第六十五話 情報収集
アンジェリカと手合わせし自らの無力さに打ちひしがれるルアージュ。仇を討つのは難しいとアンジェリカに告げられた彼女は悔しさと情けなさで号泣するのであった。
吸血鬼に妹を奪われ、仇討ちのために人生を捧げてきた吸血鬼ハンター・ルアージュ。
倒すべき敵の強さと己の無力さをアンジェリカに思い知らされた彼女は、人目も憚らずに号泣した。
ただ、アンジェリカは彼女が仇討ちを諦めるとは思っていなかった。
人間は非合理的な生き物だ。
絶対に勝てないと頭で理解している相手であっても、ときに人間が戦いを挑むことをアンジェリカはよく知っている。
「はぁ……」
テラスの椅子に腰かけたままため息を吐いたアンジェリカは庭へ視線を向けた。
ひとしきり泣いたルアージュは今、アルディアスの尻尾に体を埋めている。
幼い子どものように号泣するルアージュを見ていられなくなったのか、アルディアスが彼女の体をふわふわの尻尾でくるんであげたのだ。
すっかり泣き止んだ彼女は絶賛モフモフに癒され中である。
「あの子……、ランドールに妹を殺した吸血鬼がいるって言ってたけど、本当なのかしら」
「どうなんでしょう。聖女様もキラさんも知らないということですし、ルアージュの勘違いという可能性も……」
アンジェリカが口にした疑問にソフィアが答える。
「……情報が足りないわね」
アンジェリカはティーカップを手にとり、ぬるくなった紅茶を口にする。
冷めてしまったため香りは薄くなり、口のなかには僅かな苦みが広がった。
「ママ。私がギルドマスターさんに聞いてみようか?」
「そうねぇ……。いえ、いいわ。私が直接聞きに行くから」
もしかすると込み入った話になるかもしれないし。
「ちょっと行ってくるわ。あとのことはお願いね」
椅子から立ち上がったアンジェリカは、庭へ視線を向けながらパールたちにそう告げるとその場から姿を消した。
-リンドル・冒険者ギルド-
冒険者ギルドの執務室では、相変わらずギブソンが頭を抱えていた。
今週はただでさえ書類仕事が多いうえに、例の問題も抱えている。
早く例の問題についてあの方……、アンジェリカ様に話を聞いてみなくては。
だが、どのように切り出せばよいのか。
ある街で吸血鬼によるものと見られる被害が続出していますが、アンジェリカ様はご存じないですか?
いや、これでは何となく我々がアンジェリカ様を疑っているように聞こえるかもしれない。
気にしすぎ、と思われるかもしれないが、アンジェリカ様の機嫌を損ねたらこの国に未来はない。
慎重になりすぎるくらいでちょうどよいのだ。
ああ、でもいったいどうすれば──
「何か悩みごと?」
「ぎゃあっ!!」
誰もいないはずの執務室で背後からいきなり声をかけられ、ギブソンは椅子から跳びあがった。
「ア、アンジェリカ様……」
振り返ると、そこには不思議そうな顔をしたアンジェリカが立っている。
「驚かせちゃったわね。ちょっと聞きたいことがあったから来たの」
心臓が激しく脈打つなか、ギブソンは何とか落ち着いてアンジェリカへソファを勧めた。
「それで……、アンジェリカ様。私に聞きたいこととは……?」
ギブソンは最近何かやらかしていないか、必死に頭を回転させて記憶をたどった。
パール様のこと……? いや、サドウスキーのことかも……。まさか、この前ある冒険者がアンジェリカ様のことを『美少女なのに貧乳』などと言っていたことがバレたのでは──
考え始めると冷や汗が止まらなくなった。
「あなた、私に何か隠しごとしてない?」
一瞬で顔色が真っ青になったギブソンは、素早い動きでソファから立ち上がると執務室の床に平伏した。
「も、申し訳ございません! アンジェリカ様のいないところで『美少女なのに貧乳』などと口にした不敬な冒険者はこちらで必ず処分いたします! どうか、どうかお許しを……!」
アンジェリカの肩がぴくりと跳ね、くっきりと浮き出たこめかみの血管が脈打つ。
「……そう。その話は今度ゆっくりと聴かせてもらうわ。でも今日は別件よ」
気にしていることに触れられ思わず魔力と殺気が漏れそうになるのを何とか堪え、落ち着いた声色で言葉を紡いだ。
「最近ランドールで吸血鬼による被害は発生していない?」
ギブソンは再び驚愕し心臓が停止しそうになった。
「なな……、なぜそれを……?」
「発生しているのね?」
血のように紅い瞳でじっと見つめられたギブソンは、よろよろと立ち上がると机から一枚の書類を手にとった。
「実は、こちらからもアンジェリカ様にご相談したいことがありました」
ギブソンの話によると、ランドール共和国に属する都市、イシスで吸血鬼によるものと見られる被害が相次いでいるとのこと。
被害者の多くは血を吸われたあと無残な方法で殺されたようだ。
しかも──
「被害者のほとんどが冒険者ですって?」
「はい……。イシスにも冒険者ギルドがあるのですが、そこに所属する冒険者がすでに何人も手にかかっています」
ふむ。
「被害者のなかにはAランカーもいました。たしかに吸血鬼は手ごわい種族ですが、Aランク冒険者を歯牙にもかけぬとなると……」
「……それで私に伝えるのが遅くなった?」
「申し訳ございません。吸血鬼の被害が相次いでいることをアンジェリカ様にお伝えするだけでも、我々が関与を疑っていると受け取られるのではないかと……」
いや、気にしすぎでしょ。アンジェリカはソファに深く座り直し足を組む。
「しかも、Aランカーを簡単に殺害できる吸血鬼となると、真祖、もしくはそれに近い吸血鬼なのではと考えました。それをアンジェリカ様にどうお伝えすればよいものかと……」
ギブソンの顔色は恐ろしく悪い。必死に言葉を紡いでいるのがよく分かる。
「はあ……。しょうもないこと気にするのね」
形のいい目を細めてため息を吐く。
「申し訳ございません……」
「まあいいわ。それにしても、冒険者の被害者が多い点は気になるわね」
「はい。ただ、最近は冒険者だけでなく一般の民や政治に携わる者のなかにも犠牲が出始めています」
どういうことだろう。見境なしに襲っているだけだろうか。
ずいぶんとたちの悪い吸血鬼がいたものだ。
「それで、何か対策にのりだしているの?」
「ええ。イシスの市長が腕利きの吸血鬼ハンターや冒険者、傭兵などを募って本格的な討伐にのりだすそうです」
ほう。なるほど。
「アンジェリカ様のこともあるので少し待つようにバッカス殿が伝えたようですが、さすがにもう我慢できなくなったようです」
それはそうだろう。市民がどんどん死んでいく状況を黙って見ているような統治者なら必要ない。
ただ、疑問は残る。
それだけ派手な動きをしていたら、いずれこうなることは馬鹿にでも分かる。
考えがないただの馬鹿なのか、それとも……。
「ふう。まあいいわ。とりあえず私が知りたいことも聴けたし。今日はこれで帰るわね」
アンジェリカはソファから立ち上がると、ゴシックドレスにシワができていないか確認する。
「お、お疲れ様でした。パール様にもよろしくお伝えください」
ギブソンは少しほっとしたのか、頬を緩めてアンジェリカを見送ろうとした──のだが。
「ああ、私のことを貧乳と口にした冒険者の話は今度ゆっくりと聴かせてもらいに来るわ」
深紅の瞳でギブソンをジロリと睨むと、アンジェリカは静かに姿を消した。
ギブソンががっくりと大きく項垂れたのは言うまでもない。
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