第二百話 退屈しのぎ
「はぁっ!? あたしらが援軍に!?」
「ああ」
寒々とした荒野の一端に設けられた、西方方面軍の拠点。デルヒの口から告げられた内容を聞いたカグラは、思わず素っ頓狂な声をあげた。
デルヒが本営から戻ってきたのがつい十分ほど前。撤退を命じられてから二時間以上が経っていた。
「敵の戦力が中央に集中してきている。明日からは中央の戦場でメビウスの援護をしてほしいとのことだ」
「ちっ……! マジかよ……!」
可愛らしい顔を露骨に顰めたカグラは、舌打ちをすると盛大にため息をついた。
「つーか、親父様。メビウスの野郎ちょっと情けなさすぎじゃねぇか?」
「……まあ、仕方がない部分はある。若輩で経験が不足しているうえに、急造された軍長だからな」
「いや、あいつが率いてるの、ヘルガ様の南方方面軍だろ? 南方方面軍って言ったら、方面軍のなかで最強って言われてたんじゃなかったっけか?」
「よく知ってるな。だが、それは相当に昔の話だ」
一瞬、遠い目をしたデルヒはグラスを手にすると、琥珀色の液体を一気にあおった。
「昔の話?」
「ああ……。まだ、アリアがいたころの話だ」
デルヒの口から漏れた名前を耳にし、カグラがハッとしたような顔になる。
「ア、アリアってまさか……閃光のアリア……?」
「そうだ。伝説的な女将校だからお前も名前くらい聞いたことあるだろう」
「あ、ああ……」
「戦場でのアリアは恐ろしく強く苛烈だった。あやつの姿を見るだけで敵は震えあがったものだ」
「……!」
「ある事情で戦場を離れたあとはヘルガ様の専属メイドを務め、それから姫の専属メイドになった。今では姫の血を分けた眷族でもある」
じっと話に聞き入るカグラだが、何とも言えない不思議な表情を浮かべていることにデルヒは気づいた。
「どうした、カグラ?」
「あ、いや……。ちょっと意外だったというか……」
「? 何がだ?」
「や、だって。閃光のアリアって、その、バートン家の令嬢だろ? なのに、親父様が誇らしげというか、嬉しそうというか、そんな感じで話してたからさ」
カグラの言葉を聞き、デルヒが「ふっ」と笑みをこぼす。
「……グレイは昔から気に食わん奴だが、アリアに悪い印象を抱いたことはない。アリアがどれだけ戦場で勇猛だったか、どれほど身を粉にしてヘルガ様や姫様に尽くしていたかを、私は間近で見て知っているからな」
「そうなんだ」
わずかなあいだ何事か思案していたカグラだが、突然テーブルの上にあったボトルを手に取ると、そのまま口をつけてラッパ飲みし始めた。
「ぷはぁーーっ!! うめぇ」
「お、おい、カグラ」
「親父様。自慢じゃねぇがあたしだって戦闘には自信がある。今日だって、撤退命令がなきゃあいつらを皆殺しにできたんだ。メビウスの援護ってのは不本意だが、明日は中央の戦場で暴れまくって、西方方面軍の強さを見せつけてやるぜ」
そう言うなり立ち上がったカグラは、「じゃあ寝るわ」と一言残すと扉のほうへ向かった。その様子を見たデルヒが苦笑いを浮かべる。
「カグラ」
「あ?」
「……お前がそばにいてくれて、これほど頼もしいことはない。私を支えてくれて、本当に感謝する」
「……やめてくれよ、親父様。あたしにとって、親父様は師匠であり父親みてぇなもんだ。支えるのは当然じゃねぇか」
こちらを振り返らずに言葉を紡ぐカグラ。頼もしく育った立派な背中を、デルヒは目を細めて見やった。
「ふふ、すまんな。ああ、それともう一つ」
「何だ?」
「私に無断で護衛を送るようなことはもうするな。自分の身くらい自分で守れるからな」
「……ちっ。あいつらヘタ打ちやがって」
「いや、お前のやりそうなことなどお見通しだ」
「はいはい、わかったよ。おやすみ親父様」
ひらひらと手を振りながら出ていくカグラの後ろ姿を見送ったデルヒは、椅子の背もたれに体をあずけるとわずかな時間天井を眺め、そして静かに目を閉じた。
──見渡す限りの白、白、白。
虚無感すら覚える白い空間のなかで、女は目を閉じたままふわふわと宙に浮いていた。慈愛の女神、サディである。
「……ん?」
何者かの気配を感じたサディはゆっくりと目を開くと、そちらへ体を向けた。視界に飛び込んできたのは、二つの黒い点。
突然宙に現れた黒い点がどんどん大きくなり、直径二メートル程度に広がった。
「……転移門」
いっさい表情を変えることなくサディが呟く。そのとき、空間に開いた二つの黒い穴から人型のモノが飛び出した。
まるでガラスを削りだして作られたかのごとく無機質なソレは、服も着ていなければ爪も、髪も、顔すらもなかった。
「はぁ……うざっ」
面倒くさそうに吐き捨てたサディへ、無機質な人型がジリジリと近づいていく。明らかに友好的な態度ではない。
刹那、二体の人型が俊敏な動きでサディへ飛びかかった。が──
その手がサディへ届く寸前、人型二体の無機質な体がバラバラに砕け散った。そして、そのまま光に包まれ消えていく。
「ちょっと、遅いんじゃない? 私に何かあったらどうすんのよ」
再び一人になったサディが、かすかに頬を膨らませる。いや、一人ではなかった。いつの間にか、彼女のそばには二名の男女が立っていた。
御使いリリーとメサである。
「不安にさせたのなら申し訳ありません、サディ様」
恭しく腰を折るのは、妖艶な色香を纏う御使いリリー。
「まあ、我々の目を盗んでサディ様に危害を加えることなどまず無理ですけどね。それにしても……」
たくましい体つきの御使いメサが、ぐるりと首を巡らせる。先ほどまでそこにあった転移門はすでに閉じられていた。
「わざわざゲートまで使って神代を送り込んでくるとは……」
神代。それは神族のみが生み出せる人型の人形。神族の代行者としてさまざまな用途に使役される。
眉をひそめるメサのそばで、サディは「ふんっ」と鼻を鳴らした。
「ま、神代なんかで神族を殺せるわけないんだけどねー」
やれやれ、といった様子で口を開いたサディは、再び宙へ浮くと、まるでそこにベッドかソファでもあるようにゴロリと横になった。
女神とは思えないだらしない姿に、思わずリリーが顔をしかめる。が、今はそれより気になることがある。
「……いったい、誰が送り込んできたのでしょう?」
「んー。ディルかデラあたりじゃない? 知らんけど」
豊穣の神ディルに復讐の女神デランジェ。いずれも神族評議会の常任神族である大物だ。
「ディル様は……以前からサディ様に反感を抱いていましたから納得できますが……デランジェ様まで?」
怪訝そうな表情を浮かべたリリーへ、サディはジトッとした目を向けた。
「デラはクソ真面目だから。好き勝手やってる私にムカついてるんでしょ。この前、神族評議会を途中で抜け出したのも理由かも。ふふっ」
「笑ってる場合じゃありませんよサディ様。転移門を使ってここにまで神代を送り込んでくるなんて、よっぽどのことです」
「あいつらだって、神代なんかで私をどうこうできるとは思ってないわ。ただの嫌がらせ……いや、脅しよ。これ以上好き勝手なことするなってね」
つまらなさそうに吐き捨てたサディのそばで、二人の御使いは困ったように顔を見合わせた。
「ふふふっ。こんな嫌がらせされたら、余計に俄然やる気が出てきちゃったわ」
「サディ様……」
「リリー、あれからアンジェリカたちはどう?」
不安げなリリーを無視しサディが問いかける。
「は……。希望は、失っていないようです。真祖サイファやメグたちも、アンジェリカと天命の聖女を救うべく奔走しています」
「……ふーん。トリガー解除の方法を知ったアンジェリカが、自ら死を選ばなかったのは大きな誤算ね」
面白くなさそうに口を開いたサディは、宙に浮いたまま起き上がるとリリーたちへ視線を向けた。
「ま、いくら足掻いたところで無駄だと思うけどねー。アンジェリカが死ぬ以外トリガーを解除する方法なんてないんだし」
「はぁ……」
「でも、せっかくなら第一のトリガーが起動して、アンジェリカが愛する娘と殺しあうところも見てみたいかも」
第一のトリガーは、天命の聖女としての覚醒を促すトリガーだ。
「さっさと起動しないかなー。てゆーか、どうすれば起動するんだろ」
「え? どういうことですか?」
「いや、だから。何がきっかけで第一のトリガーが起動するのか、私も知らないのよ。そのあたりの設計はあの悪魔族に任せっきりだったし」
「そ、そうなんですね」
「ええ。あんなにあっさり殺されるんなら、もっと早く聞いとけばよかったわ」
ため息をついたサディは、再び宙へゴロンと横たわった。と、そのとき。御使いメサが何かを思い出したように「あっ」と声をあげた。
「何よ、メサ」
「悪魔族で思い出しましたが、今真祖の国は悪魔族に攻め込まれているみたいです」
メサが口にした内容を聞いたサディの耳がぴくりと跳ねた。
「悪魔族との小競り合いなら頻繁にしてるじゃない」
「いえ、今回はかなり大規模な戦争です。真祖一族が国を離れた隙に大挙して攻め込んだようですね」
「ふーん……戦況は?」
「手こずっています。真祖が一名もいませんし、悪魔族の本軍には七禍もいます」
「……へぇ」
サディの瞳に怪しい光が宿る。わずかなあいだ思案したサディは、楽しいことでも思いついたかのように口もとをしんなりとしならせた。
「これは、いい退屈しのぎができそうね」
ガバッと起き上がったサディは、愉快そうに「ふふふ」と笑いながらその場でクルクルと踊り始めた。