第56話 巫女さんとデート
「ハァッ!」
ヒナミナさんが訓練用に刃が潰された刀を横薙ぎに振るうとカンッ、と鈍い音が鳴ると共に向き合っている兵士の手から剣が零れ落ちました。
武器を取り落とした兵士はそのまま手を上げて降参の意を伝えます。
現在、わたくしとヒナミナさんはバレス邸本館にある訓練場におり、今はちょうどヒナミナさんと兵士の模擬戦が終わったところです。
離れに引っ越してから修練の為にこの訓練場を度々使わせて頂いているのですが、わたくし達の中でも国内最強と謳われたガイア様を下し、兵士達からも嫌われているガネットを2度に渡って倒したヒナミナさんの人気は凄まじい物があり、今回のように彼女は頻繁に模擬試合を申し込まれるようになったのです。
「参りました、ヒナミナ殿。私も剣の腕にはそこそこ自信があったのですが、貴女と斬り結ぶにはまだまだ未熟だったようです」
「そんな事ないよ、ラッドさん。あなたは十分強いしこちらとしても対人戦の練習になるしでボクとしても有り難かったよ。また今度やろうね」
「えぇ、喜んで」
ヒナミナさんが差し出した手を30代半ばの茶髪の男性、ラッドさんが頬を赤らめながら取りました。
ラッドさんは戦力指数Bランクの中でも上位の実力者で、バレス邸では兵士長を勤めている方(ちなみにお父様は兵士全体の統括という立ち位置)です
。
それにしても……仕方ないのですが、殿方がわたくしのヒナミナさんの手を握られているのを見せつけられるのはちょっとだけ妬けてしまいますね。
「お疲れ様です、ヒナミナさん。今日は仕事休みですし、そろそろ休憩なさいませんか?」
濡れたタオルを渡しつつ、ヒナミナさんに声をかけます。
受け取ったタオルで顔を拭い、一息ついたヒナミナさんの横顔はどこか色気があって少しドキドキしてしまいました。
「ありがとうレンちゃん。午後からは待ちに待ったデートだし、余力はちゃんと残してあるから大丈夫だよ」
「もう、ヒナミナさんったら!」
そう!
今日はヒナミナさんとのお出かけデートの日なのです!
◇◇
「はぁ〜面白かったですね!」
「そうだね。役者さん達の、特に主人公である少年を演じてた人の演技力が凄すぎて最後まで目が離せなかったよ。バレス領は娯楽も発展してるんだね」
ヒナミナさんとのデートは順調に進んでました。
現在は貸本屋さんで立ち読みして気に入った小説のシリーズを全巻購入して、部屋に飾る為の植物をお花屋さんで見繕って、そして劇場で歌劇を観賞し終わったところです。
「主人公の子は男性だったけど、性別を除けばレンちゃんと結構立ち位置が似てた感じがあるよね。そのせいもあってつい話にのめり込んじゃったよ」
「わたくしにですか?」
「うん。魔力量が0で貴族の実家を追い出された男の子が独学で剣の修行を続けて剣聖と呼ばれるまで成長し、最後には魔王を打ち倒して祖国を救う英雄となる。何だかレンちゃんに似てると思わない?」
「うぅん、そうでしょうか?わたくしは物語の彼のような努力家でもないですし、あそこまで過酷な環境にいた訳でもないので今一つピンと来ないですね」
歌劇の内容はよくあるサクセスストーリーで追放された貴族という点ではわたくしと被る点もありますが、わたくしの場合、魔法が使えるようになったのはヒナミナさんのお陰ですし、魔王ミーバルを打ち倒したのはクレイさんです。
放逐された時もガネットに燃やされたとはいえ、手切れ金を受け取っていますし、後でヒナミナさんから聞いた情報ですが一度セルバスさんがわたくしの様子を見に来たという事もあって、物語の主人公よりずっと環境的に恵まれていると言えました。
むしろ逆境からの大成という点で彼と似ているのはヒナミナさんの方ではないかと思った程です。
生贄にする為に集められた少女が義妹達と共に厳しい修行を経て最後には邪神を打ち倒し、現人神と崇められるようになる。
ヒナミナさんにとっては義妹であるフウカさんとの辛い別れの話である事もあって、当然そんな事は口には出せませんが。
「レンちゃんは努力家だし、十分過酷な環境にいたと思うんだけどなぁ。……あそこに喫茶店があるね。少し話したい事もあるし、ちょっと寄ってかない?」
「分かりました」
◇
立ち寄った喫茶店は洋風のインテリアがセンスよく配置された落ち着いた雰囲気のお店でメニューは洋食だけでなく、和食に準じた物もありました。
わたくしは紅茶とプディングを、ヒナミナさんは緑茶と大福餅をそれぞれ注文します。
同じ物を注文しても良かったのですが、互いに違う物を頼めばシェアできてわたくしが楽しいのでそうしました!
「うん、やっぱりちゃんとしたお店なだけあって美味しいね。それでさっき言ってた話なんだけど––––」
緑茶を啜り、大福餅を一つ食べ終えてからヒナミナさんが真剣な表情で語り始めます。
……それほど重要なお話なのでしょうか?
「【月が一番大きい日】を乗り越えたら一度、日陽に帰ろうと思ってるんだ。それで––––」
「わたくしも付いていきます!」
前のめりになりながら勢いよく机をバン!と叩いたわたくしにヒナミナさんは一瞬キョトンとした表情になったものの、ニッコリと微笑んでくださりました。
「ありがとう。ダメ元で同行を頼むつもりだったんだけど、先に言われちゃったね」
良かった。
最初からわたくしを置いて行くつもりではなかったのですね。
しかし––––
「あの、どうしてヒナミナさんは日陽に向かうおつもりなのでしょうか?あの国は故郷とはいえ貴女にとって辛い記憶のある場所なのではないですか?」
日陽は元々孤児であったヒナミナさん達は邪神の生贄とする為に集められ、そして激闘の末に大切な妹君であるフウカさんを失った場所です。
このバレス領で既に一定の地位を築いている彼女がどうしてわざわざ辛い思い出のある場所に帰ろうとしているのか、わたくしには分かりませんでした。
「最近はクレイちゃんの精神状態も安定してきたし、もう一度あの子と一緒にフウカちゃんを探そうと思ってね」
「……!」
つまりヒナミナさんはクレイさんの為に……。
「期間はフウカちゃんが見つかるか、クレイちゃんが自分なりに納得するまで。あの子はボクよりずっと心が強い子だからそれこそ年単位で探す事になると思う。だからもし付いてきてくれるなら、今のレンちゃんにとって大切な時期を台無しにしちゃう事になるけれど、本当に大丈夫?」
大切な時期というのは、先日ガネットが嫡男から外された事を意識して言われているのでしょう。
そうなると次に嫡子の座が回ってくる可能性が高いのはお父様の血を引いているわたくしという事になります。
ですがその可能性が実現するとなれば、それは【月が一番大きい日】に誕生するとされる新たな魔王を打ち倒し、その際に出た被害の復興を見届け終わってからというのが筋という物です。
魔王を倒したらそのまま別の国に移住して何年も滞在するなんて娘に次の領主の座など任せられないと周りが判断するのは当然の話です。
それでも––––
「わたくしは愛に生きる女ですから」
お金や地位、名誉がなくても好きな人に好きな気持ちを伝え、共にある事さえできればそれでいい。
わたくしはそういう女なのです。
「レンちゃん……」
ヒナミナさんがわたくしの瞳をジッと見つめ、優しく手を握ってくださいました。
嬉しくて心がほわほわしてきましたが、周りに人がいる今、雰囲気に流されてしまう訳にはいきません。
このまま手を握られているとわたくしは自分の欲望に抑えが効かなくなってしまいそうです。
「そ、そう言えばそのクレイさんですけれど、最近はカリン様と一緒におられる事が増えてきましたよね。ヒナミナさんとしてはどう思われているのですか?」
熱っぽくなった空気を変える為に前から少し気になっていた事を訊ねました。
最初はわたくしとヒナミナさんに気を使っていたように見えたクレイさんですが、カリン様からデート……交友に誘われるとほぼ確実に付き合っている事もあって、彼女自身もカリン様の事を受け入れているようにも見えます。
カリン様が優しく優れた治癒師である事は間違いありませんが、なにぶん女性への身体の接触が多い方なので姉君であるヒナミナさんがどんな心境であるのかは気になります。
「んー、カリンさんには感謝してるし、これからもできればクレイちゃんの事を気にかけて貰えればと勝手ながら思ってるよ」
「……意外ですね?ヒナミナさんはカリン様がクレイさんに近付こうとするのを快く思っていないと考えてました」
「最初に彼女と出会った時はクレイちゃんの事はあくまでお気に入りであって、別にそれはクレイちゃんでなくてもいいように感じたし、あと言い方はアレだけどあの子の身体を狙ってるようにも見えたからね。だから今みたいに真剣にクレイちゃんと付き合いたいと考えてるのなら止める理由もないよ。それに––––」
ヒナミナさんはわたくしから目線を外すと、小さな声で続けます。
「恋愛の一切合切を諦めるには、クレイちゃんはあまりにも若すぎるからね」
あぁ……。
今の一言だけで理解できました。
ヒナミナさんはフウカさんの生存を完全に諦めているのですね。
「いつまでも一緒にいられたらいいのに」
「わたくしはいつまでもヒナミナさんのお側にいますよ」
握られた掌にもう片方の手を重ねます。
迫りくる【月が一番大きい日】を乗り越えたとしても、冒険者という少なからず危険性のある職業についている以上、絶対はありません。
それでも、わたくしは愛する人と共に生きていきたい。
そう願うばかりでした。
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日陽編はないです。
最終章ですからね!