たちの前衛を一気に焼き尽くした。
「ユージン、左からくるぞ!」
「任せろ、バリア展開ッ!」
魔獣の爪がルーシーに迫る瞬間、ユージンの局所防御魔法が盾となって受け止める。
その背後では、リリアが冷静に魔力をコントロールしていた。
(ここはこのくらい……少し強めでも、まだバレないはず)
リリアの魔法が、範囲ギリギリで魔獣の動きを封じ、仲間たちの攻撃を通しやすくする。
「連携、完璧すぎる……!」
救出された冒険者たちが、茫然とその光景を見つめていた。
「……あれが、Eランク? いや……まるで中級以上の戦闘だろ……!」
戦いは、わずか数分で終わった。訓練で磨き抜かれたルミナスブレイブの連携は、今や“偶然の連携”ではない。“確信の戦術”として成立していた。
しかし——
その誇らしい空気を、次の瞬間に押し潰すような、異様な気配が辺りに立ち込め始める。
救出任務がほぼ完了し、周囲の魔獣も一掃されつつあったその時だった。
「背後だッ——!」
森の奥から、突如として空を割くような咆哮が響く。瞬間、黒い霧のような魔力を纏い、銀白の毛並みを持つ四足の獣が木々をなぎ倒して飛び出してきた。
「——幻獣!?」
アレンの叫びに、全員の血の気が引く。
その幻獣は、味方パーティの負傷者を狙って一直線に跳躍した。
「間に合えっ——!」
リリアが咄嗟に前に出て、防壁魔法と攻撃魔法を同時に発動。手にした杖から光が放たれ、稲妻のように地面を走る攻撃魔法と、仲間を包む光の防壁が瞬時に展開される。
だが——
「……っ、しまった!」
魔力制御に集中しきれなかったその一瞬。リリアの体内から、**本来封じていたはずの“莫大な魔力”**が一気に漏れ出した。
ぶわっと風が逆巻く。
空気が、空間が、重くなる。
「な、なんだ……この圧……!」
仲間も敵も、息を呑み、動きを止めた。森のざわめきが消えた。幻獣すらその場で足を止め、金色の瞳を見開き、微かに震えた。
——まるで、絶対者の前に立たされたような、本能的な恐怖。
その沈黙の中で、フィーネの声が、リリアの意識にそっと響く。
「出ちゃったね。うっかりは、誰にでもあるよ?」
リリアはぎこちなく笑った。
(やば……見られてないよね?……いや、これ、さすがにちょっと出しすぎたかも……)
幻獣は明らかに戦意を失っており、攻撃の気配もまるでない。まるで、自分より格上の存在に膝を折るように、静かに身を縮めていた。
その時——
「下がれッ!!」
ギルドマスターの一喝とともに、空間が大きく揺れた。
次の瞬間、幻獣は結界に包まれ、動きを完全に封じられる。ギルドマスターの登場により、状況は一気に収束へ向かった。
リリアは少しホッとしつつも、マスターの視線が自分に向いているのを感じる。
——鋭く、しかし、どこか穏やかな視線。
「……あの魔力。まさか、な……」
岩陰で状況を見ていたロキが小さくつぶやいた。何かを思い出すような、確信を探るような眼差しだった。
ギルドマスターもまた、空気に残る魔力の余韻を感じ取り、微かに目を細めた。
(……あの子、やはり普通じゃない)
だが、あえて言葉にはしない。
——今はまだ、気づいていないフリをする時だ。
「リリア、最後のあれ、すっごく助かったよ!でも……無理してない?」
ルーシーが駆け寄ってきて、心配そうにリリアの顔をのぞき込む。
「うん、大丈夫。ちょっと焦っちゃっただけ……」
そう答えるリリアの顔には、どこか安堵と苦笑の入り混じった表情があった。
「本当によかったよな〜!リリアの防壁、すっげぇ頼もしかったぜ!」
「まさか幻獣が出てくるとは思わなかったけど、こうして無事でよかったよ……」
アレンやユージンの声も、どこかほっとしたような響きがあった。みんなが笑っている。和やかで、温かな空気が流れる。
(……よかった。誰にもバレてない)
胸を撫で下ろすリリア。
けれど、その脳裏に小さな声が囁く。
『……君が自分のことを隠してるつもりでも、世界は見逃してくれないかもね?』
それは、リリアの中にいる“フィーネ”の声だった。
(……ほんと、それだけは勘弁してほしいよ)
リリアは苦笑しながらも、どこか心の奥に不安の影を落とす。
そのころ、少し離れた場所で。
「……あれは、間違いない」
このクエストで偵察隊に任命され、岩陰で戦いを見守っていたロキが低くつぶやいた。真剣な目で見つめる先には、かつて数人しか感じ取ったことのない、圧倒的な魔力の痕跡が淡く残っていた。
「なるほど……それが、君の見た“魔力の揺らぎ”か」
ギルド本部の執務室。ロキの報告を受けたギルドマスターは、しばし静かに思案した後、懐から古びた名簿を取り出す。
その一角にある名前を、指先でそっとなぞる。
——リリア・エルフィス
「……この名が、ギルドの歴史に記録される日も、そう遠くないのかもしれないな」
窓の外を見つめるギルドマスターの横顔は、どこか懐かしさと緊張感を帯びていた。
そう、まだ彼女は知らない。
“特別”であることが、世界そのものの流れを変えてしまうということを——。