第二百三話 拡大する戦火
『馬鹿な上官、敵より怖い』とはよく言ったものだ──
劣勢になりつつある戦況を肌で感じとり、カグラは思わず唇を噛み締めた。
くそっ……! だから南方方面軍との合同作戦なんてイヤだって言ったんだ。いくら歴戦の猛者揃いとはいえ、指揮をとってるのが馬鹿のメビウスなんだぞ?
カグラが怒り任せに前方へ強力な魔法を放つ。奇声をあげながら迫っていた複数の悪魔族が、あっさりと戦場から姿を消した。と、そこへ──
「カグラ将軍へ報告!!」
「なんだ!?」
「『風の旅団』がほぼ壊滅! 戦線からの離脱許可を求めています!」
カグラは思わず舌打ちした。風の旅団はエルフのみで構成される精鋭部隊だ。
真祖一族の支配領域に存在し、庇護下に入っているエルフの小国。戦争の規模が規模だけに、かの国も精鋭部隊を派遣し戦闘に参加していた。
「許可する! 孤月隊と残月隊には可能な限りエルフたちの撤退を手伝えと伝えろ! 空いた穴には暁月隊を送り込め!」
「はっ!!」
「死ぬ気でじゃんじゃん殺せってハッパかけとけ!! こっちも手が空き次第向かう!」
転がるように駆けていく兵士の背後から、カグラは大声で怒鳴った。
それにしても……魔法巧者揃いである風の旅団が壊滅状態か。まあ、こんだけ馬鹿みてぇに敵が湧いてくる状況じゃ仕方ねぇ気もするが。
しかも、あの馬鹿たれがわざわざ最前線に布陣させやがったしな。親父様が提案したように、少数精鋭部隊のよさを活かして弱いところから各個撃破させていけばよかったんだ。
カグラの恨み節と不満は止まらない。戦況の悪さも相まって、今にもストレスが爆発寸前だった。と、そのとき。
前方で敵と斬り結んでいた味方の部隊が、突然爆ぜた。
「なっ……!」
「カグラ様、下がってください! おそらく上位悪魔の精鋭です!」
なすすべもなく蹂躙され、血煙のなかで倒れゆく味方の兵士を目の当たりにし、カグラはこれでもかと強く奥歯を噛み締めた。
落としやすいところへ戦力を集中させる。これは戦いの基本だ。
くそったれ……! つまり、こいつらはあたしのところがもっとも落としやすい、って思ってやがるのか。舐めやがって。
「ざっけんな!! 全員ぶち殺してやる!!」
幼さの残る可愛らしい顔を憤怒の色に染め、カグラは敵の部隊へ突撃しようとした。
「い、いけませんカグラ様! ここは一旦態勢を立て直しましょう!」
今にも駆けだしそうなカグラの華奢な体に、側近の兵士が慌ててしがみつく。
「放せっ!」
「放しません! 西方将軍デルヒ様からも、カグラ様が暴走しそうなときは止めろと厳命されています!」
「だとしてもだ! 目の前で部下たちがやられてんのに、あたしだけ引けるわけねぇだろうが!!」
しがみついていた配下を強引に振り払い、カグラは敵の部隊へ向かい一直線に駆けだそうとした。その刹那──
空で何かがキラリと輝いたかと思うと、強力な魔力を巻いたいくつもの閃光が地上へと降り注いだ。耳をつんざくような轟音が響き、爆風が巻き起こる。
カグラも配下の兵士たちも、何が起こったのか理解できなかった。
「な、何だ……?」
舞い上がった粉塵が風に流されていく。視界に飛び込んできたのは、驚くべき光景だった。
味方を蹂躙し、その勢いのままこちらへ斬り込もうとしていた上位悪魔の精鋭部隊。それが、一人残らず跡形もなく消えていた。
「……!?」
ただごとではない気配を感じ、カグラがハッと空を見上げる。視界の先には、黒いワンピースドレスのスカートを風に靡かせながら、地上を見下ろす少女がいた。
ウェーブがかかったグレーの髪をツインテールにまとめた少女は、ここが戦場のど真ん中であることを気にするそぶりもなく、キョロキョロと周りを見まわしていた。
血のように紅い瞳と、吸血鬼のみが纏う独特の空気。同胞であることは間違いない、が──
カグラの肌が激しく粟立つ。上位悪魔族の精鋭にすら抱かなかった恐怖感。押し潰されそうなプレッシャーを感じつつも、カグラは気丈に少女を睨みつけた。
「あんた……いったい何者だ?」
──美味しそうに焼き菓子を頬張る愛娘の様子を見て、アンジェリカの頬がだらしなく緩む。
ああ、なんて可愛らしい……! このままずっと眺めていたいわ……!
「美味しい〜! おじい様が持ってきてくれるお菓子って、いつも本当に美味しい!」
おじい様こと、サイファが遠方より入手したという焼き菓子を手土産にアンジェリカ邸へ訪れたのが十分ほど前のこと。
アンジェリカ同様、幸せそうに焼き菓子を頬張るパールを眺めていたサイファだったが、報告があるとヘルガがやってきたためすごすごと屋敷へ戻っていった。
「あ。そういえばお嬢様、聞きました?」
アンジェリカの背後からそっと声をかけたのは、彼女の忠実なる眷属でありメイドのアリア。
「何を?」
「今、本国のほうは結構大変みたいですよ?」
「え、そうなの? フェルナンデス?」
視線を向けられたフェルナンデスが、やれやれといった様子で小さくため息をついた。
「アリア、その話は……」
「え? ダメでした?」
「ここにはパールもいるのですよ? 子どもに聞かせるような話ではないでしょう」
フェルナンデスにジト目を向けられたアリアは、「しまった」と言わんばかりの表情で視線を宙に彷徨わせた。
「いったい何があったの?」
「……今、本国では悪魔族と戦争中なのです」
「そんなの、別に珍しいことじゃないじゃない」
「はい。ですが、かつての大戦以降は小規模な衝突がほとんどでした。それが、今回は……」
「……かつての大戦規模の戦争、ってこと?」
「なんせ、各方面軍はもちろん、支配領域にある国や種族まで参戦していますからな」
「ふーん……」
なるほど、真祖がみんな国を出ているからか。悪魔族からすれば、我々の力を削ぐ絶好の機会というわけね。
「ねえ、ママ」
「ん? どうしたのパール?」
「ママの国ってどんなとこなの?」
溢れる好奇心を隠そうともせず、身を乗り出して質問してくるパールを見て、アンジェリカはくすっと笑みをこぼした。
「んー、どんな国、かぁ。どう説明すればいいのかな?」
「ランドールとかデュゼンバーグみたいに、国の名前はあるの?」
「ええ。国名は『覇王国ブラッディムーン』よ。といっても正式なものじゃなくて、大昔に人間たちが勝手にそう呼び始めたんだけどね」
「へえ〜! かっこいい!!」
「実際は真祖の国とか吸血鬼の国とかって呼ばれることが多いけどね。ちなみに、真祖一族の直轄領は『王都ラヴィアン・ローズ』と呼ばれているわ。ま、正式に王制を敷いているわけでもないのに王都ってのも変な話だけど」
「そうなんだー! どんな街なの? リンドルみたいな感じ?」
「うーん、そうねぇ。リンドルよりも栄えてる……かな? 吸血鬼はもともと知能が高い種族だし」
「へえ〜! 行ってみたいなあ〜」
目をキラキラと輝かせるパールとは反対に、アンジェリカはげんなりとした表情を浮かべた。
「ねえママ! 今度ママの国に──」
「だーめ」
「えー!? どうして!?」
「う……その、いろいろめんどくさいし……。ていうか、今戦争中って話聞いてた?」
「むー……」
パールが唇を尖らせる。それを無視したアンジェリカは、再びフェルナンデスへ視線を向けた。
「で、フェル。大戦規模の戦争ということだけど、まさかラヴィアン・ローズにまで侵攻されてるってことはないわよね?」
「それはないでしょう。国にはまだ強者が大勢いますし。よほどイレギュラーなことがない限りありえないかと」
「ふむ……」
何やら一瞬思案したアンジェリカだが、唐突に背後のアリアを振り返った。
「いっそ、あなたが出張ってきたら? 閃光のアリアが参戦すれば、戦争もすぐに終わらせられるんじゃない?」
イタズラっぽく言うアンジェリカへ、アリアがジトっとした目を向ける。
「イヤですよ。もう私は将校でも軍属でもありませんし。今はお嬢様の専属メイドなんですからね。それに……」
「それに?」
「父たちがいるんですし、きっと大丈夫です」
照れたように、斜め上へ視線を向けながらアリアが言う。
「ふふ、そうよね。何ならデルヒもいるし……って、あれ?」
「どうしました?」
アンジェリカが顎に手をやり、何かを考え込む。
あれれ? そういえば、この前リズに里帰りしたら?って話をしたばかりのような。
あの子、結局里帰りしたのかしら? んー……タイミング悪いときに余計なこと言っちゃったかも。
んー、んー、と唸りながら考え込むアンジェリカを、アリアとパールは不思議そうに眺めるのであった。
──目つきが悪い、か。そんなこと、全然気にしなくていいのに。
朝、家まで迎えに来てくれた学友と、楽しそうにお喋りしながら登校していくイングリスの後ろ姿を眺めながら、シオンは苦笑いを浮かべた。
どうやら、私の可愛い娘は目つきが悪いことを気にしているらしい。私としては、そこまでではないと思うんだけど。
「まあ……年ごろの女の子ってことかね。ふふっ」
朝の大切な儀式、すなわち娘のお見送りを終えたシオンが玄関扉の取手に手をかけた。と、そのとき──
「よお、シオン」
背後からの呼びかけ。不快な匂いと空気。それは、とてもよく覚えのあるものだった。シオンがゆっくりと振り返る。そこには、二十代後半くらいの男が立っていた。
「ハクエイ……!」
「久しぶりじゃねぇか、シオン。まさか、本当にお前だったとはな」
ハクエイと呼ばれた男の口角が吊り上がる。
「……ハクエイ。どうしてお前がここに?」
「お前に似た女を見たって同胞がいてな」
「同胞……? バカな……悪魔族がこの国に入り込んでるって言うのかい?」
「上層部が真祖と全面戦争始めたからな。やってらんねぇ、って逃げ出したヤツが大勢いるのさ」
ハクエイは「ククッ」と声を漏らすと、シオンの全身をねっとりと舐めるように視線を這わせた。
「シオン、どうして突然いなくなった? マモン様の側近だったお前が」
「……」
「それに、今のお前からは魔力をほとんど感じない。まさか、禁法でも使って魔力を抑えてるのか?」
「お前には関係ないことさね」
バカにするような口ぶりのハクエイへ、シオンが鋭い視線を刺す。
「しかも、突然姿をくらませたお前が、まるで人間の母親の真似事なんてしてやがるじゃねぇか」
「……」
「それに、さっきのガキ。あれは失敗作のホムンクルスだろ?」
その言葉を聞いた瞬間、シオンの瞳にあからさまな殺意が宿った。
「お前が姿を消したのは、マモン様の命令であの失敗作を人間の大陸へ捨てにいったときだったな。まさか、最初からこういうつもりだったのか? 人間の母親ごっこがしたかったのか?」
「……」
「意味がわかんねぇよな。同胞を裏切ってまであの失敗作を──あがぁっ!!」
瞬時にハクエイとの間合いを詰めたシオンは、その華奢な首を正面からがっしりと掴んだ。
「あが……! ぐげげ……!!」
「……何度も失敗作って言うんじゃないよ、このチンピラが」
シオンは首を掴んでいた手の力を緩めると、ハクエイをそのまま前方へ突き飛ばした。
「ガハッ……! て、てめぇシオン……ぶっ殺されてぇのか……!?」
「調子にのるなよチンピラ。魔力を抑えているとはいえ、七禍でさえ一目置いていた私にお前如き三下が敵うと思ってるのかい?」
「ぐ……!」
地面に尻もちをついたまま、ハクエイは憎々しげにシオンを睨みつける。
「同胞のよしみさね。私たちに二度と関わらず、このことも口外しないと誓うのならこのまま帰してあげるよ」
「シオン……!」
ゆっくりと立ち上がったハクエイが、大きく深呼吸をする。そして、諦めたような表情を浮かべた。
「ああ……わかったよ」
「わかってくれてよかったよ」
「……って、んなわけねぇだろうが!」
ハクエイが至近距離から不意打ちの魔法を放とうとした。が──
「うん、わかってたさね」
シオンがスッとハクエイを指さす。
「『蟻地獄』」
「な……!」
ハクエイの体がずぶずぶと地面に飲み込まれていく。
「て、てめぇシオン……! 絶対に許さ、あぶっぶふはぁっ……! があっ……──」
最後まで言葉を紡ぐことなく、ハクエイの体は完全に地面へ沈んでしまった。
「ん……? 転移したか。ダメージ食らった体で転移みたいな高等魔法使うとか……相変わらず頭はよくないさね」
本当はもっと確実な魔法で殺しておくべきだった。が、今の私ではあれが精一杯だった。
まあ、痛い目に遭わせたから、しばらくちょっかいかけてくることはないだろうけど。
ないとは思うが、矛先がイングリスに向かないとも限らない。何か、対策はしておくべきか。
軽くため息をついたシオンは、しばらくその場で空を見上げたまま思考を巡らせた。