第66話 貴女の為に風は吹く
△△(side:レン)
「おやおや、妹を囮にしてとうに身を暗ませたと思ってましたが。こうして私の前に姿を表すあたり、最低限の勇気は持ち合わせているようですなぁ、ヒナミナ殿」
金色の鎧を纏ったフウカさんの身体を操る怪物、サタンはわたくし達の姿を確認するとクレイさん達への攻撃を中断し、大仰な振る舞いで語りかけてきました。
「ごめん、レンちゃん。不意打ちが出来ればベストだったんだけど、抑えきれなかった」
「いいんです、ヒナミナさん。私にとってもクレイさんは大事な義妹ですし、それに身を削ってわたくし達を助けてくださったガイア様を見捨てる事なんて出来ませんから」
サタンの挑発にも反応せず謝罪をしたヒナミナさんにわたくしは軽く笑って返します。
本当はサタンに呼びかける少し前にわたくし達はこの戦場に戻っていたのですが、クレイさん、そしてガイア様を始めとする【雌伏の覇者】が中心となって編成された小隊の方々を巻き込まない位置取りを探すのに手間取り、お二人には大きな負担を強いてしまいました。
それで魔力が尽きてしまったクレイさんを庇う為に声を上げられたヒナミナさんを誰が責められると言うのでしょうか。
「無視ときましたか、まぁ良いでしょう。もはや障害は貴女方のみ。ここで舞台を降りて頂くとしましょうか。【百万の剣】!」
サタンがパチンと指を鳴らすと彼女の身体から大量に放出された金色の魔力が空へと溶け消え、その数秒後に数多の剣が現出しました。
その数はクレイさん達へ放っていた物とはまさに桁違いであり、まるで現れた剣が空一面を塗り潰すかのようです。
わたくしもヒナミナさんもクレイさんの【真炎】程の優れた防御魔術は習得していません。
物量で押せば確実に殺せる、そうサタンは判断したのでしょう。
「……いきます」
そんな絶望的な状況を前にわたくしは半身に構え、スッと右の掌をサタンへと向けました。
ヒナミナさんはそんなわたくしを支えるかのように後ろから抱きしめると、同じく右の掌をわたくしの掌へと重ねます。
最後の一撃が放たれる直前、わたくしはヒナミナさんと一緒に立てた作戦を思い返していました。
◇
「わたくしが直接魔術でサタンを倒すのですか!?」
ヒナミナさんから伝えられた計画を聞いてわたくしは動揺を隠す事が出来ませんでした。
今までの経験上、どうしようもない強敵と戦う際はヒナミナさんがわたくしの魔力を受け取る事が前提だと思い込んでいた為です。
「うん。今まで何度も使ってきた魔力を譲渡する魔術に関してだけど、あれは常時他人の魔力を自分の物として変換し続ける必要がある結構な高等技術なんだ。つまり––––」
「ヒナミナちゃんがレンちゃんの魔力を自分の物に変換して撃つよりも、レンちゃん本人がそのまま全力で魔術を行使する方が変換の手間がない分、威力も出るという事ですね」
ヒナミナさんの言葉をカリン様が引き継ぎました。
いえ、ですがしかし……。
「あの……どう考えてもわたくしにヒナミナさん以上の威力のある魔術が放てるとは思えないのですが」
ヒナミナさんの理論が正しいのならばわたくしは武闘大会の時はガイア様相手に勝利できていたでしょうし、超雷龍との戦いもわたくし一人で勝てたという事になってしまいます。
そもそもヒナミナさんに造って頂いた魔力器官は一度に使える魔力量に制限がありますし、前提からして無理があるように感じられました。
「君とボクとの魔術の威力の差は単純に魔力操作能力の精度の差にすぎないよ。大丈夫、魔力量の制限は一時的に解除するし、魔力操作能力も僕が補うから。それに––––」
ヒナミナさんはわたくしの肩に手を置くと、透き通った蒼の瞳をわたくしの目線に合わせます。
そこには一切の迷いも雑念も感じられず、ただただ強い決意のみが現れていました。
「ボクはレンちゃんも、フウカちゃんも、そしてボク自身も死なせる気はない。絶対皆で生きて帰るんだ」
◇
「……!」
ヒナミナさんの掌がわたくしの掌に重ねられた瞬間、彼女と繋がったという感覚がありました。
わたくしの翡翠色の魔力、ヒナミナさんの蒼色の魔力、そしてサタンの持つあらゆる混沌が入り混じったような強大な魔力。
その全てが正確に感じ取れるようになったのです。
「準備はできた。あとはレンちゃんに任せるよ。君が思い浮かべた、君だけの最強の魔術を」
首筋にヒナミナさんの吐息を感じながら、わたくしは魔力を練り始めます。
すると、一瞬にして完成された魔力が掌に集まったのが理解できました。
これが、おそらく世界一の魔力操作能力の持ち主であろうヒナミナさんの感覚……否、技術!
「わたくしにとっての魔術の始まりはヒナミナさんです。貴女がいてくれたからこそ、わたくしは強くなれた。ですから––––」
その恩に報いましょう。
わたくしの一番好きな人に幸せが訪れますように。
「この魔術はヒナミナさんに捧げます。倒すべき相手でもなく、救うべき相手でもない、たった一人の頑張り屋な女の子の為に、わたくしは全てを捧げます」
ヒナミナさんが息を呑む音が聞こえました。
そして動きがあったのは彼女だけではありません。
「死ね!!!」
サタンが腕を振るうとそれに呼応するかのように、空一面を塗り潰すかのように配置された金色の剣がわたくし達に向かって殺到しました。
迫りくる圧倒的な『死』に対してわたくしはただ一言、魔術名を唱えます。
「【東より来たる風】」
風が吹きました。
翡翠色にほんの少しだけ蒼を加えたそれはゆらゆらと揺らめいて。
ともあればすぐに消えてしまいそうなそよ風はサタンの放った剣に触れた瞬間、爆発的に肥大化し――
その一切合切を全て飲み込み、塵へと変えました。
「なんだと!?」
戦闘を開始してから初めて、サタンから驚愕の声が上がりました。
おそらく必殺のつもりで放ったであろう全力の一撃があっさりと掻き消された事に動揺したのでしょう。
ですがわたくしの持てるありったけの想いを乗せた魔術はそれだけでは止まりません。
全ての剣を喰らい尽くした翡翠色の風はそのままサタンを目掛けて突き抜けていきました。
「【絶対の盾】!……バカなッ!!?」
己の身を守る為、咄嗟に生み出した金色の大盾も翡翠色の風に触れた瞬間、粉々に砕け散ります。
そしてついにサタンの下へと到達した翡翠色の風は彼女が身に纏う金色の鎧を土塊に変えて消滅させ、その四肢を拘束しました。
「こんな事があっていいはずがない!チィッ、放せえええええええッ!!!」
ガネットとの戦いで焼失したのでしょうか。
サタンは鎧の下に服を着込んでおらず、まだ幼さの残る身体には二つの大きな赤い魔石が埋め込まれており、より異質さが際立っています。
「ありがとう、レンちゃん。【水刃】」
わたくしに礼を述べたヒナミナさんは折れた刀に魔力を這わせて水の刃を創り上げると、ゆっくりとサタンの下へ歩みを進めていきました。
拘束された事で自由を奪われたサタンはヒナミナさんを真紅の瞳で睨み付け、治癒魔術によって強化された身体能力を用いて枷から逃れようとしますが、ビクともしません。
「やめろ!私は1000年もの時をかけてようやく己の望む身体を手に入れたのだ!こんなところで––––」
「1000年も齢を重ねてきたご老体が10代の女の子の身体に執着するとか生きてて恥ずかしくないの?さっさと成仏してフウカちゃんの中から出てけ!」
一閃。
振り下ろされた水の刃はフウカさんの身体を傷付ける事なく、二つの赤い魔石のみを正確に打ち砕きます。
魔石を砕かれた瞬間、フウカさんの身体はプツリと糸が切れたように脱力して首が垂れ下がり、彼女を覆っていた混沌とした魔力もフウカさん本来の物だと思われる翡翠色の魔力のみを残して空へと溶け消えていきました。
◇
「フウカあぁッ!!」
「クレイちゃん、まだ……」
やはり、というべきでしょうか。
サタンが倒れてからさいしょに動いたのはクレイさんで、まだ警戒を解いてないヒナミナさんが止める間もなく、彼女はサタン……フウカさんに走りよって抱きつきました。
以前わたくしの魔術によって四肢は拘束されたままですし、目に映る魔力の色も正常である事から今の彼女はフウカさんの可能性が高いとは思うのですが……大丈夫でしょうか?
「フウカ!お願い目を開けて!」
クレイさんはフウカさん(仮定)の肩を掴むとガクガクと振り回し、その度にフウカさんの頭が縦に横にと物凄い勢いで揺さぶられます。
……なんだかクレイさんよりフウカさんの方が心配になってきました。
「んん……ふえぇ?」
「フウカ!」
程良い気付けになったのか振り回されていたフウカさんの眼が開きます。
幸い、その大きな真紅の瞳から狂気の光は感じ取る事が出来ません。
「あぁ、クレイだぁ」
真っ白な髪の衣服を纏っていない少女はクレイさんの姿を見つけると、力なく微笑みます。
「フウカね、ずっと嫌な夢を見ていたの。クレイもヒナ姉様もいなくて、フウカだけが真っ暗な世界で一人ぼっちで……今度はいい夢を見れるといいなぁ」
小さな声でそう呟くと、フウカさんは安らかな笑顔のままその瞳を閉じました。
……まさか本当に!?
「うわああああっ!嫌だ!!嫌だ!!!死んじゃやだよぉ!!!」
すっかり脱力したフウカさんの身体をクレイさんは大声を上げて泣き叫びながらひしと抱きしめました。
悲しみのあまり加減ができないのか、ミシミシと嫌な音が聞こえてきます。
心なしか眼を閉じたフウカさんの笑みもだんだんと苦しげな物に変わっているような?
「落ち着いてクレイちゃん!ひとまずボクが診るから」
そう言ってクレイさんをフウカさんから引き離したヒナミナさんは彼女の首筋に手を当て、その次に口元に掌をかざしました。
数秒後、ヒナミナさんの表情が緩み、穏やかなものに変わります。
「大丈夫、疲れて寝てるだけみたい。とはいえ変な物を身体に埋め込まれてたんだし、まずはカリンさんに診せてから街に戻って治療を――」
「うわあああああん!!良かったよおおおぉっ!!!」
歓喜したクレイさんが再び抱きしめた事でまたフウカさんの身体から嫌な音が聞こえてきます。
「クレイちゃん落ち着いて。フウカちゃんが苦しんでるから」
ようやく落ち着きを取り戻したクレイさんがその背にフウカさんを背負ったちょうどその時、魔の森に眩い朝日が差し込んできました。
長い夜が終わったのです。
かくして100年に一度の【月が一番大きい日】、のちに『最初で最後の大魔王』と呼ばれる事になるサタンとの戦いは一夜にして終わりを迎えたのでした。
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本作で戦闘描写のあるシーンはこれで最後となります。
本編はもうちょっとだけ続きますのでお付き合い頂ければ幸いです。