第62話 巫女さん、大魔王に立ち向かう
「ぐえっ!」
予想していた結末は訪れなかった。
代わりに一瞬の浮遊感、そして地面へと無造作に投げ出された衝撃。
俺様が上を見上げるとそこには白衣に蒼い袴を身につけた女––––膨大な蒼色の魔力を放出するヒナミナの姿があった。
「カリン様、お兄様のお怪我をお願いします」
「えぇ、分かりました。【回復】」
ヒナミナの妹に背負われたレンによって指示された聖女カリンが俺様に触れて治癒魔術を唱える。
すると一瞬で痛みが消え、あっという間に魔王の野郎に引きちぎられた腕が再生した。
失われた部位の再生はバレス邸専属の治癒師どももできないって事はねぇが、再生にかかる速度に関しては雲泥の差だ。
「レンちゃんに感謝しなよ、ガネット氏。ボクは君の事なんて嫌いだし、命令無視して魔王に突っ込んだ結果、本隊を半壊させた君を助ける義理なんてまるでなかったんだから」
「んだとぉッ!?」
思わずレンの方を見るとあいつはバツが悪そうにして俺様から目を逸らしやがった。
この俺様がレン如きに命を救われたっていうのかよ……!
「ガネット氏、君は本来ならレンちゃんから恨まれて復讐されたって文句の言えないような言動ばかりしているどうしようもない人間だ。だけどあの子は君に対してせいぜい『足の小指を強打すればいいのに』程度の陰口くらいしか言わなかったよ。本当に優しすぎて涙が出ちゃうよね」
レンのやろう、この俺様に向かって足の小指を強打しろだとか陰湿すぎんだろ。
……ちっ、このクソ陰キャ女が。
「さて、向こうもそう長い時間待ってはくれないだろうし、そろそろボクは行かせてもらうよ。レンちゃん、クレイちゃん、カリンさん、あとは頼んだよ」
「ヒナミナさん!どうかお気を付けて!」
「頑張って、ヒナねぇ!」
「来てくれて助かりましたよ、ヒナミナちゃん。ご武運を!」
ヒナミナはレン達の声援を背に受けると、目にも止まらぬスピードで走り去り魔王の目の前まで直行していった。
おい、目にも止まらぬっつうかガチで見えなかったぞ。
……こいつもあのメスガキ魔王と変わらないバケモンって事かよ。
ヒナミナと魔王が対峙する最中、俺様達の下へ駆けつけてくる奴がいた。
こいつらの所属している隊でおそらく指揮をとっていたであろう、兵士長のラッドだ。
「報告します、レンお嬢様。指示通りジェイル殿の隊と協力して本隊の負傷兵の回収はほぼ終わりました」
なっ!?レンがトップとして指示を出してたってんのかよ!
ラッドてめぇ、腐っても兵士長だろ?
15歳のメスガキに顎で使われるとかプライドってもんはねぇのか?
「ご苦労様です、ラッドさん。負傷兵を街まで運び終わった後はお父様の意識が戻られていた場合、彼からの指示を。無理だったら怪我人の治癒が完了次第、動ける者と共にジェイル様の隊に加わり、協力して発生する魔物の対処に当たってください」
「ハッ!了解しました、レンお嬢様!」
俺様は淀みなくラッドに指示を出すレンを呆然として見つめていた。
戦場での部下に対する命令やら何やらはいつも親父殿が請け負っていて俺様は覚える気すらなかったが、レンの立ち振る舞いは親父殿と比べてもそう劣っているようには見えない。
そもそも命がかかっている以上、あまりにも的外れな命令をするようならラッドも何かしらの修正を求めているはずだ。
こいつ、ここまでできる奴だったのか……。
「それとお兄様を安全な場所まで運んでください。ここにいたら戦いに巻き込まれてしまいますから」
「……承知致しました。ガネット様、失礼します」
露骨に嫌そうな顔をしながらも命令を受けたラッドは尻もちをついた俺様を引き起こして背負う。
ラッドによって戦場から運ばれる最中、俺様は遠くなっていくレンの背中に嫌味の一つすら言う事ができなかった。
△△(side:レン)
魔王を発見したという本隊からの伝令を聞いて直行。
そしてほぼ壊滅状態にあった本隊の兵士達の救助。
そして最後の負傷兵であるガネットが戦場を離れてからもまだヒナミナさんと金色の鎧に身を包んだ異形、魔王の戦いは始まっていませんでした。
始まっていないとはいっても当然、ヒナミナさんは彼女が好んで使う刀を肩に担ぐようにして構える八相の姿勢を取っており、臨戦状態ではあるのですが。
「なぜヒナミナさんは仕掛けないのでしょうか?」
今のわたくしはヒナミナさんに魔力を譲渡した事もあって、疲労で満足に動けず、クレイさんに背負って頂いている状態です。
何もできない歯痒さからつい、不安が溢れてしまいました。
「後ろから見てただけの私の主観で申し訳ないですけど、あの魔王はスレットやミーバルとは格違いに強かったですからねぇ。今のヒナミナちゃんと言えど迂闊には動けないんじゃないかなぁと思います」
わたくしの呟きにカリン様が反応を返します。
彼女に対してわたくしは負傷兵の治癒はあくまで重体な者のみに限定して行うようお願いしました。
卓越した治癒能力を持つカリン様には魔王との戦いで負傷する可能性があるヒナミナさんの為に魔力を温存しておいて欲しかった為です。
今思えば本隊の指揮を取っていたお父様に対しては完全な治癒をお願いしておいた方が良かったのかもしれません。
「……ええと、レンちゃんは相手の魔力量を視る事ができないんでしたっけ?」
「お恥ずかしながら」
カリン様の問いに答えつつ、わたくしは魔術の基礎的な知識を頭から引っ張り出しました。
ある程度の魔力量を有しつつ、魔力操作能力に優れている魔術師はおおまかにではありますが相手の魔力量を推し量る事ができると言われています。
ですがわたくしの場合、ヒナミナさんの手によって造って頂いた人造の魔力器官はその操作能力に限界値があるそうで、カリン様やクレイさんのように相手の魔力量を推察したり、細かい制御をする事は難しいのが実情なのです。
「なるほど、それなら仕方ないですね。……あの魔王ですけど、たぶんレンちゃんの倍近い魔力量を持ってるみたいです」
「わたくしの倍ですか!?」
カリン様から頂いた情報にわたくしは驚愕するばかりでした。
わたくしの魔力量は28000。
これは常人のおよそ280倍もの値であり、今目の前にいる存在を除くとわたくしは世界一の魔力量を保持する魔術師という事になります。
そんなわたくしの倍近い魔力量を持つという魔王。
わたくしと違い、魔術操作能力に制限がないと考えればもはやそれだけで脅威と言える存在です。
「ヒナミナさんは大丈––––
わたくしが言葉を発したその時、耳を劈くような金属音が鳴り響きました。
ヒナミナさんの振るう刀と鎧を身に纏った魔王の拳が交差したのです!
激突後にすぐさま二人は距離をとると、そのまま辺りを超高速で旋回しながら何度も刀と拳を打ちつけ合います。
「これは……」
ヒナミナさんと魔王の戦いはまさに次元が違うとしか言えないような物でした。
その速度は圧倒的で、動体視力に優れているわたくしの眼ならば何とか捉えられている、というよりただ運良く視界の範囲内に収まっていただけというのが実情です。
ヒナミナさんは足元から水の魔術を噴出して加速しつつ、攻撃の際にも脱力を軸とした体術に加えて水の魔術を併用する事で更に速度をあげた斬撃を繰り出しますが、魔王はその猛攻にきっちり対応しているように見えました。
どうやら彼?は元々の凄まじい身体能力に加えて風の魔術を併用する事でヒナミナさんに匹敵する速度を出す事が可能なようで、それだけで既に異常な戦闘能力を持っている事が伝わってきます。
また彼は風属性の魔術だけでなく、合間に金属を生み出して攻撃する地属性の魔術を行使している事からおそらく魔王スレットとも何らかの接触があった事が推察できました。
「……なんだかアイツを見てると胸がそわそわする。ごめん、カリンお姉さん。レンねぇの事お願いしてもいい?」
「えぇ、任せてください!」
二人の戦いを見て何かを感じ取ったクレイさんがわたくしを背負う役目をカリン様へと託します。
既に何度も治癒魔術を使っている彼女にこれ以上負担をかける事を申し訳なく感じたわたくしは断って自分の足で立とうとしましたが、カリン様はその細腕で易々とわたくしの身体を背負われてしまいました。
どうやら前に魔王ミーバルが使用していたという身体能力を強化する治癒魔術を習得したらしく、彼女の向上心、そして才能には驚かされるばかりです。
幾度とない衝突の後、再び両者が向き合ったその時、魔王の口から言葉が溢れました。
「いやはや、流石は融合魔龍を打ち倒した英雄。さきほどの羽虫とは大違いですな」
金色の異形から漏れた声は意外にも幼い少女の物でした。
ヒナミナさん、そしてわたくしの隣にいるクレイさんから緊張が伝わってきます。
「……君は?」
警戒するヒナミナさんに魔王は優雅に礼を返しつつ答えます。
「【大魔王】、とでも名乗っておくとしましょう。私を創った者はそう名付けていたのでね」
大魔王。
金色の異形から漏れたその名称は御伽話に出てくる古き魔王の名でした。
「こうしてお会いするのは2度目、いや3度目でしたな。ヒナミナ殿?」
全身を金色の鎧で纏っている為、表情は伺いしれませんが、その幼い声音は歓喜に満ち溢れているように感じられました。
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レンの動体視力がいい設定は自身の戦闘に役立てる為というよりはヤ〇チャ視点にならないようにする為ってのが大きいです。