第54話 令嬢、初めて兄妹喧嘩する
お待たせしました。
最終回まで毎日更新の予定です。
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「ふーん♪ふーん♪」
朗らかな日差しの下、わたくしは軽く鼻歌を口ずさみながらバレス領の繁華街を散策しています。
気分は上々、小脇に抱えているのは一冊の戦利品。
そう、今日は世界的に有名なベストセラー作家であり、戦力指数Aランクの冒険者を兼任されているユリスコン様の最新作、『薄汚い下民のお姉様がこんなに可愛らしい筈がないのですわ!』第3巻の発売日なのです!
この『薄汚い下民のお姉様がこんなに可愛らしい筈がないのですわ!』という作品についてですが、いわゆる女性同士の親愛及び恋愛が題材となっているラブコメディ(成人指定)で、さる貴族の血筋の本家の令嬢である意地悪な妹が主役となっています。
概要としてまず物語は公爵令嬢である主人公の父親(つまり公爵)が連れてきた少女、駆け落ちした公爵の兄と平民の女性との間に誕生したヒロインを本家の長女として迎え入れるところから始まります。
それによって自分の立場が脅かされると危惧した主人公はこの新しい長女を排除すべくあらゆる嫌がらせを決行するのですが、交流を続けていくうちにこの平民気質で天真爛漫な長女に絆されていき……というのが大筋となっています。
第2巻の最後ではついに主人公が長女を友人として認めたところで終わっていたのでとても続きが気になっていたのですよね……。
余談ですが、今回のお買い物はわたくし一人での行動となっております。
このような小説(成人指定)を購読している事がヒナミナさんにバレてしまったら、わたくしの事を欲求不満なはしたない女だと思われてしまうかもしれませんからね。
それだけは避けなければなりません。
本当はクレイさんやカリン様をお買い物にお誘いする事も考えたのですが、クレイさんは後でヒナミナさんに話が漏れそうですし、カリン様はわたくし達のいる離れではなく、本館に在住している為、下手に訪ねに行くとガネットお兄様と鉢合わせになってしまう可能性があった為思いとどまった次第です。
わたくしが本館を訪ねる事は特に禁じられている訳ではありませんが、不要なトラブルは避けるに越した事はありません。
それにしても、同じ身内の者に嫌がらせをしている者であるという共通点はあるにも関わらず、『薄汚い下民のお姉様がこんなに可愛らしい筈がないのですわ!』の主人公はいじらしく何だか放っておけないように感じられるのに対して、わたくしのお兄様は可愛らしいどころかただただ憎たらしくしか感じられないのは何故なのでしょうか?
……おそらく、物語の主人公と違ってガネットお兄様の性格が純粋に悪いのが要因なのでしょう。
あの主人公は嫌がらせする事自体を楽しんだりはしてませんでしたし、ヒロインである長女の認めるべき所は認めていましたからね。
そんな風に本人がいないところで彼の事を悪く考えていた罰が当たってしまったのでしょうか。
わたくしは今一番会いたくなかった人物と鉢合わせとなっていまいます。
「バーカァッ!ブゥースッ!!誰がこんな店来るかよ、ゴミが!!!」
突然大きな怒鳴り声が聞こえてきたと思えば、派手な様相の建物の中から赤髪赤目の見た目だけは麗しい青年、わたくしの兄であるガネットお兄様が大股でダンダンと音を立てながら現れました。
お兄様は建物の玄関に立てかけてある看板を蹴飛ばすと、店に向かって中指を立てます。
「えぇ……」
あまりに酷い彼の言動を見てつい声が漏れてしまいました。
蹴飛ばされた看板に目を向けると、どうやらこの建物は薄着の綺麗な女性が男性に身体的なサービスを行うのが目的のお店のようです。
……この方は真っ昼間から何をされているのでしょうか。
「あぁん?」
わたくしが声を出してしまったせいで気付かれたのでしょう。
お兄様はこちらを振り返ると眉をひくつかせながら、わたくしに近づいてきました。
この状況だとすぐに走って立ち去るのが正解だったのでしょうが、思わず目を背けたくなる惨状に呆然としてしまったわたくしはその機会を逃してしまいます。
「なんだなんだ?」
「あれは……レン様とクソガ――ガネット様?」
お兄様が大騒ぎしたせいか、道行く通行人の方々が足を止めて、その視線がわたくし達に集中しました。
これではそう簡単には逃げられそうもありません。
「こんな真っ昼間から遊び回ってるとはいいご身分だなぁ、ゴミ女。チッ、将来俺様のモンになる金で好き勝手しやがって。クソ居候風情が」
「……貴方がそれを言いますか」
「んだとぉッ!?」
下品で不愉快な言葉を投げかけてきたお兄様に、わたくしは戦利品を収納袋にしまいつつ、それ相応の言葉で返しました。
以前までならともかく、わたくし自身が一定の武力を身につけ、そしてヒナミナさんの手によって彼が2度に渡り心を折られたのを見た後では、もはや彼はわたくしにとって恐怖を抱く対象ではなくなっていたのです。
もちろん領民の目がある為、理不尽に対して頭を下げてやり過ごす事ができなかったというのもありますが。
わたくしが不甲斐ない姿を見せる事でヒナミナさんやクレイさんが肩身の狭い思いをするような事は避けなければなりません。
「わたくし達はお父様から申し込まれた契約の下にバレス邸の離れに在中していますし、娯楽に使う費用は自分達が冒険者としての労働によって得た対価によるものです。それに対してお兄様はいかがでしょうか。貴方は嫡男としての務めをきちんと果たされていると領民に向けて胸を張って主張できますか?その娼館でお遊びになられた費用はご自身の懐から出された物なのですか?」
「なんッ……」
ふう、言ってやりました。
わたくし自身の意思で彼に対して明確に反抗の意を示したのはおそらくこれが初めてだったと思います。
お兄様はそのお顔を真っ赤にされてわたくしを怒鳴りつけようとしたところで––––唐突に何かに気付いたかのように無表情になると、にやりと厭らしい笑みを浮かべました。
……なんでしょう、少し嫌な予感がします。
「クハハッ!なんだ、てめぇも好き物だなぁレン。女を買う俺様がそんなに羨ましかったか?なら血の繋がった兄妹としてのよしみだ。俺様がてめぇの為に丁度いい男娼を見繕ってやんよ」
「……はぁ?」
一体何を仰りたいのでしょうか、この方は。
わたくしに男娼を紹介するなどと。
そもそもわたくしにはヒナミナさんが––––
「あぁ、わりぃわりぃ!そういやてめぇはクソレズだったなぁ!?」
何を––––
「せっかくあんなデカい乳した容姿だけは極上の牝に取り入ったっつうのに、てめぇ自身も牝だから種付けの一つもできやしねぇんだ。クハッ、哀れなモンだなぁオイ」
何を言って––––
「ギャハハハ!こいつ泣いてやがる!!」
「え?」
指を指して泣いていると言われ、自分の頬を撫でてみると、掌が濡れた感触がしました。
これは一体?
「悔しいか?悔しいよなぁ!?てめぇもヒナミナもクソレズである以上、自分の血も残せねぇ欠陥品だ!いくら親父殿に気に入られようが、ガキの一つも作れやしねぇてめぇが嫡子になる可能性なんざ、万に一つもないと知りやがれカスが!!!」
お兄様……目の前の男に罵詈雑言を浴びせられつつも、わたくしは何故自分が涙を流すほどに心を乱したのか考え、そして一つの結論に至りました。
わたくしは––––ヒナミナさんとの間に子を為せないという事実にショックを受けていたのです。
そして、そんな事で動揺した弱い自分と、わたくしの好きな人を侮辱した目の前の存在に対して怒りの感情が沸いてきました。
「お兄様」
わたくし達の害になる者は排除しなければ。
強張っていた指を解いて拳を開き、脱力してこれからの行動への準備をします。
「歯を食い縛りなさい!」
「ぶべッ!?」
わたくしに頬を張られた事で《《ガネット》》は間の抜けた声とともにその頬を紅く腫らしました。
叩いた掌が痛い。
人を殴ったのはこれが生まれて初めてです。
「てッ、てめええええええええぇッ!!!」
激昂したガネットは拳を振り上げ、わたくしに向かって放ちました。
ですが––––遅い。
ヒナミナさん、そしてガイア様。
ブラン王国において最強と言っても過言ではないお二人からも認められた動体視力を持つわたくしにとって、素人同然であるガネットの一連の動作を見切るのは容易な事でした。
「ぐあッ!?」
ガネットが振り抜いた拳を躱しつつ、その手首をとって撚りながら自身の軸足を回転させる事でバランスを崩させ、転倒させます。
「ぎゃあああああぁッ!!?」
倒しただけで終わらせるつもりはありません。
そのまま手首を捻り続ける事でガネットは苦悶の声をあげました。
そしてわたくしは手首を折るべく、体重を––––
「レンお嬢様!それ以上いけない!」
目の前の痴れ者にトドメを刺そうとしたわたくしでしたが、後ろから何者かによって引き剥がされてしまいました。
振り返るとそこには眼鏡をかけ私服を着た素朴な風貌の青年がおり、ここでわたくしはガネットに監視役が付けられていた事を思い出します(第22話参照)。
言い争いだけならばともかく、殴り合いまでいくとなれば流石に見過ごす事は出来なかったのでしょう。
「ひぃッ!はぁっはぁッ……!ゴミ女がぁッ、ぶっ殺してやる!!【不死––––」
「【風玉】」
「ぐぼあッ!!!」
手首を抑えて立ち上がりながらも魔術を放とうとしたガネットに先んじてわたくしは彼に向けて魔術を打ち込み命中させました。
威力はともかく、魔術を発動させるまでの速度はわたくしの方が上ですし、当然の結果と言えるでしょう。
風の球体を胴体に受けたガネットは3m程吹き飛び倒れ込むと、そのままピクピクと痙攣を起こしています。
こうしてわたくし達の最初で最後の兄妹喧嘩はわたくしの勝利?という形で終わったのでした。
◇◇
「もう!ダメだよ、レンちゃん。ガネット氏の挑発にのってそんな危ない事するなんて!」
「ごめんなさい、ヒナミナさん……」
あの後、わたくしはガネットと共に本館の執務室でお父様から直々に事情聴取を受けてようやく解放され、今は迎えに来てくださったヒナミナさんと一緒に離れにある自室まで戻り、ベッドの上に並んで腰掛けています。
「ガネット氏の悪行の処理なんてボクか領主様に投げればいいんだからね?……ボクの為に怒ってくれたのは嬉しいけどさ」
「……はい」
ヒナミナさんに頭を優しく撫でられながら、わたくしは先程の出来事を思い返します。
事情聴取を受けた後、意外な事にお父様からは『処分なし』の判断を言い渡されました。
強いて言えば今後またこういった事が起きた場合、まずお父様に報告しろと忠告されたぐらいのものです。
何故お父様がこのような判断に至ったのかと言いますと、わたくしに挨拶したらいきなり殴られた上に魔術を撃ち込まれたという嘘八百な主張をしたガネットに対して、あの時わたくしをガネットから引き離した監視役の方が、ガネットが吐いた下劣な暴言や先に魔術を使用した攻撃を行おうとした事などを全て証言してくださったのが大きな要因となったようでした。
肉体へのダメージという結果だけみればわたくしが不利な立場に追いやられる事は間違いなかったでしょうから、正しく状況を伝えてくださった彼には感謝するばかりです。
ちなみにガネットには【|月が一番大きく見える日】が訪れる当日まで外出禁止の処分が下され、彼に与えられていた支度金(嫡男としての品格を保つ為に支給されたお金)も没収される事となりました。
これが契機となって少しは己の言動を顧みてくださればいいのですが……きっと無理でしょう。
わたくしも期待していません。
「……それにしても子供かぁ。ガネット氏は人格的にはどうしようもない人間だけど、偶にボクじゃ思い付かいような発想をする事があるから侮れないね。レンちゃんが子供を欲しがってただなんてボクだけじゃ気付けなかったよ。うん、ボクもレンちゃんとの子供だったら欲しいかな」
感心したように頷くヒナミナさん。
どうしましょう。
このまま何も言わずにいると、とんでもない方向に話が進んでしまうかもしれません。
「あの、ヒナミナさん。わたくしは貴女のお側にいられればそれだけで幸せなんです。……それに、わたくしは自身が殿方に抱かれる事も、貴女が殿方に抱かれる事も望んでません」
子供を授かるにしても前者ならヒナミナさんに対して後ろめたい気持ちを抱く事になるでしょうし、後者に至ってはわたくしがお相手の男性や誕生した子供に嫉妬する最低の母親になってしまうやもしれません。
そもそもわたくしが本当に欲しいと思ったのはわたくしとヒナミナさんの子供であって、どちらかの子供ではないのです。
わたくしの心配を聞いたヒナミナさんは軽く手を振って否定してくださいました。
「もちろん君にそんな事はさせないし、ボク自身もする気はないよ。ただ……あー、試した事はないし本当にできるかも分からないからこの件はあまり期待しないで待ってて」
何故か頬を赤らめてわたくしから目線を逸らすヒナミナさん。
……いったいどうしたのでしょう?
「期待ですか?ヒナミナさんは何を––––きゃっ!」
「はい、この話は終わり!終わりです!終わりったら終わり!良い子はもう寝なさい!」
ベッドの上に押し倒されて羽毛布団を被せられてしまいます。
彼女が何かをごまかそうとしているのは明らかで追求しようか迷いましたが、ヒナミナさんはわたくしを布団に押し込めた後すぐにご自身も入ってきてそのまま抱きしめてくださった為、なんだかもうどうでもいい気分になってきました。
血を継ぐ者がいなくたって、わたくしにはヒナミナさんがいるからそれでいいんです。
余談ですが、後日バレス領の住民の間でわたくしとガネットが嫡子の座を争って決闘を行い、わたくしが勝利したという噂が出回っている事を知りました。
実際にはわたくしには継承権がありませんのでガネットがお父様の跡を継ぐ事になるのですが、それがなされた時はバレス領を出るほかありませんね。
優しかったお母様、そしてヒナミナさん達と出会い過ごしたこの街から離れなければならない事に少しだけ寂しさを覚えました。
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そう言えばレンとお兄様って作中でまともに交流してこなかったなぁ、という事で入れた回です。
ついでに残ってた5人目の戦力指数Aランクの人も消化。
元々の予定だとガイア以外のAランクは出す予定なかったんですけどね。
ここまで読んで頂きありがとうございました。
完結まで毎日更新を予定しております。
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