第百九十一話 あのときの言葉
「あ~……! やっと帰れる~……!」
イスに腰をおろしたまま大きく伸びをしたキラが、感慨深げに口を開いた。ここはリンドルの冒険者ギルド。ホールの一角にあるテーブルを、Sランカーのキラ、ケトナー、フェンダーの三人が囲んでいた。
「だな。まあ、帝国の酒と飯もなかなか美味かったが、やっぱ慣れ親しんだリンドルのほうがいいな」
くくっ、と口角をあげて笑みをこぼしたのはフェンダー。
「たしかに、一週間近くリンドルを離れていたからな。さすがにリンドルが恋しくなるな」
ケトナーの言葉に、キラとフェンダーが同意するように頷く。三人は、一週間前からリンドル最高執行機関の依頼で護衛の任務に就いていた。護衛対象は、ランドール共和国の指導者であるバッカスとその他の議員団である。
公務で隣国、セイビアン帝国へと向かうバッカスたちを護衛すべく、キラたち三人は一週間ものあいだリンドルを離れていた。
「しばらく帝国の食べものはいいかな。さて……じゃ、私は帰るわ。あんたたちは飲みに行くの?」
「ああ。キラは行かないのか?」
「私は早くお師匠様やパールちゃんたちに会いたいし。今の私にとって家族だからね」
そう言い残してギルドをあとにするキラの背中を、ケトナーとフェンダーは笑みを浮かべて見送る。
「ほんと、キラもいろいろ変わったよな」
「ああ……昔はもっとこう……尖ってたというか、怖いところもあったのにな」
二人がまだ少年だったころから、キラは凄腕の冒険者として活躍していた。パーティを組んでくれとお願いして、何度も冷たくあしらわれたこともある。
「真祖の姫さんやパール嬢との出会いは、キラにとってきっとよかったんだろうな」
「ああ。そうだな」
顔を見あわせて「ふふ」と笑った二人は、おもむろに立ちあがると、連れ立って行きつけの酒場へと向かうのであった。
――アンジェリカ邸のそばへ降り立ったキラは、敷地を囲むように展開されている結界を見てそこはかとない違和感を抱いた。
あれ……? 結界が張り直されている……? 何かあったのかな?
アンジェリカ邸の敷地を囲む結界は、真祖アンジェリカが展開したものにキラがエルフの技術を用いて強化した特別製である。だが、今目の前に張られている結界は、もともとアンジェリカが展開していた初期型のものだった。
首を捻りつつ屋敷の門へと足を向ける。メイド服をまとった屋敷の門番、ノアがキラを見て腰を折った。
「ただいま、ノア。私がいないあいだに何かあった?」
「は、い。です、が、それは、アンジェリカ様、たちにお聞き、したほうが、早いかと」
「ふーん……」
やっぱり何かあったのか、と思いつつ門を抜け敷地に足を踏み入れたキラの視界に、見慣れない一人の女性が映りこんだ。
テラスのガーデンチェアへ腰かけ、読書をしている一人の女性。長く艶やかな黒髪をうしろにひっつめ、ポニーテールにした美しい女性にキラはしばし見とれてしまった。
え、誰……? めちゃくちゃキレイな人だけど……。どことなくお師匠様に似てる……もしかして、お師匠様の関係者なのかな……?
じっと見つめてくる視線に気づいたのか、黒髪の女性ことアンジェリカの母、メグがにっこりと笑みを携えて軽く手を振った。反射的にぺこりと頭を下げたキラは、そそくさと玄関へと足を向けた。
「あら、おかえりキラ。今回の依頼は長かったのね」
邸内へ入ってきたキラを見つけ、声をかけたのはアリア。
「うん、しかもつまんない護衛の仕事。退屈だったわー」
「ふふ。まあたまにはいいんじゃない? あ、紅茶淹れようか?」
「うん、お願い……って、そうだ。ねぇ、アリア。テラスにいる女の人って、誰?」
「テラス? ああ、メグ様よ。お嬢様のお母様」
「え!? ど、どうしてお師匠様のお母様が……!? お師匠様って、長く実家と距離置いてるって……」
「まあ……いろいろあってね。メグ様もここに住むことになったから、失礼のないようにね? 怒らせるとお嬢様以上に怖い方だから」
「う、うん」
キラがコクコクと頷く。そのまま自室へ向かおうと考えていたキラだったが、少し考え込んだあと、覚悟を決めたようにテラスへと足を向けた。リビングを抜けて、テラスへ続く扉をそっと開ける。そこには、先ほどと同じ姿勢のまま読書をしているメグの姿があった。
大きく深呼吸をしてから、テラスへと出る。キラに気づいたメグが優しそうな笑みを向けた。
「こんにちは。ええと……あなたも、アンジェと一緒に住んでいる女の子?」
「は、は、はい! キラ、と言います。よ、よろしくお願いします!」
「ええ、こちらこそよろしくね。それにしても、あの子ったら、こんなにかわいらしい女の子ばかり集めてどういうつもりなのかしらね。そんなにハーレムが作りたかったのかしら」
緊張して直立不動になるキラのそばで、メグがクスクスと笑みをこぼす。「座ったら?」とメグに言われ、キラは恐縮しながらも向かいの席に腰をおろした。
「あなたは、エルフ……いえ、ハーフエルフかしら?」
「は、はい、そうです。あの、私、お師匠様の弟子で……」
「あら、そうなのね。あの子も偉くなったものね~、弟子をとるなんて」
「い、いえ! 私が無理にお願いしまして……!」
ドギマギしながらも、キラは正面からちらりとメグの顔を見やった。
キレイ……お師匠様もめちゃくちゃキレイだけど、お母様はそれに輪をかけて美人だ。何て言えばいいんだろ、オトナの色気? ちょっと怖いくらい、妖艶な色香が全身からあふれ出ている。い、いやいや。そうじゃなくて。私には、どうしても聞いておきたいことがあるんだから。
キラは覚悟を決めたようにキュッと唇を噛むと、まっすぐにメグを見つめた。
「あ、あの、メグ様」
「ん、なあに?」
「あの……もう覚えていらっしゃらないかもしれませんが、何百年か前に、森でエルフの少女を悪魔族から助けたことがありませんか?」
メグが目をぱちくりとさせる。
「エルフの少女を……? んー……」
「たしか、そのときメグ様は、お師匠様のために星の花を摘みにいらしていたとか……」
その言葉を聞き、メグの目が驚いたように見開かれた。
「あっ! もしかして……キサ、のこと?」
「そ、そうです!」
キラの顔がぱぁっと明るくなる。まさか、そんな何百年も前のことを覚えているとは、しかも名前まで忘れずにいてくれたとは思わなかったのだ。
「じゃあ、もしかしてあなたは、キサの……?」
「はい、孫です。おばあ様から、クインシー様の……メグ様のお話はうかがっています」
「そう……あの子は、キサは息災かしら?」
「いえ……一年ほど前に……」
キラがそっと目を伏せる。
「そう、だったのね……。とても元気で明るくて、いい子だったわ」
星の花を摘みに出かけた先で出会った可憐なエルフの少女。あの当時を思いかえし、メグは過去を懐かしむように遠くを見つめた。
「おばあ様は亡くなる直前まで、メグ様の名前を口にしていました。ずっと、うわ言のように「クインシー様、ありがとうございました」「クインシー様、すみません」と」
メグが小さく息を吐く。彼女との別れ際、口にした言葉が脳裏によみがえった。何かお礼をしたいと言うキサにメグが伝えた言葉。
『いつか、私の世間知らずな娘を支えてあげてちょうだい。縁が繋がればだけど』
メグの口もとがかすかに緩む。
ああ、キサ。あなたはあのときの言葉に応えてくれたのね。死にゆく間際までそんなことを気にして……ほんと、どうしようもない子。でも……。
「あの子は……苦しまずに、逝けたのかしら」
「はい……。にっこりと微笑みながら。お師匠様も一緒に見送ってくれました」
「……そう」
少しのあいだ目を閉じたあと、メグは読んでいた本をパタンと閉じた。
「ねえ、キラ。あの子のお墓はどこにあるの?」
「え? ええと、母の実家があるエルフの里に……」
「よし、今からお墓参りに行くわよ」
「え、今からですか!?」
「ええ。私も久しぶりにあの子に会いたいし。約束を守ってくれたお礼も言わなきゃね」
メグの言葉に、キラの目頭が熱を帯びる。俯いて涙をこらえるキラにそっと近寄ったメグは、彼女の首に腕を絡め優しく抱きしめた。
「さ、行きましょ」
「はい……!」
メグが差しだした手をキラがとる。じんわりと手に伝わる優しいぬくもりが嬉しくて、キラの瞳から涙がこぼれた。そんな彼女にメグは寄り添いながら、二人で墓参りのために屋敷を出るのであった。