第七十話 愚かな選択
万策尽き死を覚悟したルアージュだったが、魔道具のリングを介して彼女の危機を察知したアンジェリカが広間に現れる。何者かと問われたアンジェリカがクインシー家の者であると告げると、ジキルや配下の吸血鬼は凍りついたように動けなくなったのであった。
先ほどまでの激しい戦闘が嘘のように広間のなかは静寂に包まれていた。
凛とした空気を纏い圧倒的な存在感を放つアンジェリカに、ジキルも配下の吸血鬼も凍りついたように動けない。
当然である。
アンジェリカ・ブラド・クインシーは、あらゆる種族において恐怖の対象なのだ。
吸血鬼の頂点に君臨する真祖は雲の上の存在であり、その王女であるアンジェリカはこれまで種族を問わずいくつもの国を滅ぼしてきた伝説級の吸血鬼である。
純血種とは言えジキルが固まったように動けなくなるのも無理はない。
「ねえ、トレーズ家のジキル。私の言葉が聞こえなかったのかしら?」
冷たい光を宿した深紅の瞳がジキルを突き刺す。
当のジキルは愕然とした表情を浮かべたまま、大量の冷や汗をかいていた。
「……いえ。聞こえている……います」
アンジェリカの問いかけにハッとしたジキルは、やや苦々しそうな顔で答えた。
「そう。文句はないのね」
「ええ……」
これまで味わったことがない屈辱に、ジキルは顔を歪ませる。
くそっ、なぜこんなところに真祖が!
しかも、なぜ人間の小娘を助けやがるんだ!
ジキルが以前からイシスを拠点としていたのなら、アンジェリカの話も耳に入っていただろう。
だが、ジキルがこの街にやってきたのは割りと最近のことだ。アンジェリカがランドール国内にいるなど知るよしもなかった。
「あ、そうそう。お前には悪いけどここで死んでもらうから」
日常における会話のように軽い調子でとんでもないことを告げられ、ジキルは驚愕する。
「な、なぜですか!?」
「お前はやりすぎたのよ。ほんと吸血鬼の恥さらしだわ。真祖としても放置できない」
ジキルは奥歯が砕けんばかりにギリギリと強く噛み締め、アンジェリカに怒気を含んだ目を向けた。
「ふ、ふざけている……。そっちこそこれまでどれくらいの人間を殺してきたんだ? 俺のやったことなんかかわいいものじゃないか!」
「それは否定しないわ。でも私は娯楽や快楽目的で殺したことはないし自ら率先して国を滅ぼそうとしたこともない。ましてやこんな姑息な手を使ったこともね」
そんなことを言われてもジキルとしては納得できない。そして彼は、もっとも愚かな選択をした。
「ふん……バカバカしい。よく考えたらお前が真祖である証拠なんかないじゃねぇか。名前なんかいくらでも騙れるしな」
目の前の小娘はたしかに強大な魔力を秘めている。だが、そもそも真祖のような伝説の生き物がこんなところにいるものだろうか。
きっとこいつも俺と同じ純血の吸血鬼だ。どういう理由なのかは知らないが、真祖を騙って俺を排除しようとしているのだろう。
ジキルは都合よく結論づけた。
こちらにはまだ配下が十名近くいる。俺も本気でかかればきっと何とかなるだろう。
「ふうん。敵対するってことね?」
アンジェリカは腕を組んだままジキルに冷たい視線を送る。
「当たりめぇだ! 何が真祖だ! てめぇのはったりにいつまでも付き合ってられるか! おい! お前らいつまでそうしてやがる! こんな小娘、全員でかかって殺してしまえ!」
興奮した様子のジキルは大声で配下に指示を出した。
が、その刹那──
「ごきげんよう。そしてさようなら」
どこからともなく現れた美しいメイドが、またたく間に吸血鬼たちの首を刎ねていった。アンジェリカの忠実なる眷属でありメイド、アリアである。
あまりにも一瞬の出来事であったため、首を刎ねられた吸血鬼たちは何が起きたのか理解できなかったようだ。転がる首は一様にぽかんとした表情を浮かべている。
「な……ななっ!……!」
ジキルも目の前で起きたことが信じられなかった。屈強な冒険者やハンターを歯牙にもかけない配下たちが、一瞬であっさりと殺されたのだ。
「ば、ばかな……! こんなことあるわけ──」
驚きと恐怖で震えるジキルの耳に、ボトンという音が聞こえた。
途端に走る激痛。
「ぎゃああああああ!!」
見ると左腕がなくなり鮮血が噴き出していた。足元には切断された腕が転がっている。
転移でジキルの背後にまわったアンジェリカが手刀で切断したのだ。
「ずいぶん脆いのね」
アンジェリカは、肩を押さえてうずくまるジキルに無感情な目を向けると、胸倉を掴んで無理やり立たせた。
「うーん。バランスが悪いわね」
そう口にするなり、アンジェリカは残ったもう一つの腕を掴み、まるで小枝を折るようにもぎとった。
「ぐぎゃぁああああっがっっぐぅぅぅ……!!」
断末魔のような叫び声をあげてのたうち回るジキル。
アンジェリカはその様子をじっと眺めていた。
「も、もう……許して……ください……」
床に横たわったジキルは涙目で訴えた。
「そうやって許しを乞う相手をあなたは許してきたのかしら?」
ジキルはもう何も言えなかった。
ほとんど魔力を使わずともこの強さ。間違いなく真祖だと認識させられた。ジキルは己の愚かな選択を心の底から後悔した。
「死んでもらうとは言ったけど、あなたを殺すのは私の役目ではないわ」
アンジェリカは座って壁にもたれかけているルアージュへ目を向ける。
「ルアージュ。これはあなたがやるべきことよ」
先の戦闘で多大なダメージを負ったルアージュは、すでに意識が朦朧としていた。腕は再生したとはいえ、体は満身創痍であり目の焦点も定まらない。
そんな彼女の前に、アリアが一振りの剣を差し出す。
「……これを」
広間へ入る前に回収されていたルアージュの剣だ。
「……あ……ああ……」
ルアージュは霧散しそうな意識を必死に手繰り寄せる。
痙攣が治まらない両手で受け取った剣を杖のようにして立ち上がると、よろよろと床に転がるジキルのもとへ歩みを寄せた。
「ひっ……! や、やめろ……!」
鞘から抜いた剣を携え、幽鬼のようにふらふらと迫ってくるルアージュにジキルは戦慄する。
「ふ、ふざけるなよ! 人間ごときにこの俺が……!」
まだ口は達者だが、両腕をもがれているため何もできない。
仰向けになったジキルのすぐそばに立ち、剣を垂直に構える。
「……ルナの……仇……!!」
ルアージュは全体重をかけ、剣の先端をジキルの心臓に突き刺した。
「ひぎゃああああっあっ……ああ……あ……──」
今度こそ断末魔の叫びをあげたジキル。血走った目を大きく見開き、僅かに体を痙攣させたあとジキルの体は灰になった。
「……やったのぅ?」
半ば呆然とした様子のルアージュ。最後の力を一滴まで使い果たした彼女は、その場に崩れ落ちそうになったが──
「……あ…………」
その前にアンジェリカが彼女の体を支えた。
「ルアージュ。お疲れ様」
僅かに微笑みながら労いの言葉をかけるアンジェリカ。
途端にとてつもない安心感に包まれたルアージュは、そのまま意識を失った。
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