閑話 私が守りますから
初対面での印象は「変な女」だった――
「ウィズっていうのねぇ~私はルアージュ~よろしくねぇ~」
赤みがかった髪とどこか儚げな雰囲気、語尾を伸ばすのんびりとした喋り方が印象的な人間の少女。
あの日、リンドル学園に潜入した私はパール嬢にあっさりとぼこられ、真祖の前へと引きずりだされる羽目になった。
まったく脅威にならないと判断されたのか、この日から私は真祖の屋敷に住まうことに。正直、数日は生きた心地がしなかった。
悪魔族からの依頼に失敗したうえに、何もかも真祖に話してしまった私は裏切り者として認識されるだろう。
フロイドをはじめ、悪魔族は裏切り者を野放しにしておくほど甘いやつらじゃあない。私は、いつ差し向けられるかわからない悪魔族からの刺客に怯えながら日々をすごした。
怖いのは悪魔族だけじゃない。今はかくまってくれているが、もし真祖の気が変わったら?
かつて、いくつもの国を滅ぼした『国陥としの吸血姫』。あらゆる種族が恐怖の対象とする存在。
私は今、とんでもない薄氷の上を歩いている。慎重に慎重に歩いても、いつ足もとの薄い氷がパリンッと音を立てて割れるかわからない。
傍目にはわからなかったかもしれないが、あのとき私の精神状態はかなりギリギリだった。
そんな私に、軽い調子で話しかけてきたのが彼女だ。
「ウィズ~入るね~……って、どうしたのぉ~? 明るいのにカーテン閉めてぇ~……」
いきなり部屋の扉を開かれ、私の全身がビクンと跳ねた。
「や……べ、別に、何でも……」
部屋の隅で小さくなっていた私を不思議そうに眺めたメイド服姿の少女は、窓際へ移動するとカーテンを勢いよくあけた。
「そんなとこ座ってないでぇ~こっち座りなさいよぉ~」
少女がその華奢な体をベッドへおろし、隣をぽんぽんと叩いた。私はしぶしぶながらも腰をあげ、少女の隣に座る。
「もしかしてぇ~悪魔族の刺客が来るかもぉ~なんて考えてるぅ~?」
私の肩がわかりやすく震えたのを、彼女は見逃さなかった。
「大丈夫だよぉ~ここの敷地はエルフの技術も使った強力な結界で囲まれているからぁ~。悪意や敵意を抱く者は決して入っては来れないんだからぁ~」
「そ、そうなん、だ……?」
「うん~。だからぁ~怖がることは何もないんだよぉ~」
少女は私の顔を覗き込み、にこりとほほ笑んだ。
「べ、別に、怖がってなんて……!」
「そう~。ならいいんだけどぉ~」
ふふ、と笑みをこぼした彼女は「あとでお茶を淹れるから~」と一言残し部屋を出ていった。いったい、何をしにきたのだろうか。
ルアージュと名乗った少女は、それからも頻繁に私のもとへ訪れた。どうやら彼女はメイド見習いとして働いているらしく、真祖から私の世話も任されているようだ。
いつもふらっとやってきては、たわいのない会話をして戻ってゆく少女。次第に私も、彼女に対して心を開くようになった。
「なあ……その、どうして私によくしてくれるんだ……?」
必要以上に気遣ってくれる彼女に対し、私は率直な疑問を口にした。
「う~ん……ウィズって、ちょっと私の妹に似てる気がするから、かなぁ~?」
「妹、がいるんだ」
「ん……もう、いないけどねぇ~……」
ただでさえ儚げな空気を纏う彼女の横顔に、暗い影が差したのを私は見逃さなかった。そこから、彼女はとつとつと過去の話を聞かせてくれた。
大切な妹を目の前で吸血鬼に惨殺されたこと。その仇を討つべく、幼いころから血の滲むような修業に明け暮れていたこと。真祖の協力もあり無事仇を討ち、恩を返すためにここで働いていること。
それは、とても衝撃的な話だった。
長く闇の世界で生きてきた私からしても、彼女の生い立ちは壮絶だと感じた。一度、メイド服を着替えるとき、彼女の裸体を見たことがある。
背中や腕、足、あちこちに刻まれた生々しい古傷。それだけで、彼女がどれほど過酷な修羅の道を歩んできたのかが痛いほどわかった。
「実際はウィズのほうが遥かに年上なのにねぇ~。でも、何となく妹みたいな感じがして、ほっとけないんだぁ~」
そう口にした彼女は、華奢な腕を私の背中へとまわし、ぎゅっと抱きしめた。
この人は、私よりずっとハードな人生を送ってきているのに。私なんかよりずっと絶望を身近に感じながら、ツラくて悲しい日々を送ってきているのに。
そう考えると鼻の奥にツンと鋭い痛みが走った。気づいたら、私の瞳からは大粒の涙がこぼれていた。
ともにすごす時間が増えるほど、私はルアージュ姐さんのことが大好きになっていた。
だからこそ、あのとき私は怖かった。そう、アンジェリカ姐さんの親父や兄たちが屋敷へ押しかけてきたときのことだ。
尋常ではなく禍々しい魔力が迫るのを感じ、私たちは一目散に屋敷の外へ飛び出した。そこで目にしたのは、アンジェリカ姐さんと対峙する四名の男。
魔力の質や禍々しさからして、アンジェリカ姐さんの関係者であることは一目瞭然だった。
ヤバい……! こいつらは、間違いなくヤバいヤツらだ……!
本能的に理解した。目の前にいる連中は、決して敵対してはならない者たちだと。肌が粟立ち、足は地面に根を張ったように動かない。
そんな私の視界に、とんでもないものが映りこんだ。それは、メイド服姿のルアージュ姐さんが、銀製の剣を片手に私の前へ出ようとするところだった。
私は驚きのあまり、心臓が停止しそうになった。
「ね、姐さん! 下がって! こいつらは……かなりヤバい!」
私はとっさに片手を広げ、姐さんがそれ以上前へと出ないよう進路を遮った。が――
「大丈夫だよぉ~これでも吸血鬼ハンターなんだしぃ~」
「ダメですって姐さん! 吸血鬼ハンターなら、なおさらあいつらのヤバさがわかるでしょうが!」
思わず声を荒げた私に、ルアージュ姐さんはいつもと変わらぬ穏やかな顔を向けた。
「うん~だからこそぉ~妹分のそばには姉が必要でしょ~?」
「ね、姐さん……!」
いろいろな感情がごちゃまぜになり、私は自分が今どんな顔をしているのかわからなかった。
ただ、姐さんが何と言おうが、こんな危険すぎる奴らの前に立たせるわけにはいかない。最悪の場合、力づくでも姐さんを下がらせる。
もしくは……姐さんだけでも連れてここから逃げる。ルアージュ姐さんは怒るかもしれないが……。それでも、姐さんを失うより遥かにマシだ。
そんなことを考えていたが、結局アンジェリカ姐さんの母親、メグ姐様の臨場で大規模な戦闘になることはなかった。あのときほど、心底ほっとしたことはない。
その日の夜。私はルアージュ姐さんの自室へ足を運んだ。昼間の行動について一言もの申すためだ。
あんな危険なこと、二度としないでほしい、もっと自分を大切にしてほしい。私は真剣な表情でそう伝えた。
かすかに唇を尖らせていた姐さんだったが、私の真剣さが伝わったのか、最後には「わかったよぉ~」と納得してくれた。そして――
「心配してくれて、ありがとうねぇ~ウィズ~」
私の頭をそっと撫でた姐さんは、紅茶のお代わりを淹れてくると部屋を出ていった。ベッドに腰をおろしたまま、姐さんの小さな背中を見送る。
あのとき、私は本当に怖かった。姐さんを失ってしまうんじゃないかって。もう、あんな思いはしたくない。
それに、ルアージュ姐さん。姐さんには、幸せで穏やかな人生を送ってほしいんです。
だって、誰よりもツラくて悲しくて、残酷で過酷な人生を送ってきたじゃないですか。
もう十分じゃないですか。
白い柔肌を傷だらけにして、華奢な体をひたすらいじめ抜いて。同年代の女子たちが、おしゃれだの恋だのにうつうを抜かしているなか、姐さんはひたすら修羅の道を歩んでいたんじゃないですか。
もう、いいんですよ。これからは、もうそんな必要はないんですよ。
これから先は、ずっと笑って楽しくすごせばいいんです。姐さんにはその権利があるんですから。
姐さんには、いつも笑っていてほしいんです。
だから、姐さんに少しでも悲しい思いをさせる可能性があるものは、徹底して私が排除するんです。
変な虫がつかないよう目を光らせているのもその一環です。
ルアージュ姐さん。姐さんが私のことを妹のようだと言ってくれたように、私も今では姐さんのことを本当の姉のように思ってるんです。
だから、できるだけ元気で長生きしてください。
人間である姐さんは、きっと私より先に逝ってしまうでしょう。でも、その日まで私がずっとそばにいますから。
姐さんが亡くなったあとは、穏やかに眠れるよう墓守りにでもなるつもりです。それで、いつか私が死ぬときは、姐さんと同じ場所に埋めてもらいます。
私より遥かに年下で、ときどき何を考えているのかわからなくて、ちょっぴり危なっかしいところもある姐さん。
姐さんの幸せも笑顔も、全部私が守りますから。
絶対に絶対に、私が守りますから――