第四十話 獣人族の襲撃
魔物に襲われた村へ聖騎士が支援物資を運ぶとの報告を受けた獣人族の長は、襲撃するよう部下に命じた。一方、アンジェリカは訓練終わりに青い目の少年ジャクソンから話しかけられその素直さに僅かながらの好感を覚えたのであった。
「とてもいい紅茶ね」
アンジェリカは素直な感想を口にした。
「ありがとうございますです。アンジェリカ様」
一部の者しか近づくことが許されない教皇の間に漂う芳しい紅茶の香り。
聖騎士団への訓練が終わったあと、アンジェリカは教皇であるソフィアのもとへ訪れていた。
「いい茶葉を使っているのはもちろんですが、紅茶を淹れるのがとても上手なシスターが一人いるのですよ。今度紹介しますね」
「そうなのね。うちのフェルナンデスに匹敵する腕前だわ」
アンジェリカは満足げに紅茶をひと口飲むと、静かにカップをソーサーへ戻す。
教皇の間は教会の最奥にあり、一般の者はもちろんシスターや司祭も近づくことを許されていない。そのため、誰かの話し声や足音などはまず耳に届かず、カップをソーサーに戻したときのカチャリという音がとても大きく感じた。
「アンジェリカ様。今日の訓練はどのような感じでしたか?」
「昨日とそう大差ないわよ。ただ、精神面はそれなりに強化されたんじゃないかしら」
訓練の様子を真祖が見守っているうえに、気を抜けば魔法が飛んでくるのだからある意味当然である。
いくらアンジェリカとはいえ、わずか数日で脆弱な人間を獣人並みに強くすることはできない。だが、精神面は別だ。現に、まだ三日目だが聖騎士たちの表情は初日と明らかに違ってきている。
そう言えば、あの少年もいい顔をしていたわね。
訓練終わりに声をかけてきた、青い目が印象的な少年。午後からは魔物に襲われた村へ支援物資を届けると言っていたのをアンジェリカは思い出した。
「ねえ。ジャクソンという名の聖騎士を知ってる?」
「ジャクソンですか。聞いたことがないですね。見どころがありそうですか?」
いや、それはない。
「いいえ。訓練終わりに少し会話をしただけよ。もともと人族至上主義だったと言っていたわ」
その言葉に、ソフィアの顔色が少し悪くなった。
「でも、今は価値観が変わったようなことを口にしていたわ。獣人族とも歩み寄りたいと言っていたわよ」
「そうですか……。できればもっと早くそうあってほしかったですね」
人族至上主義を掲げる一部の聖騎士が獣人族と揉め事を起こしたことで関係が悪化し、無差別に攻撃を受ける羽目になったのだ。教皇としては愚痴のひとつも言いたくなるところだろう。
「そうね。でもこれで……?」
アンジェリカは最後まで口にせず言葉を止めた。何やら遠くから足音が響いてきたからだ。
どんどん足音が大きくなったかと思うと、教皇の間の扉が勢いよく開かれジルコニア枢機卿が飛び込んできた。
その顔色は極めて悪い。
「猊下!支援物資を運んでいた聖騎士団の一隊が獣人族の襲撃を受けたとのことです!」
「何ですって!?」
「ここから5キロほどの場所だそうです!一人の聖騎士が現場を離れて急ぎ報告に戻って参りました!」
5キロ。馬を全力で駆って10分かかるかかからない程度か。
襲撃ということは、おそらく獣人族は待ち伏せをしていたと考えられる。今から行っても間に合わない可能性が高い。が──
「その聖騎士のところへ案内して」
襲撃現場から戻ってきた聖騎士は戦闘で傷を受けたらしく、治療の真っ最中だった。
「アンジェリカ様!」
「襲撃を受けたのはどこだ。空を飛んで行くからお前は私の道案内をしろ」
「分かりました!」
アンジェリカは治療もまだそこそこの聖騎士を無理やり外へ連れ出し、左腕に抱えるとそのまま空高く上昇した。
小さな少女が背丈の高い聖騎士を左腕に抱える様子はどこか滑稽である。
「わわ……わわわっ……!」
「驚いている場合ではない。どっちだ」
「は、はい!あちらの方角です!」
アンジェリカは聖騎士が指差した方向に目をやると、驚くべき速度で飛行を始めた。
「……あれかしら」
驚異的な視力で現場にあたりをつける。
さらに近づくと複数の怒声や猛る声が耳に届き始めた。
これまで幾度となく嗅ぎ慣れた血の臭いが鼻腔の奥を刺激する。
「──いた」
驚くべきことに、聖騎士はまだ獣人たちと戦闘の真っただ中であった。
身体能力の差や時間のことを考慮すると、全滅している可能性が高いとアンジェリカは考えていたため驚いた。
それがどうだ。いざ現場を見下ろすと、五人の聖騎士が獣人たちと激しい戦闘を繰り広げている。
ただ、三人ほどは地面に倒れており、どうやらその一人はすでに事切れているようだ。
それは、訓練終わりにアンジェリカへ話しかけてきた青い目をした少年であった。
仰向けに倒れている少年の肩から胸にかけて大きな傷がある。おそらく、鎧ごと獣人の爪にやられたのであろう。
アンジェリカは無感情な瞳で倒れている少年を一瞥すると、戦闘が行われている真っただ中へ急降下した。
突然、空から少女が男を抱えて降ってきたことに獣人たちは呆気に取られる。
「な、なんだお前は!!」
「アンジェリカ様!」
驚きに目を見開く獣人と希望を見出して涙を流す聖騎士。
「犬ごときにじゃれつかれて何をやっている。だらしないぞ」
それでもあっさりと全滅しなかったことは褒めてあげたほうがいいのかしら。
アンジェリカはすでに事切れている少年に近寄る。
「おい!俺たちを無視するんじゃねぇ!てめぇは誰だって聞いてんだ!」
アンジェリカはそれには答えず、振り返りざまに刺すような殺気を放った。
何かとてつもなく恐ろしいものを見たかのように、獣人たちは腰を抜かす。
「な……なな……!!」
虫でも見るかのように獣人たちへ一瞥をくれたアンジェリカは、倒れた少年のそばに立つと手をかざした。
「まだ訓練が終わっていないのに勝手に死んで楽になろうとは何事だ。そのようなことは私が許さん」
途端に、倒れている少年の下に魔法陣が顕現する。
『再生』
アンジェリカが詠唱すると同時に少年の体が光に包まれた。
「……っぐ……んん!」
「よし。生き返ったか。失態だなジャクソン。罰として貴様は明日からもっと厳しい訓練を受けてもらう」
わずかに笑みを浮かべてそう告げると、踵を返して獣人たちへ向き直る。
「お、お前はいったい──」
「再生の魔法だと……!そんな超高位魔法を使える者など……」
「お、おい…あの紅い瞳──!」
腰を抜かしたままの獣人たちがわなわなと震えだす。
真祖や国陥としの吸血姫の伝説が語り継がれているのは人間族だけに限らない。
あらゆる種族にとって、国陥としの吸血姫、アンジェリカ・ブラド・クインシーは恐怖の対象であり災厄なのだ。
「犬どもに教える名などないわ」
犬獣人族にとって最大の侮辱発言だが、今はそれどころではない。機嫌を損ねただけで国が一つ消えると伝わる国陥としの真祖が目の前にいるのだとしたら── 自分たちに明日はない。
「ゆ…許して……!」
「無理よ」
最後まで聞くことなく、アンジェリカは獣人たちに向かって手をかざした。
獣人たち一人ひとりの足元に魔法陣が展開する……。そして──
『煉獄』
魔法陣から禍々しさを纏った黒い炎が一気に噴きあがり、犬獣人たちは塵も残さず消え去った。
「さ、さすがアンジェリカ様だ……!」
「助かったのか……」
聖騎士たちは一気に気が抜けたらしく、その場にへたり込んでしまった。
ほんとにだらしないわね。
とりあえず倒れていたほかの聖騎士にも軽く治癒魔法をかける。自身がダメージを負うことがほとんどないため、治癒魔法が苦手なのはここだけの話である。
「ア、アンジェリカ様……」
生き返ったばかりのジャクソンがおずおずと話しかけてくる。
「助けていただいた身でこのようなことを申し上げるのは憚られるのですが……」
「なぜ獣人たちを皆殺しにしたのか……と?」
やや顔を伏せていたジャクソンが、驚いたように顔をあげた。
「貴様の言いたいことは分かる。だが奴らを皆殺しにしたのは単純に私個人の理由だ」
「……?それはいったい……?」
「貴様には関係のない話さ。それより、支援物資を運ぶ途中なのだろう。少し休んだら任務に戻れよ」
アンジェリカはそう告げると、再び空へと舞い戻った。
そう。アンジェリカには獣人たちを皆殺しにしなくてはならない理由があった。
彼らはおそらく、アンジェリカが真祖であることに気づいていた。
人間に味方し獣人族に敵対した。そのような報告をされるとアンジェリカにとって都合が悪い。
真祖の一族が獣人族と正面切って敵対した、となると父や兄など一族を巻き込むおそれがある。
世界中の獣人たちと戦いになる可能性もある。一族と距離を置くアンジェリカにとって、それは避けたいことだった。
いざとなればすべての獣人を滅ぼせばよいのだが、数人を消すだけで面倒ごとがなくなるのならそのほうが手っ取り早い。
それに、さすがのアンジェリカと言えど当主の許可も得ず他種族を滅ぼし、種族間の力関係を壊すわけにもいかない。
まあ、それでも必要とあればそれも辞さないけどね。
「とりあえずソフィアのところへ戻ってお茶会の続きかしらね」
小さく息を吐き、アンジェリカは王都へ向かって飛び去った。
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