第百九十五話 明かされる真実
初の恋愛ファンタジー「今も貴方に私の声は聴こえていますか」1話公開⭐︎
ジェリーやオーラたちは、夕方アリアに伴われてそれぞれの自宅へと戻っていった。
ウッドデッキのテラス。ガーデンチェアに座り足を組むメグは、夜空にぷかりと浮かぶ月を眺め続けていた。
「……綺麗な月」
あの子が実家を飛びだした夜も、月がとても綺麗だった気がする。
と、そんなことを考えていたとき、リビングとテラスとをつなぐ扉がキィと音をたてて開いた。
「お母様、いますか?」
「……ええ。パールはもう寝た?」
「はい。それで、何なんですか? わざわざこんな夜遅くに話なんて」
月明かりのもと、アンジェリカはメグの向かいに腰をおろした。メグがじっとアンジェリカの目を見つめる。
「お母様……?」
何か覚悟を決めたような表情で見つめ続けてくる母親を前にして、アンジェリカの心臓が鼓動を速めた。
「……あなたがずっと知りたかったことを、話すわ」
「え……?」
「なぜ、サイファやヘルガたちがパールの命を狙うのか」
アンジェリカが目を見開く。
「そ、それは当然聞きたいです。やっと、教えてくれるんですね?」
「……ええ。でも、条件があるわ」
「はぁ? この期に及んでまだ――」
「聞きなさい」
有無を言わさぬ、低く冷たい声がアンジェリカの耳に刺さる。メグが小さく息を吐いた。
「……今から、私が話すことを聞いても、絶対に絶望しないと私に誓いなさい」
「それは……どういうことですか?」
「いいから、誓いなさい。そして、話を聞き終えても、絶対に自ら命を断つようなまねをしないと」
「い、意味がわからないですよ……いったい、何だっていうんですか?」
アンジェリカは混乱していた。なぜ、いきなり母がそのようなことを言いだしたのか。
「……私は、これからとても残酷な話をする。あなたが絶望するのに十分な話を。でも……あなたは昔よりずっと成長して強くなった。だから、あなたが絶望しないと、必ず乗り越えられると信じてる」
鬼気迫る表情でとつとつと言葉を紡ぐメグを前に、アンジェリカの心臓がさらに鼓動を速めていく。
「……お母様が、何を仰っているのか、私にはまったくわかりません。でも……私は、パールの母親です。絶望したり、自ら命を断ったりすることは、ありえません」
「……パールのためでも?」
「……は?」
メグはアンジェリカに刺すような視線を向けたあと、一つ深呼吸をした。
「サイファたちがパールを狙っているのは、あの子が危険な存在だからよ」
「それは何度も聞きました。でも、それってあの子が聖女だからってことじゃないんですか?」
「パールはただの聖女じゃない。『天命の聖女』よ」
「天命の聖女……?」
天命の聖女……? たしかその言葉、どこかで……? いったいどこ? 誰から……?
「私たちがよく知る聖女は『調和の聖女』。災害や強大な魔物の台頭など、そのときどきの状況に応じて人々を救済する役目を負う聖女よ」
アンジェリカが眉根を寄せる。
調和の聖女……たしか、その言葉も遥か昔にどこかで耳にした記憶が……。
「一方、天命の聖女は明確な目的、使命のもと生み出される特別な存在。その使命は……世界の行く末に関わると言われているわ」
「な、何をバカな……いくら聖女とはいえ、一人の人間にそのような大役を――」
「人間じゃないわ」
アンジェリカの言葉をメグが遮る。一瞬、アンジェリカはメグが何を言ったのか理解できなかった。
「……は?」
「……パールは、人間じゃないわ。意図的に創りだされたホムンクルスよ」
口を半開きにしたままのアンジェリカが、呆然とした様子で体を硬直させる。
ホムンクルス──
錬金術によって人工的に生みだされる生命体のことである。
アンジェリカは、足もとがグラグラと揺らいでいるような錯覚に陥った。動悸が激しくなり、息苦しさも覚える。
「バ、バカバカしい……そんなこと、できるわけ……」
「本当よ。まあ、ホムンクルスとはいっても、人間を介して生まれていないというだけで、パール自身の体は人間そのものなんだけど」
「そ、そんなこと……」
震える唇を開いたアンジェリカが、ハッと何かに気づいた。
「明確な目的のもと、って言いましたよね……? それって……」
「あなたを確実に殺すこと」
アンジェリカは頭を強く殴られたような衝撃を感じた。
「わ、私を……?」
「ええ。あの子には設計段階でトリガーが組み込まれている。そのトリガーが起動したとき、パールは天命の聖女として覚醒しあなたに襲いかかる」
「う、うそです……パールが、あの子がそんなこと……」
「おそらく、トリガーが起動したらあの子の自我は奪われるんでしょうね。そもそも、あなたおかしいと思わなかった? いくら聖女とはいえ、パールの魔力量や魔法の才能が異常すぎるってことを」
「そ、それは……」
それはアンジェリカも思っていたことだ。パールは、わずか三歳のときに枯れた花を蘇らせ、六歳のころにはSランク冒険者であるキラとほぼ対等に戦っていた。
およそ尋常ではない魔力量と魔法の才能。ただ、パールを盲目的に愛していたアンジェリカは、そこまで深く考えを巡らせなかった。
と、そのとき。アンジェリカが何かに気づいたように、ハッとした表情を浮かべる。
「お、お母様……わ、私、パールとそっくりな女の子を二人ほど知ってるんですが……」
リズが惜しみなく愛情を注いでいる愛弟子のメル。そして、ジャスナス湖で出会ったイングリス。どちらもパールにそっくりなだけでなく、魔力の質まで似ていた。
「……おそらく、パールの生産過程でできた子でしょうね。早い話が、パールの出来損ない……失敗作よ」
「そ、そんな……い、いったい、誰がそんなこ――」
アンジェリカがハッとした様子で口をつぐむ。聖女は、慈愛の女神サディの加護を受けて生まれてくる存在。だとすれば、つまり――
「……わかったようね?」
「ま、まさか……!」
「そう。絵図を描いたのは、慈愛の女神サディよ」
雷が直撃したような衝撃に襲われ、アンジェリカの視界がぐにゃりと歪んだ。
「……すべてを計画したのは女神サディだけど、実際にパールを生み出したのは、七禍たち悪魔族よ。ホムンクルスの生産拠点も、サイファたちが見つけだしたし、七禍の思考を読んで企みもすべて明るみに出た」
「な、なぜ悪魔族が……?」
「双方の利害が一致したんでしょうね。それに、精神世界の住人である神族は実体を持たない。悪魔族はていよく使われたんでしょうね。七禍ですら精神干渉されてたみたいだし」
アンジェリカが唖然とした表情を浮かべる。
「そ、そもそも……なぜ女神サディが私を抹殺しようなんて……」
「それは、あなたが世界のパワーバランスを崩しかねない存在だから」
「世界の……パワーバランス?」
「ええ。その気になれば星の位置さえも変えると言われた真祖、サイファ・ブラド・クインシー。あなたはその若さで、戦闘力だけならすでにサイファと肩を並べている。これ以上成長したら、手に負えなくなる、危険すぎると女神サディは考えたのでしょうね」
一瞬呆けたような表情を浮かべたアンジェリカだったが、次第に眉間へ深いシワが刻まれ始めた。
「それと……もう一つあなたに言わなくてはならないことがあるわ」
「な、何ですか……?」
「パールには二つトリガーが仕込まれてる。一つは、何かしらの言動に反応して起動し、天命の聖女への覚醒を促すトリガー。もう一つは……あの子が十歳になるとき自動的に起動する」
「起動したら……どう、なるんですか?」
メグが目を伏せる。口を固く結んでいる様子から、ためらっていることがありありとわかった。
「お母様……!」
「……十歳になったら起動するトリガーは、いわば保険よ。第一のトリガーがもし起動しなかったとしても、あなたを確実に殺すための仕かけ」
「……」
「……第二のトリガーは、魔力暴走による自爆の誘導。つまり、あの子が十歳になったとき、自動的にトリガーが起動してあなたもろとも自爆するよう設計されているの」
アンジェリカの膝が小刻みに震える。いつもは血色のよい唇も、今は見る影もない。
「うそ……」
魔力暴走による自爆。それはすなわち、パールの死を意味する。
「……本当よ」
「ト、トリガーを解除する方法は!?」
メグが再び目を伏せる。メグやサイファたちが、パールを狙う理由を頑なにアンジェリカへ教えようとしなかったのは、トリガー解除の方法を知られないためだ。
「……トリガー解除の方法は……あなたの胸から抉りだした心臓を、パール自身の手で灰にすること」
アンジェリカは目を見開き絶句した。
「……女神サディは、よっぽどあなたを殺したかったのね。第一のトリガーが不発でも第二のトリガーがある。万が一計画が漏れ、トリガーを解除する方法を知られたとしても、パールを助けるにはあなたの命を犠牲にするしかない。どこまでも残酷で卑劣だけど……よく練られた実現性の高い計画だわ」
アンジェリカはすべて理解した。おそらく、女神サディは自分を殺すためにいくつもの策を弄したのだ。
魔の森の、いつも散歩するルートに赤子だったパールを置いたのも、私が拾うことを計算していたのだろう。私の過去も知っていたに違いない。
女神サディの思惑通り、私はパールに深い愛情を注いで育てた。母親にとって娘は特別な存在だ。たとえ、それが血のつながらない娘であっても。
第一、第二のトリガーで私が死ねばそれでよし。万が一、私が計画を知ったら必ずパールを救う方法を探す。
でも、パールを救う方法は私の命を捧げること。どこまでも完璧な計画だ。母の言う通り、女神サディは綿密に計画を練ったのだろう。
すべては、アンジェリカ・ブラド・クインシー。この私を確実にこの世界から消すために。
――どこまでも白く静謐な空間で、女は宙に腰かけたまま満足そうな笑みを浮かべた。
「へえ。いよいよ知られちゃったんだ」
「はい、サディ様。今後はどのように?」
御使い、リリーからの報告に頬を緩め、にんまりとした笑みを浮かべる美しい女こそ、慈愛の女神サディである。
「ふふふ。どのようにも何も、放っておけばいいでしょ」
「はあ……」
「あの小娘が愛する娘に殺されるところを見てみたかった気持ちもあるけど、絶望しながら自らの心臓を抉りだす光景も興味深いわ」
嬉しそうにクスクスと笑い続ける女神サディを、リリーは呆れたように見つめる。
「どう転んでもアンジェリカは死ぬ運命よ。第一のトリガーが起動しなくても、二年後には第二の自爆トリガーが自動的に起動する。でも、アンジェリカはすべてを知り、娘を助ける方法も知った。なら、彼女がとる行動は一つしかないわ」
「なるほど……。神族評議会のほうは大丈夫でしょうか?」
女神サディの眉がぴくりと跳ねた。精神世界の支配者である神族の権限は厳格なルールによって制限されている。
物質世界への過度な干渉は原則として禁止されており、女神サディの行動に異議を唱える神族も少なからずいた。
「ふん……今さら何か言ってきたところで知ったことではないわ。それにもう、運命の歯車は回り始めたのだから」
冷たい声色で女神サディが言い放つ。
「さて、アンジェリカはどんな表情で自らの心臓を抉りだすのかしら? 涙は流すかな? 号泣しちゃうかな? ふふ……ふふふふふふ……ふふふふふふふふふ」
愉快でたまらないといった様子で笑い続ける女神サディの背後で、リリーは小さくため息をついた。
真祖アンジェリカへの異常なまでの執着。それは本当に、物質世界におけるパワーバランスの崩壊を危惧してのことなのだろうか。
失敗作のホムンクルスを処分せず、生まれた命には違いないからと、わざわざ誰かに拾われるような場所へ置き去りにするようサディ様は指示した。
慈愛の女神にふさわしい優しさをもつ一方で、天命の聖女の命を捨て駒のように使うなど、真祖アンジェリカの排除に関してはどこまでも冷酷な顔を見せる。
何かが歪んでいる気がする──
目の前でクルクルと楽しげに踊る女神サディに一礼したリリーは、そっと踵を返すとその場をあとにした。