第百八十八話 絶叫する娘
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
「あ~……やっぱりフェルの淹れた紅茶は美味しいわ~……」
アンジェリカ邸のテラスで、ティーカップ片手に恍惚の表情を浮かべるのは、アンジェリカの母であるメグ・ブラド・クインシー。
あんなことがあったにもかかわらず、目の前で呑気に紅茶を味わっている母へアンジェリカはジト目を向けた。
「何よ、アンジェ」
「……別に、何でもありません」
「なぁに? まだ私を警戒しているの?」
メグが右手をスッと伸ばし、指でアンジェリカの頬肉をギュッとつまんだ。
「い、いひゃひゃひゃ……ち、ちょっと、やめてくださいお母様!」
「だって、久しぶりに会えたっていうのに、アンジェったらずっとそんな顔してるんですもの」
「だって……」
「昔はあんなに「ママ~!」ってべったりだったのに、はぁ……まだ反抗期なのかしらね」
「ち、ちょっとマ――」
うっかりママと口走りそうになったアンジェリカが慌てて口をつぐむ。少し離れたテーブルからアンジェリカたちの様子を窺っていたリズにウィズ、ルアージュが「ママって言いそうになった」と胸のなかでツッコんだ。
なお、この場にパールはいない。アンジェリカとしては、母が本当に敵ではないとまだ判断できないため、パールを会わせるかどうか迷っている段階だ。
「そ、それはそうとお母様。説明してもらいますよ?」
「何を?」
「とぼけないでください。お父様やお兄様たちが私の娘を狙う理由です」
ティーカップをソーサーへ戻したメグが、じっとアンジェリカの目を見やったかと思うと「ふぅ」と小さく息を吐いた。
「今はまだ……言えないわ」
「は? そんなの、納得できるわけないですよね? こっちは、愛する娘を何度も襲撃されてるんですよ?」
「……そうね。あなたが納得できないのは理解できる。私も娘をもつ母親だしね」
「だったら――」
「それでも、今はまだ言えないの」
アンジェリカの言葉を遮るようにメグが言葉をかぶせる。苛立ちを隠せないアンジェリカの体から、かすかに禍々しい魔力が漏れ始め、リズやウィズたちがぎょっとした表情を浮かべた。
「ち、ちょっとお姉さ――」
「落ち着きなさい」
リズが腰を浮かせかけたのと同時に、再びメグのチョップがズビシッとアンジェリカの頭へ直撃した。
「いった……!! もう、それやめてくださいお母様! 背が縮んじゃうじゃないですかっ」
「なら落ち着きなさいよ。私は「今はまだ」と言ったでしょ? そのときが来たら、必ず私の口からあなたに話す。それは約束するわ」
「そのときって……いつなんですか?」
やや唇を尖らせたアンジェリカが、軽くメグを睨みつける。
「……確信がもてたらよ」
「はぁ?」
「安心しなさい。そのときはそれほど遠くないわ。だから、お願い……今は、聞かないでちょうだい」
メグがスッと目を伏せる。大切な娘を幾度も襲撃され怒り心頭だったアンジェリカだったが、わずかに悲痛な表情を浮かべた母の姿を目にして困惑してしまった。
「ただ……一つこれだけは言えるわ。サイファたちがあのような行動に出たのは、すべて大切な娘であるあなたを守るため。それだけは断言できる」
「……お父様もそのようなこと仰ってましたけど……なおさら意味がわからないですよ」
「そうよね。でも、私はサイファたちのやり方には反対だった。大切な娘を奪われるなんて……自分が死ぬ以上に受け入れがたいことだもの」
「……」
メグはぬるくなった紅茶を喉へ流し込むとため息をついた。と、そのとき――
「ママ……?」
リビングとテラスとをつなぐ扉が開き、パールが顔をのぞかせた。アンジェリカの心臓がドクンと大きく跳ねる。
「パ、パール。ダメじゃない、上にいなきゃ……!」
「ご、ごめんなさい。でも……」
顔を伏せるパールのもとへアンジェリカが歩み寄り、膝立ちになって視線をあわせた。
「何となく……気になっちゃって……。さっきのママ、怖かったし……」
アンジェリカはハッとした。先ほど、庭へ出てきて戦闘に参加しようとするパールを怒鳴りつけたことを思い出し、グッと奥歯を強く噛みしめた。
「そう、よね。ごめんなさい、パール。さっきはあんな怒り方してしまって……あなたに危険が及ぶと思ったからつい……」
膝立ちのままパールをギュッと抱きしめるアンジェリカ。
「うん……私も、ママの言うこときかずにごめんなさい……」
お互いを思いやる母娘の姿にあたたかい視線を向けるリズやウィズたち。一方、メグはパールを見るやアゴに手をやり何やら考え込むように首を傾げた。そして――
「あっ!」
突然メグが大声を出し、その場にいた全員が肩をビクッと跳ねさせた。
「な、何ですかお母様。いきなり大声出し――」
「ねえ、あなた。前にエビルドラゴンと戦ってた子じゃない?」
アンジェリカの言葉を遮り、メグが前のめりになってパールへ声をかける。
「は、はい……そうですけど」
「やっぱり!」
納得がいったように胸の前で手をパンッと打ち鳴らすメグ。一方、なぜパールがエビルドラゴンと戦ったことを母が知っているのかと、アンジェリカは眉を顰める。
やや困惑気味のパールだったが、テラスの壁に立てかけられている一本の槍を視界に捉え「あっ!」と声をあげた。
「あのとき、エビルドラゴンにとどめをさした黒い槍!!」
興奮したように叫ぶパールに対し、アンジェリカたちは「??」なままである。
「ど、どういうこと、パール? エビルドラゴンは、あなたとアルディアスで倒したんじゃ……」
「ええと……実はね……」
パールはあのときのことを正直にすべて話した。魔剣のケンによる捨て身の攻撃でも倒しきれず、最後の大勝負に出ようとした矢先。空から凄まじい勢いで飛来した槍がエビルドラゴンの心臓を貫いたこと。
「は~……まさか、あのときの無茶をしていた子が、アンジェの娘だったなんて……こんな偶然あるのね~」
「あ、あの……ママ、この人は……?」
思わぬ再会に一人で唸るメグを尻目に、パールがアンジェリカへ率直な疑問を伝える。
「あ、ええと……私のお母様で、メグ・ブラド・クインシーよ」
「え!? ママのママ!? たしかに似てるけど……!」
驚きの表情を浮かべたパールが、アンジェリカとメグの顔を交互に見やる。
「そ、それにしてもお母様。どうしてエビルドラゴンを……?」
「うん。思い出したわ」
そう口にしたメグは席を立つと、ツカツカとアンジェリカのもとへ近寄り、再び強烈なチョップを頭頂部へ見舞った。ズンッ、と鈍い音がテラスに響きわたる。
「いっ……!!」
あまりの痛さに声も出せずうずくまるアンジェリカ。両手で頭を押さえてプルプルと肩を震わすアンジェリカのそばで、パールはオロオロしながら「ママ、大丈夫?」と声をかけた。
「思い出したらイラっとしちゃった。アンジェ、あなたがエビルドラゴンの眠りの周期を狂わせたせいであんな面倒なことになっちゃったんでしょうが。娘のあなたがしでかしたことを、母である私が尻拭いしに行ったのよ」
「そ、そうだったんですか……」
「しかも元凶を作った本人じゃなく、娘に戦わせてるとか……」
「い、いや……あのときは私もエビルドラゴンの捜索中だったし……」
「言い訳するんじゃないわよ。あのとき、この子は限界まで身体強化しようとしていたわ。私がスピアンヌでとどめをさしたからよかったものの、あのままだとあなたの大切な娘はどうなってたことやら」
「う……」
アンジェリカが唇を噛む。一方、リズとウィズ、ルアージュは「いやスピアンヌて」とそのネーミングセンスのなさを胸の内でツッコんだ。
「まあ……終わったことはもういいわ。それにしても……」
メグがパールへと視線を移し、そっとその頭を撫でた。やや緊張した面持ちでメグを見上げるパール。
「ねぇ、パール。ママのことは好き?」
「は、はい」
「ママは優しい?」
「はい、とっても。怒ったら怖いけど……」
「そう」
クスっと笑みをこぼしたメグが再びガーデンチェアへ腰をおろす。
「パール、こっちいらっしゃいな」
「え?」
メグがパールを手招きする。一瞬警戒したアンジェリカだったが、何かするつもりならとっくにしているだろうと判断し、特に何も言わなかった。
トテトテと近寄ってきたパールを、メグが膝の上にのせる。なぜかとても満足そうな顔だ。
ああ……何てかわいらしい。アンジェにもこれくらいの時期があったわよね。あのころは、いつも「ママ、ママ」って私についてまわってた。
膝の上にのせたパールを抱きしめながら、メグはうっとりとした表情を浮かべる。アンジェリカと血のつながりはないものの、初孫なのだから仕方がないのかもしれない。
しばらくうっとりとしたままだったメグだが、突然こんなことを言い出した。
「ねえ、アンジェ。私も今日からここに住むことにしたわ」
「……は?」
母が何を言ったのか一瞬理解できず、呆けるアンジェリカ。
「今日から一緒に住むわ。よろしくね」
「はあああああああああああっ!!?」
悲鳴にも似たアンジェリカの絶叫が魔の森に響きわたった。
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