第百八十七話 強烈すぎる一撃
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それはとても不思議な光景だった。屋敷の周りに張った強力な結界を破り敷地へと足を踏み入れた四名の侵入者が、門をくぐり悠々と歩を進める。
通常、アンジェリカ邸へ侵入しようとした者は、例外なくノアやアルディアスの手痛い歓迎を受けることになる。が、そのノアもアルディアスも一向に動く気配がない。
いや、動けないのである。ノアは硬直したように門のそばへ立ち尽くし、アルディアスは低い唸り声をあげながら地面へ伏せていた。
アンジェリカにつき従い、テラスを抜けて屋敷の外へ出たフェルナンデスが思わず息を呑んで立ち尽くす。全身の毛穴という毛穴から嫌な汗が噴き出し、膝も小刻みに笑い始めた。
「そ、そんな……ご当主様……!?」
三名の皇子を引き連れ先頭を歩く眼光の鋭い男こそ、始まりの吸血鬼でありアンジェリカの父、真祖サイファ・ブラド・クインシーである。
庭へ出たアンジェリカとサイファが互いに距離をとって向かいあう。千年以上ぶりの再会であるにもかかわらず、双方の表情はほとんど変わらない。
「……元気そうだな。アンジェ」
「……お久しぶりですね、お父様。ちょうどよかったです……こちらから出向くところでしたので」
アンジェリカの体から殺気混じりの禍々しい魔力が立ち昇り始める。
「ま、待つんだ、アンジェ!」
「……何を待てと? ヘルガお兄様、私の大事なアリアによくもあのような真似をしてくれましたね。ここまで来たということは、まだやり足りないということですか?」
妹であるアンジェリカに睨み据えられたヘルガの足がすくむ。が、妹の言動からするに、アリアから何も話が伝わっていないことを理解しひとまず安堵した。
「聞く必要はありませんが、一応聞いておきますお父様。いったい何をしにいらしたんですか?」
サイファがじっとアンジェリカを見つめる。そして──
「……アンジェ。何も聞かずに娘をこちらへ渡すのだ」
「………………は?」
たっぷりと間をとったアンジェリカの口から間抜けな声が漏れる。
「アンジェよ……聞くのだ。お前が育てている娘のパール。あの少女は危険なのだ。とてつもなく……。大事な娘であるお前を守るため、あの娘は処分しなくてはならぬ」
父の発言を聞き、アンジェリカのなかでこれまでのことが線になってつながった。学園帰りのパールを襲った怪しい男たちに屋敷へ夜襲をかけようとした竜人族。そして商業街での襲撃。
「……すべて、お父様たちの仕業だったわけですか」
怒りでどうにかなりそうなのを堪え、アンジェリカは絞り出すように言葉を紡いだ。怒りのあまり声は震え、体から撒き散らかされる魔力で風が巻き起こる。
「アンジェ! お願いだ! 私たちも父上様も、お前と争うつもりなどない! ただただお前を……守りたいだけなんだ……!」
沈痛な表情を浮かべながら絶叫するキョウに、アンジェリカはどこまでも冷たい視線を向ける。
「……言ってる意味がまったくわかりません。パールが危険? あの子が聖女だからですか?」
「それは……言えん」
キョウに代わりサイファが答える。
「……話になりませんね。ただ、一つだけはっきりと言えることがありますわ。どんな事情があれど、パールに害をなす者はお父様だろうがお兄様だろうが、明確に私の敵だということです」
「アンジェ……!」
まるで痛みを堪えるように顔を歪めるサイファ。そのような顔を見たのは、娘であるアンジェリカも初めてだった。と、そのとき。二階でアリアの看病をしていたウィズにルアージュ、パール、リズたちがドタバタとテラスを抜けて外へ出てきた。
「お、叔父上様!?」
サイファの姿を見たリズが、驚愕のあまり目を見開く。
「ママ! 何があったの!? 大丈夫!?」
駆け寄ろうとするパールへアンジェリカが弾けるように振り返る。
「パール! 来ちゃダメ。フェルナンデス、パールを連れてアリアのそばに」
「は」
主人の命令を受けたフェルナンデスが素早い動きでパールのそばへ移動する。が――
「ママ、私なら大丈夫だよ! 敵なら私も一緒に――」
「いいから戻ってなさい!!」
鬼のような形相で怒鳴られたパールが両肩をビクッと跳ねさせる。これまで、アンジェリカからこのような怒られ方をしたことは一度もない。
それでもまだ渋ろうとしたパールの手をフェルナンデスが半ば強引に引きながら邸内へと戻ってゆく。
「ルアージュの姐さん! 姐さんも下がってください! こいつらは……かなりヤバい……!」
ウィズがルアージュを庇うように片手を広げて前へ出る。
「大丈夫だよ~、これでも吸血鬼ハンターなんだし~」
「ダメですって姐さん! 吸血鬼ハンターなら、なおさらあいつらがどんだけヤバい連中かわかるでしょうが!」
「うん~。だからこそ、妹分のそばには姉がいなきゃダメでしょ~?」
「姐さん……!」
ウィズの顔がぐにゃりと歪む。感情を整理しきれず、自分でもどのような顔をしているのかウィズにはわからなかった。
そのようなやり取りが行われているさなかでも、アンジェリカは父であるサイファに鋭い視線を刺し続けていた。
「アンジェよ……私たちはお前と争いたいわけではない。わかってくれ……」
「……大切な娘を殺すと言われて、はいわかりましたなんて言えると思いますか?」
「どうしても……パールは渡せぬと言うのだな……」
「何度も言わせないでください」
刹那、全身が鉛のように重くなるのをアンジェリカは感じた。ちらりと周りを見やると、ウィズやルアージュは地面に手をつき息を荒くしている。サイファはただ紅い瞳をこちらへじっと向けているだけだ。
「ぐ……! 体が……重い……!」
「な……何なの~……これぇ~……!」
まるで重力が敵にまわったかのような出来事。これが、その気になれば星の位置さえ変えると言われた父の力なのかと、アンジェリカは驚愕した。
「く……きついですわね。お姉様、いかがなさいますか?」
かろうじて立っているリズの言葉を無視し、アンジェリカは魔力を練り始める。
「アンジェよ……私とお前が戦えばどのようなことになるか、わからぬはずはあるまい」
世界最強の真祖である父サイファと、戦闘力だけであれば匹敵すると言われた娘のアンジェリカ。強大すぎる力が正面からぶつかればどうなるのか、それは火を見るよりも明らかだった。
「仕方がありませんわ……私は……あの子を守るためなら国の一つや二つ平気で焼きますから」
どこまでも頑なな娘の態度に、サイファは目を閉じそっと息を吐いた。アンジェリカの言葉は本心だ。真祖の一族郎党をはじめ、直属の配下である名門吸血鬼の一族すべてを敵にまわしたとしてもアンジェリカは争うつもりだろう。
どうする? いったいどうすればいい? できることならアンジェを傷つけたくはない。たとえわずかな傷でも娘にはつけたくはない。だが、本気で向かってくるアンジェに手加減はできないだろう。
「どうしました、お父様。戦わないんですか?」
サイファがちらりと屋敷を見やる。いつの間に張ったのか、屋敷には強力な多重結界が張られていた。娘の覚悟が痛いほど伝わり、サイファの胸にズクッとした鈍い痛みが走る。
「仕方……あるまい」
サイファが一歩前へ踏み出したタイミングで、アンジェリカが宙へ魔法陣を展開させた。
「『展開』」
アンジェリカとサイファを除く全員が息を呑む。アンジェリカの眼前に展開された緻密な魔法陣、その数およそ二十。直径一メートル前後の魔法陣が上下二段構えで整然と並ぶ様子は壮観ですらあった。
「……魔導砲、か」
緻密に描いた複数の魔法陣で魔力をブーストし、一斉に砲撃するアンジェリカの独自魔法。まさか、このような形で目にすることになろうとは思わなかった。
すべての砲撃をかわすのはほぼ不可能だろう。アンジェのことだ、おそらく動く敵を追尾するよう設計しているはずだ。
が、魔法の撃ち終わりは必ず隙ができる。その隙に接近して行動不能にする。なるべく傷をつけずに。
サイファが魔力を練り始め、紅い瞳がより一層紅く染まった。大地が地鳴りをあげ空気も震えた。
アンジェリカが魔法の発動態勢に入る。サイファもわずかに身構えた。
「……『魔導――』」
アンジェリカが手を前方へかざしたまさにその刹那。空から凄まじい勢いで何かが飛来し、とてつもない爆音を響かせて二人の中間地点あたりの地面へと刺さった。
ハッとした表情を浮かべて空を見やるアンジェリカとサイファ。二人の視界に映ったもの。それは、黒髪を風に靡かせながら地上を見下ろす女の姿。アンジェリカの顔が驚愕に歪む。
女がスーッと地上へと降り立ち、地面に刺さった棒のようなものを抜いた。その正体は槍。黒い刃の部分にはぎょろぎょろと動く気味の悪い目がついている。エビルドラゴンの鱗で作られた魔槍だ。
地上へ降り立った女は、サイファの妻でありアンジェリカの母、メグ・ブラド・クインシーであった。
「メグ……!」
眉根を寄せるサイファを、メグは鋭い目で睨みつけた。
「サイファ……。このようなやり方、私は決して容認できないと言ったはずだけど?」
「そんなことを言っている場合ではないのだ……! もう時間も――」
「そうだとしても、よ。娘をもつ母親として、アンジェから娘を強引に奪おうとするあなたたちのやり方には賛成できないわ」
眉根を寄せたままサイファが拳を握りしめる。
「ここはいったん引きなさいな。いくらあなたたちでも、私とアンジェの二人を敵にまわすのは得策じゃないでしょう?」
「……」
しばらく身じろぎ一つしなかったサイファだが、唐突に背後を振り返るとヘルガたちへ「帰還する」と一言告げ、その場から姿を消した。困ったように母へちらちらと目を向けていたヘルガたちも、慌てて父のあとを追い転移した。
まるで先ほどまでの騒ぎが嘘のように静けさを取り戻したアンジェリカ邸の庭。
サイファたちが姿を消すのを確認したメグはおもむろに振り返ると、魔槍『スピアンヌ』を手に携えたままスタスタとアンジェリカのもとへ歩み寄った。
にわかにアンジェリカの顔が強張る。もしかすると、母もパールを狙ってここへやってきたのかもしれない。そうした思いがどうしても拭いきれなかった。
「お、お母様……」
母を目の前にし全身を硬直させるアンジェリカ。いくつになっても母は怖い存在なのである。
「お……お母様、どうしてここ――あいたっ!!」
アンジェリカの言葉をすべて聞く前に、メグが強烈なチョップを頭へ打ちおろした。
「こんの……放蕩娘!!」
のっけから叱られ、アンジェリカは反射的に肩を竦めた。
「千年以上、一度も実家に戻らずふらふらと……たまには便りくらい寄越したらどうなの!?」
「だ、だって……」
「だってじゃない!」
強烈な雷を立て続けに落とされたアンジェリカは、完全に意気消沈し縮こまってしまった。
「ほんとにあんたは……。まあ、もっと説教したいけどそれはまたあとでいいわ。あ、リズ。久しぶりね」
「お、奥方様、久方ぶりですの」
「相変わらず堅苦しいわね。メグでいいわよ」
緊張した面持ちのリズが「はぁ」と困った顔をする。
「まあいいわ。とりあえず久しぶりに会ったんだし、みんなでお茶しましょ。フェルナンデスもいるんでしょ? 久しぶりにフェルの淹れた紅茶が飲みたいわ」
「ええ……」
困惑するアンジェリカをよそに、メグは槍を片手にズカズカとテラスへとあがってゆく。顔を見あわせていたウィズやルアージュも、怒涛の展開に頭が混乱していた。
そんなアンジェリカたちの困惑を知ってか知らずか、メグはテラスから大声で「フェルー! いるんでしょー!?」と邸内へ向けて呼びかけていた。
恐る恐る降りてきたフェルナンデスが再び驚愕したのは言うまでもない。
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