第百九十六話 心を一つに
「子離れできない困ったパパは世界最強の魔王です!」昨夜から連載開始⭐︎
森のなかを抜けてきた風が、ひゅーひゅーと虚しい音をたてながらテラスに舞い込む。メグから衝撃的な事実を知らされたアンジェリカは、半ば放心状態で宙の一点を眺めていた。
「アンジェ……」
沈痛な表情を浮かべたメグが、娘の心情を慮って控えめに声をかける。
「たしが……」
「……え?」
「私が……死ねば、パールは助かるん、ですよね?」
ゆっくりとメグのほうへ顔を向けたアンジェリカが、呟くような声で言葉を紡ぐ。
「アンジェ……!」
「それで……パールが助かるのなら……私は――」
「アンジェ!!」
パンッ、と乾いた音がアンジェリカ邸の庭に響いた。メグがアンジェリカの頬をぶったのだ。じんじんと熱を帯びる頬へ手を添え放心していたアンジェリカだったが、その顔が次第に険しくなる。
「……そうするしかないじゃありませんか! ほかに方法がないのならそうするしか!!」
「落ち着きなさいアンジェ!!」
「お母様なら……お母様ならどうしますか!? 今の私と同じ状況になったとき、お母様ならいったいどうしますか!?」
「……!」
メグは何も言い返せなかった。もし、自分が今のアンジェリカと同じ状況に陥ったのなら、迷うことなく自らの心臓を愛する娘のために捧げていたはずだから。
同じ娘をもつ母同士。メグはアンジェリカの気持ちが痛いほどよく理解できた。だが、だからと言って娘が自ら命を断とうとするのを黙って見ていられるはずはない。
「パールは……パールは……私の大切な娘なんです……何ものにも代えがたい、大事な娘なんです……」
アンジェリカの瞳に涙があふれ、次々と頬を伝っていく。我慢できなくなり、ついに嗚咽し始めた娘を目の当たりにし、メグはただただ自分の無力さに打ちひしがれた。
「おねが……お願いします、お母様……! パールが死んでしまうなんて、私には耐えられません……あの子を助けるために……私が、死ぬことを許し――」
アンジェリカの言葉を遮るように、テラスとリビングをつなぐ扉がバンッ、と乱暴に開け放たれた。そこに立っていた者を見て、アンジェリカとメグが思わず目を見開く。
「パ……パール……!」
そこにいたのは寝間着姿のパールだった。目にいっぱいの涙を溜め、キュッと下唇を噛みしめたパールが仁王立ちしていた。
「パ、パール……! どうして……!」
「ママのバカ!!」
ヨロヨロと立ちあがったアンジェリカに、パールが大声で言い放った。怒りなのか悲しみなのか、小さな体が小刻みに震えている。
「聞いちゃいけないって思ったけど……全部聞いた。私が……ママにとってよくない存在なのも……私が、あと二年で死んじゃうことも……!」
「パール……!」
仁王立ちしたままぽろぽろと大粒の涙をこぼすパールに近寄ったアンジェリカは、その小さな体を力いっぱい抱きしめた。
「私……やだよ……自分が死んじゃって、ママに会えなくなるのもやだし……ママが私のために死んじゃうのも、絶対にやだよ……!」
「ごめ……ごめん……ごめんね……パール……!」
抱きあったまま声をあげて泣き始めたアンジェリカとパールを見て、メグもそっと目もとを指で拭った。
「ママが……ママがいなくなったら、私は……私は、どうすればいいの……? ママがいない世界なんて……やだよ……そんなの、やだよぅ……!」
「うん……うん……ごめん、本当に……ごめんなさい……!」
「絶対に……絶対に、死んじゃうなんて、言わないで……! 約束、して……!」
「うん……! 約束、する。絶対に……私も、パールも生きられる方法を……探す……!」
顔を涙と鼻水でぐしゃぐしゃにしながらも、アンジェリカの紅い瞳に生気が宿ったのをメグは見た。
これなら……これなら、きっとアンジェは大丈夫だ。もう、絶望して安易に死を選ぶようなまねはしないはずだ。それなら……勝機はある。みんなで、心を一つにすれば、きっと……!
「アンジェ。パールの第二トリガーが起動するまでには、まだ二年もある。それまでに、絶対に私たちでトリガーを解除する方法を見つけるの」
「はい……。でも、どうやって……?」
「私たちは、世界でもっとも賢く強い真祖の一族よ。一族総出でことにあたれば、できないことなんてないわ」
そう言って立ちあがったメグは、「ちょっと行ってくる」と一言告げると、そのままその場から姿を消した。
そして一時間後――
アンジェリカ邸のリビングには、何とも言えない奇妙な空気が漂っていた。ソファに腰かけるアンジェリカとメグ。その向かいには、真祖一族の当主であるサイファと、キョウ、シーラ、ヘルガの三兄弟が座っている。壁際にはアリア、そしてフェルナンデスが立っていた。
「さっきも伝えた通り、アンジェにはすべてを話したわ」
「……ああ」
サイファがスッと目を伏せる。
「そのうえで、アンジェは希望を失っていない。もう、自ら命を断つことも考えないと約束したわ」
「そうか……」
安堵したような、まだ安心しきれないような、複雑な表情を浮かべるサイファ。と、そこへ。黙っていたアンジェリカが口を開いた。
「お父様。なぜ、お父様たちがパールを執拗に狙っていたのか、危険だという理由をなぜ教えてくれなかったのか、お母様から話を聞いてやっと理解できました」
「……」
「お父様やお兄様たちは……自分たちが完全な悪者になるつもりで……生涯私に恨まれる覚悟で、行動を起こしていたんですね……」
「……すまぬ。私は、愛するお前を失うのが怖かったのだ……キョウとシーラ、ヘルガも同じだ。みんな、お前に一生恨まれ、忌み嫌われてもよいと。それでも、アンジェを助けたいと……」
パールさえ亡き者にすれば、アンジェリカが自らの命を捧げる必要もなくなる。そう考え、サイファたちは行動したのだ。
「でも……お父様、お兄様。私にとってパールはかけがえのない存在なんです。パールのいない世界は考えられません。パールがいなくなったら、おそらく私もすぐあとを追うでしょう」
サイファと兄たちがハッと息を呑む。
「約束してくれますね? もう、パールの命を狙わないと」
「……ああ。わかっている」
アンジェリカの目をまっすぐ見つめながら、サイファは力強く頷いた。
「よし。話はまとまったわ。じゃあ、これからは真祖一族、みんなで力をあわせて、パールを助ける方法を探すのよ」
「うむ。精神世界の存在である女神サディへの直接的な手出しができない以上、トリガーの解除、もしくは無効化の方法を模索するのが現実的であろう。幸いトリガーの起動までまだ時間はある。配下の吸血鬼もすべて動員して、情報収集から始めよう」
アンジェリカとメグ、三人の兄たちが頷く。と、そのとき――
「ママ……」
リビングの扉が開き、恐る恐るパールが入ってきた。ハッとしたアリアが、パールのすぐそばへ移動する。
「アリア、大丈夫よ」
まだ警戒している様子のアリアへメグが目くばせした。スッと頭を下げ、アリアがもとの場所へと戻る。
「パ、パール。どうしたの? 眠れない……?」
「うん……」
リビングに入ってきたパールが、ソファに座るサイファやヘルガたちをちらちらと見やる。
「パール、紹介するわ。こちらが、私のお父様でサイファ・ブラド・クインシー。で、そっちにいるのが兄のキョウ、そっちがシーラ、そしてヘルガよ」
「え……! ママの……パパとお兄ちゃん?」
「ええ、そう。ちょっといろいろあったけど、これからはあなたや私のために、協力してくれることになったの」
「そう、なんだ」
「うん。挨拶、する?」
「うん」
サイファの右隣に座っていたヘルガが席を立つ。トテトテとソファに近づいたパールは、さっきまでヘルガが座っていたところへ腰をおろした。
「あの……パールです。ママの、娘です。よろしくお願いします」
「……うむ」
肌を刺すようなピリッとした殺気を感じ、サイファがちらりと壁際に立つアリアを見る。さすがというか、アリアはまったく油断していなかった。いつでも魔法を放てるように、こっそり背中の後ろに魔法陣を展開している。
「アリア、大丈夫だ。お前にも迷惑をかけて申し訳なかったな」
「は……」
アリアがていねいに腰を折る。が、展開した魔法陣を解除する様子はない。さすが、名門バートン家の嫡女にしてアンジェの眷族、とサイファは心のなかで舌を巻いた。
「あの……何て呼べばいいですか?」
「ん? そうだな……」
隣で首を傾げるパールを見て、サイファはアゴに手をやり思案した。
「パール、おじい様って呼んであげなさい」
「な……アンジェ……!」
思わずサイファが眉根を寄せる。が――
「おじい様?」
至近距離かつ上目遣いでおじい様と呼ばれ、サイファの頬がかすかに緩んだ。
おじい様……意外と、悪くないな。
そう顔に書いてあるのをアンジェリカとメグが読み取り、にやりと笑みをこぼす。
「そっちの三人は、おじ様って呼んであげなさい」
三兄弟がギョッとした表情を浮かべてアンジェリカへ視線を向ける。
「ええと……キョウおじ様にシーラおじ様、ヘルガおじ様……?」
三兄弟が同時に手で胸を押さえた。アンジェリカとメグには、「ずっきゅん」という音がたしかに聞こえていた。事実、三兄弟の口もとはだらしなく緩んでいる。
挨拶を終えたパールがトテトテとアンジェリカのもとへ戻っていく。離れていくパールを名残惜しそうに見ていたサイファだったが、次の瞬間とんでもないことを口にした。
「よし、アンジェ。私もここに住むことにしたぞ」
「お断りします」
「な、何故だ!?」
メグの一件があるので、サイファもそのようなことを言いだすのではとアンジェリカは考えていた。
「お父様。この屋敷には私とアリア、パール以外にも年ごろの女子が三人もいるんです。そんなところに殿方を住ませることなどできません」
「フェ、フェルナンデスも男ではないか……」
「フェルは男としてカウントしていませんから」
その言葉に、壁際で待機していたフェルナンデスがかすかにショックを受けた。完全にもらい事故である。
それでもサイファは何だかんだと食い下がってきたが、アンジェリカとメグが断固拒否し、結局この日はおとなしく帰ることにした。
翌日――
「おはよう、ノア」
「おは、ようご、ざいます」
早朝、屋敷の門を出たアンジェリカは、森のなかへ日課の散歩に出かけた。木々や草花の香りに心癒されつつ歩き始めたところ、目の前に信じられない光景が飛びこんできた。
「な、な、な……!」
何と、昨日まで木々が生い茂っていた場所に、巨大な館が建っていた。しかも、アンジェリカ邸の目と鼻の先である。
全身をワナワナとさせていたところ――
「お。散歩かアンジェ」
「お、お父様!!」
散歩コースのほうから現れたのは、昨晩会ったばかりの父、サイファ。
「ど、どうしてここにいるんですか!? そ、それにこの館……!」
「ああ。一緒に住むのを断られたからな。それならと思って、ここに館をもってきたんだ」
「も、もってきた……?」
「ああ。これは本国にあった別荘の一つだ。アイテムボックスに入れてもってきたのだ」
あんぐりと口を開けて絶句するアンジェリカ。巨大な建物が丸々入ってしまうほどのアイテムボックス。改めて父のすさまじさを認識させられてしまった。
「というわけで、これからは毎日お前やパールに会えるぞ。よろしくな」
なんっじゃそりゃあああああああああ! と大声で叫びたい衝動に駆られるアンジェリカであった。
気づけば累計550万PV⭐︎ありがたやです。