第百八十五話 お嬢様
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またか──
ベッドへ横たわろうとしたアリアが、振り向きざまに手刀を横へ薙いだ。刎ね飛ばされた首が壁にぶつかり、頭部を失った屈強な体が膝からがくりと崩れ落ちる。
これでいったい何度目だろうか。アリアはため息をつくと、魔法陣を展開させ刺客の亡骸を跡形もなく燃やし尽くした。
約一ヶ月のあいだに十二回。アンジェリカの専属メイドとなったアリアのもとへ送られてきた刺客の数である。
吸血鬼の頂点に君臨する真祖一族において唯一の姫であるアンジェリカ。幼いながらも美しい顔立ちと、兄たちを凌ぐ圧倒的な魔力をもつ彼女に多くの吸血鬼が魅了された。
彼女自身の魅力もさることながら、アンジェリカを娶り真祖一族と姻戚関係になりたいと考える吸血鬼の一門も少なくない。
アリアに刺客を送ってきたのはそのような連中である。すなわち、アリアに対する嫉妬だ。
アンジェリカの専属メイドとなれば、必然的にもっとも近いところで接することができる。一族に好印象を抱いてもらえれば婚姻の可能性も高まる。
そのため、多くの名門吸血鬼一族がアンジェリカの専属メイドの座を狙っていた。が、アンジェリカが自らアリアを専属メイドにと望み、兄のヘルガも折れてしまったため、こうした企みは水の泡となったのである。
しかも、アリアは真祖一族を長きにわたり支えてきた名門、バートン一族の嫡女である。そのため、表立って抗議することもできなかった。
こうした背景もあり、アリアがアンジェリカの専属メイドとなって以降、頻繁に刺客が送られてくるようになったのである。
それだけではない。真祖の居城に詰めるメイドたちからは日常的に嫉妬の視線に晒され、陰湿な嫌がらせを受けることもあった。
「どうしたの、アリア? 元気がないように見えるけど」
ベッドに入ったアンジェリカにシーツをかけようとしたアリアの肩が思わず小さく跳ねる。
「そ、そんなことありませんよ?」
「うっそだー。いつもより表情が暗いもの。私、わかるんだからね」
ベッドで仰向けになり、シーツから顔だけ出したアンジェリカが唇を尖らせる。
「あはは……お嬢様には敵いませんね……」
苦笑いしたアリアは、ここ最近の出来事をアンジェリカに話した。
「何それっ! アリア、そんなことされてたの!? どこの誰!?」
話を聞いたアンジェリカがベッドから勢いよく半身を起こし、ぷんぷんと怒り始める。
「や、どこの誰かはわかりませんし、そんな大したこともされていないので大丈夫ですよ」
「刺客まで送ってくるって、かなり大したことだと思うんだけど……」
ジト目を向けられ、思わず「うっ」と言葉に詰まるアリア。
「私からお父様やお母様に言っておこうか?」
「いえ、私なんかのことでお手を煩わせるわけには。それに……」
「それに、何?」
「……私がお嬢様の専属メイドにふさわしくないのは、自分でもよくわかっていますから」
目を伏せたアリアがキュッと下唇を噛む。そう、私の手は血に塗れている。戦場で数多の命を奪い、ときには味方の将兵すら殺傷した。
そのような者が、純粋無垢なアンジェリカお嬢様の専属メイドだなんて。ほかの名門吸血鬼たちが納得いかないのも理解できる。
「アリア……」
苦悩するようなアリアの顔を覗き込んだアンジェリカが、その手をそっと取る。
「ねえ、アリア。私は、あなたがヘルガお兄様のメイドだったことしか知らない。過去に何をしていたのかもまったく知らないし、別に聞こうとも思わない」
「……はい」
「私は、誰よりもあなたは信頼できると思って、お兄様に無理を言って譲ってもらったの。いつも私に優しく接してくれるし、アリアじゃなきゃ絶対にヤダって駄々こねてね」
「そう……でしたね」
「私、アリアのこと好きよ。いつも私のことを一番に考えてくれるところも、とても美味しい紅茶を淹れてくれる、しなやかなこの手も、全部大好き」
「お嬢様……」
アリアの頬を、熱いものがとめどなく流れ落ちた。
──静謐な空間に、金属同士がぶつかり合う甲高い音が響く。
剣を片手に風を巻いて突進してきたアリアの斬撃を、シーラは硬化した爪でかろうじて防いだ。
「くっ……!」
押し斬らんと力を込めるアリアの背後からヘルガが急襲するも、素早く身を沈めたアリアに足払いをかけられ転倒する。
アリアがその隙を逃すはずなく、倒れたヘルガの喉元へ剣先を振り下ろした。が、これはかろうじて避けられる。さらに背中を向けているアリアを引き裂かんと、シーラが迫るも察知され振り向きざまに強烈な蹴りを腹部に喰らった。
「……がっ!」
弟二人が手玉に取られている様子を見たキョウは内心舌を巻いた。
「むう……! これが閃光のアリア……!」
遥か昔、アリアの話は何度も耳にした。ヘルガに側近として仕えるバートン家の娘。頭脳明晰で器量良しなだけでなく、戦場で誰よりも勇猛果敢な戦いを見せると。
音もなく敵に近づき、本人すら気づかぬうちに首を刎ねる。その圧倒的な強さゆえに、敵味方を問わずいつしかこう呼ばれるようになった。
閃光のアリア、と──
噂には尾ひれがつくものだ。自分もそう思っていた。いかに強いとはいえ女だ。おそらく、ヘルガか軍の将校が兵の士気高揚を目的に、アリアの強さを大袈裟に主張したのだろうと。
しかし、それが大きな間違いであったことをキョウは嫌というほど思い知らされることになった。まさに、閃光のアリアの名に恥じぬ見事な強さ。
感嘆するキョウを尻目に、アリアは軽い身のこなしで宙返りしながらもとの位置へ戻ってゆく。
手にしている剣に刃こぼれを確認したアリアは、剣を投げ捨てると新たな剣を床から引き抜いた。
「むう……まさか魔法を使えない状況でここまでとは……!」
シーラが悔しげに歯噛みする。
「当然です。白兵戦こそアリアの真骨頂。かつては剣一本で単騎敵陣へ斬り込み、一部隊を壊滅させたこともある本物の強者です」
そう、アリアの強さは自分が誰よりも理解している。が、三対一の状況でここまで圧倒されるとは予想外だった。敵にまわすとこれほど厄介な相手だったとは。
「シーラ、ヘルガ! やみくもに戦うのは得策ではない。全員で囲むぞ」
再度突っ込んできたアリアをキョウたちが取り囲む。が、知ったことかと言わんばかりにシーラへ迫ると、再び強烈な斬撃を繰り出した。
伸ばした爪を交差させて剣を受け止めるシーラ。
「くっ……! 重い……!」
「あら。女性に重いだなんて失礼ですね」
ニコリと笑みを浮かべるアリアに、キョウとヘルガが背後から同時に襲いかかる。
「……ちっ」
背後から迫る両者へ剣を一閃させようとした刹那、一瞬の隙をついたシーラがアリアの体にしがみついた。
「なっ……! 離し──ぐっ!」
一瞬動きを封じられたアリアの肩口をキョウの鋭い爪が抉った。顔を歪めながらもシーラを投げ飛ばしすかさず距離をとる。
が、相変わらず三兄弟はアリアを中心として三角形を描くように布陣していた。もし、またさっきのような戦法でこられたら、着実に体力を削られてしまう。
しかも、魔法禁域によって治癒魔法も使えない。白兵戦なら間違いなくこちらに分があると思ったが、さすがにこの三名を同時に相手するのは無謀だったか。
アンジェリカより劣るとはいえ、いずれも真祖であることは間違いない。並の吸血鬼など歯牙にもかけない強き一族の皇子なのだ。
「……きつい戦いになりそうね」
ぼそりと呟いたアリアは、大きく息を吐くと剣を構え、真正面に位置するヘルガへ向かい突進していった。
──戦闘を開始して約一時間。真祖の三皇子もアリアも、このときが永遠に続くかのような錯覚のなか激しい戦いを繰り広げていた。
彼らの足元には刃こぼれして使いものにならなくなった剣の残骸や、折れた刃がいくつも散乱している。
「……ああ、もう!」
斬れ味の落ちた剣を勢いよくキョウへと投げつけるアリア。身を捻ってかわした隙に素早く移動し、新たな剣の柄へ手をかけた。
「あと二本か……」
引き抜いた剣とあわせて二本。まさか本当にすべての剣を使い尽くすような状況に陥るとは考えてもいなかった。
肩で息をしながら三兄弟へ視線を巡らせる。激闘の甲斐もあり、キョウたち三名もそれぞれが全身に手傷を負っていた。
が、それはアリアも同じだ。右肩、背中、左足、腹部などにそれなりの裂傷を負っている。
このままではあとどれくらい動けるかわからない。が、諦めるわけにはいかない。
何としてもこの窮地を乗り切らなければ。必ずお嬢様とパールのもとへ戻る。それが叶わずとも、せめて皇子たちはここで亡き者にする。
瞳にギラリと光を宿したアリアがキョウに向かって突進した。高く跳躍し頭上から全力で剣を振り下ろす。
のけぞり、すんでのところで斬撃をかわしたキョウ。だが、アリアが途中で剣筋を変えたことでかすかに肩口を剣先がかすめた。
「ぐっ……!」
「兄上!」
すかさず接近するヘルガに剣を横薙ぎするも、これは受け止められる。さらに、ヘルガの背後から飛び出したシーラによって剣を叩き折られてしまった。
「ちっ!」
舌打ちしたアリアがシーラの片腕を掴むと、そのまま顔面に強烈な拳打を喰らわす。たまらずもんどり打って倒れるシーラ。
倒れる兄を無視して攻撃しようとするヘルガの脇をすり抜け、アリアは最後の剣を床から抜いた。
これが最後の一本。余裕ぶってはいるが、すでに体力は尽きかけている。やはり、真祖相手に三対一は無謀だった。
徒手空拳でも戦えないことはない。が、いずれにしても結果は見えている。
このまま戦闘を続けたところで、こちらの体力を削られ、最後はなます斬りにされて終わりだ。
でも、せめて一人くらいは。皇子たちが本気でパールの命を狙うのなら、今後間違いなくお嬢様と皇子たちの戦いになる。
わずかでも、ほんのわずかでもお嬢様の負担を減らさなくては。
だらりと剣を携えると、アリアは大きく深呼吸をした。
ああ、お嬢様。どうかお元気で。おそばにお仕えできたこと、誇りに思います。そして、最後までお仕えできない私をお許しください。
剣を持つ右手に力を込める。
『おねえたん!』
突然、頭のなかにパールの声が響いた。まだよちよち歩きだったころのパールを思い出し、アリアの表情がかすかに緩む。
ああ! パール! 私のかわいい妹。私が初めて愛情を抱いた、何者にも代え難い存在。
これから先、あなたには大きな試練が待ち受けている。でも、あなたとお嬢様なら必ず試練を乗り越え、運命を切り拓けると信じてる。
一瞬だけ閉じた目を開くと、アリアは三皇子へ鋭い視線を向けた。明らかに死を覚悟したかつての側近を目の当たりにし、ヘルガの顔がわずかに歪む。
「……バートン家嫡女にて真祖アンジェリカ・ブラド・クインシー様が眷族、アリア・バートン。参ります」
風を切り裂きながらまたたく間に標的へと接近するアリア。視界に捉えているのは三兄弟の長男であり次期当主のキョウである。
かろうじて初撃をかわしたキョウに、アリアが容赦ない追撃をしかける。
「がぁっ……!」
伸ばした鋼鉄の爪で何とか受け止めるも、アリアは力づくで押し斬ろうと力を込めた。アリアの狙いがキョウであることに気づいたシーラとヘルガが駆け寄り、背後から襲いかかる。
「……ぐっ!」
たちまち、アリアの背中はズタズタに斬り裂かれてしまった。が──。
それでもアリアは手に込める力を抜かなかった。最後の力を振り絞り、キョウを頭から真っ二つにせんと力を込め続ける。
「く……離れろ!」
シーラが再びアリアの背中を爪で切り裂いた。が、アリアは止まらない。鬼のような形相でますますその手に力を込めてゆく。
苦悶の表情を浮かべ、頭へと振り下ろされる剣を押し返そうとするキョウ。
「う、おおおお……お?」
キョウの額に刃が届く寸前、アリアの力がふっと抜けるのを感じた。そして、糸が切れた操り人形のように、アリアは崩れ落ちてしまった。
「ち、力尽きた……のか?」
荒い息遣いのまま、うつ伏せに倒れたアリアを見やるキョウ。シーラとヘルガも警戒しつつ、アリアの様子を窺った。
「……いや、まだ生命反応はあるようです」
シーラの言葉に、キョウとヘルガは畏怖の念を抱かずにいられなかった。
「大したものだ。が、このままにはしておけん。ヘルガ、とどめを」
「……は」
倒れたアリアのそばに立ったヘルガがとどめをさそうとした刹那。パリンッと何かが弾けるような音が屋内に響いたと同時に、廃墟となった教会の屋根が部分的に激しく吹き飛んだ。