第百八十三話 予期せぬ再会
「で、みんなはなぜここに〜?」
銀製ナイフの刃を布で拭ったルアージュが、アリアたち一人ひとりへ視線を向ける。
「え、ええと……その……」
目を泳がせるウィズの背後では、アリアとリズがバツの悪そうな表情を浮かべていた。ウィズに懇願されたからとはいえ、コソコソとあとをつけた共犯であるのは間違いない。
「ん〜? もしかして、私のこと尾けてきたのぉ〜?」
ダラダラと脂汗を流すウィズが、助けを求めるかのように背後のアリアとリズを振り返る。が、驚くほどの速さでそっぽを向かれてしまった。こうなったら覚悟を決めて事実を伝えるしかない。
「ええと……ごめんなさい、姐さん。実はそうなんです……」
やや伏し目がちで、もじもじしながら言葉を紡ぐ様子はとても歴戦のダークエルフには見えない。
「どうしてそんなことを〜?」
のんびりとした口調ではあるが、ルアージュの瞳の奥がまったく笑っていないことに気づいたウィズの口から「ヒッ」と小さな声が漏れた。
落ち着いて話すために大きく深呼吸をし始めるウィズ。呼吸を整えると、慎重に口を開いた。
「あ、あの……最近姐さんが頻繁に出かけていたので……その……悪い虫がついたんじゃないかって……」
「悪い……虫?」
「は、はい……変な男に引っかかってるというか、騙されてるんじゃないかと……」
そっと上目遣いでルアージュの顔を見やるが、その表情からは感情がまったく窺えない。ほぼ無表情のまままっすぐ見つめてくるのは正直怖い。会話が途切れ、路地を吹き抜ける風の音がやたらと耳についた。
変な緊張感が漂うなか、空気を緩和させたのはルアージュの口から漏れた「ふふ」という小さな笑い声だった。肩をぴくりと跳ねさせたウィズが、恐る恐るルアージュの顔を見上げる。
「なるほどぉ〜、そういうことだったのねぇ〜」
「ル、ルアージュの姐さん……?」
「つまり、みんな私のことを心配してくれて、あとを尾けたということねぇ〜?」
ルアージュがそっとウィズの両手をとり、ニコリと微笑む。
「ありがとうねぇ〜ウィズ〜、心配してくれてぇ〜。それにアリアさんとリズさんもぉ〜」
「私たちはウィズにお願いされて協力してただけなんだけどね」
苦笑いを浮かべたアリアは、ルアージュが怒っていないことに少しほっとした。
「ふふ、それにしてもウィズ〜? 私はそんなに男から騙されそうに見えるぅ〜?」
「う……すみません……」
「全然怒ってはいないよぅ〜? まあ、そもそも私は恋愛にまったく興味ないし、ウィズが心配するようなことは起きないよ〜」
「はい……」
「でも、そんなふうに私を心配してくれて、想ってくれてありがとう、ウィズ〜」
自分より遥かに年下の少女に抱きしめられ、涙ぐみながら赤面するウィズ。一方、その様子を生あたたかく見守るアリアとリズは、「いや、あんたらいったいどーゆー関係性!?」と思わずツッコミそうになってしまった。
やれやれ、と先ほどまで吸血鬼が横たわっていた地面へ目を向けたアリアの視界の端に、革製の小さな鞄のようなものが映り込む。
「ん……? ねえ、ルアージュ。それって……?」
「ああ。あいつの持ち物ですねぇ〜」
ウィズから腕をほどいたルアージュは、しゃがみ込んで鞄を拾うとアリアへと手渡した。
「私に渡していいの?」
「はい〜。あいつが何を探っていたのか分かるかもしれませんしぃ〜」
なるほど、と頷いたアリアは鞄の留め具を外すと、なかに仕舞われていた書類の束を無造作に掴み出した。その場ですべての文書へ目を通し始めるアリア。
その表情が次第に曇ってゆくのを、ルアージュとウィズ、リズは見逃さなかった。
「どうしたんですの、アリアさん? それらには何と?」
怪訝な目でアリアと書類を交互に見やるリズ。
「……すべて、お嬢様やパールに関することです」
その言葉に、全員が思わず息を呑んだのは言うまでもない。
「いったい……どういうことですの?」
「ルアージュが言っていた通り、お嬢様やパールのことを調査していたのでしょう。しかも、それだけではありません」
アリアが二枚の文書をリズの眼前に突きつける。
「こ、これは……!」
そこには、アンジェリカ邸の場所や邸内の間取り、一緒に暮らすキラやウィズ、ルアージュたちの情報まで記載されていた。
「……何が目的なのでしょう? 純血とはいえ、吸血鬼が真祖やその周辺を嗅ぎまわるなどありえないことですわ」
「そう……ですね。もしかすると、最近パールが襲撃されたり、屋敷に侵入しようとする輩が現れたりといったことと関係しているのかもしれません」
しかし、はたして本当にそのようなことがあるのだろうか。吸血鬼にとって真祖は雲の上の存在だ。敵対どころか、悪意を向けることすら普通は憚られる。
「……ねぇ、ルアージュ。あなた、さっきの奴の拠点は分かってるって言ってたわよね?」
「はい〜。リンドルの外れにある廃墟になったエルミア教の教会ですう〜」
ランドール共和国にもエルミア教の信者は大勢いる。リンドル郊外の旧教会は、この国でもっとも規模が大きかったものの、老朽化によりその役目を終えていた。
「吸血鬼の拠点が教会とはね……まあいいわ。私、少し調べてみるから、あなたたちは先に戻ってて」
「それなら、全員で行きますかぁ〜?」
「一人で充分よ。あ、ウィズ。あなた前に商業街に新しくできたカフェへ行ってみたいって言ってたじゃない。この機会にみんなで行ってくれば?」
「おお! ルアージュの姐さんにリズの姐さん、ノアさん、そうしましょう!」
「ふふ。少し調べたらすぐに私も合流するわ」
──圧倒的な強さを有するからといって、何もかも思い通りになるわけではない。かつて世界の半分を支配した最強の種族、真祖でもそれは同様だ。
「戻りました」
薄暗くかび臭い地下室に、ヘルガの声が響く。
「ご苦労だった。で、どのように?」
重厚な金属製の扉を後ろ手に閉めたヘルガは、椅子に腰かける二人の兄へ視線を向けた。
「とりあえず、レイジーにはしばらく身を隠すよう伝えました。竜人族の主要だった者たちもともに身を隠すとのことです」
リンドルの市街地でパールを襲撃し、アンジェリカを激怒させた竜人族の長、レイジー。殺される寸前だったところを転移魔法で救出したのは、ヘルガの側近であった。
「……そうか」
「口封じに殺したほうがよかったのではないか?」
兄の一人、シーラの言葉を聞いたヘルガの顔に嫌悪の色が浮かぶ。
「同意できかねます。むやみやたらな殺戮は好むところではありません」
「だがな……」
にわかに剣呑な空気が漂い始めたが、キョウの「やめよ」の一言でシーラとヘルガは口をつぐんだ。
「それよりも次の手だ。竜人族による襲撃が失敗に終わり、アンジェリカの警戒心はこれまで以上に高まるであろう。悲願達成の難易度はさらに上がったと言える」
「そう……ですね。もうこうなっては、直接我らが出向くしかないのかもしれません」
ヘルガの言葉に、キョウとシーラが小さく息を吐く。できることなら、それは最後の最後の手段にしたかった。が、そうも言っていられなくなっているのも事実。
「……もう、覚悟を決めましょう。父上様にもご助力いただき、我ら四名で向かえば──」
そのとき、ヘルガの背後に下級吸血鬼が姿を現した。主人の耳元に顔を寄せ、何やら報告を始める。
「……何!? まことか?」
報告を聞いたヘルガの顔に驚きの色が浮かぶ。
「どうした?」
「……以前からリンドルで情報収集させていた配下が殺されたようです」
「何……?」
正体を隠すため魔力を抑えていたとはいえ、そうやすやすと殺されるような者ではなかった。いったい何者が……?
眉間にシワを寄せ考えこむ様子が、重苦しい地下室の空気をより重くした。と、そのとき。
新たな下級吸血鬼が現れ、ヘルガに顔を寄せると耳打ちを始めた。報告を聞き、弾けるように兄たち二人へ目を向ける。
「どうした、また何かあったのか?」
怪訝な表情を浮かべるキョウのもとへ近づいたヘルガは、耳元へ顔を寄せると下級吸血鬼からの報告内容を伝えた。話を聞いたキョウが、険しい顔になりすっくと立ち上がる。
「……行くぞ」
地下室を出てゆくキョウのあとを、シーラとヘルガは慌てて追いかけた。
──ルアージュから教えてもらった吸血鬼の拠点はすぐに見つかった。話に聞いた通り、なかなかの規模だ。
このあたりは再開発も進んでおらず、道行く人々の姿はほとんど目にしない。だからこそ吸血鬼が拠点にしたのであろう。
古ぼけた木製の扉を開き、教会のなかへ足を踏み入れるアリア。長きにわたり換気されていないからか、澱んだ空気の嫌な匂いが鼻につく。
「廃墟だから仕方ないとはいえ……汚いし臭いし……」
愚痴をこぼしながらあたりを見渡す。建築様式が古いのか、デュゼンバーグにある教会本部とは造りが異なる気がした。
さて、この広い教会のどこに潜んでいたのか。人目を避けて休息をとれ、なおかつ落ち着いて情報を整理できる場所。となると──
「司教室……かしらね」
顎に人差し指をあてながら考えを巡らせたアリアは、礼拝の間を抜けると片っ端から部屋の扉を開き始めた。
ちょっとした冒険気分で司教室を探すこと二十分。やっとそれらしい部屋を見つけることができた。
執務机に椅子、本棚、ソファがそのまま残された司教室。ソファを見やると、一部分だけ埃が不自然に除去されていた。おそらくそこに腰かけていたのだろう。
アリアはつかつかと執務机に向かうと、天板を指でさっと撫でた。指先にはほとんど埃が付着しない。やはり誰かが使用した形跡がある。椅子の座面も綺麗なものだ。
「引き出しのなかは……と」
おそらく、この拠点が見つかるとは思ってもいなかったのだろう。引き出しのなかには、報告書と見られる文書が無造作に何枚も格納されていた。
そのうちの一枚を手に取り目を通す。そこには、パールが冒険者として活動をし始めたあとの事細かな情報が記載されていた。冒険者から直接聞き出したに違いない。
ほかの書類にも目を通すなか、アリアは大きな疑問を抱いた。記載されている情報の大半が、パールに関するものということだ。
アンジェリカやフェルナンデスはもとより、キラ、ウィズなどに関する情報も最小限である。
「……いったいどういうこと? パールについて調べていたというの?」
何となく不気味なものを感じつつも、アリアはほかの引き出しもすべてチェックし、見つけた書類はすべてアイテムボックスへと収納した。
「とりあえず……お嬢様に報告かしらね」
ふぅ、と小さく息を吐いたアリアは、埃っぽい執務室を一瞥すると踵を返し部屋を出た。綺麗好きなうえに万能メイドと呼ばれる自分がいつまでもこんなところにいると、隅々まで掃除をしたくなってしまう。
それにしても、これほど広い土地をそのまま遊ばせておくなんてもったいないことね。早く建て替えるなり解体するなりすればいいのに。今度ソフィアさんに提案してみようかな。
そんなことを考えつつ礼拝の間を通りすぎようとした刹那――
「!!?」
屋内の温度が急激に低下したのと同時に、アリアの全身が粟立った。反射的に戦闘態勢をとりまわりへ視線を巡らせる。わずかに視線を落とすと、かすかに膝が笑っているのが確認できた。
この私が恐怖を感じている? バカな。ありえない、そんなこと――
全身から嫌な汗が噴き出る。そして――
「……久しぶりだね。アリア」
声がしたほうへ弾けるように振り向くアリア。祭壇の近くに立つ三名の青年は、たしかにアリアがよく知る存在だった。
「へ……ヘルガ様……そ、それにキョウ様とシーラ様まで……?」
アンジェリカの兄であり、真祖の皇子である三名と予想外の場所で再会したことに戸惑いを隠せない。しかも、直属の上官であったヘルガだけならまだしも、キョウやシーラも伴っているのだ。そして、なぜこの三名がここにいるのか。
「本当に、どれくらいぶりだろうか。元気そうで安心したよ、アリア」
努めてにこやかに話しかけてくれるヘルガだが、アリアは一片の油断もしていなかった。アンジェリカやパールのことを嗅ぎまわる吸血鬼。その拠点へ現れた三皇子。そこから導き出せる答えは一つしかない。
「……お久しぶりです、ヘルガ様。単刀直入にお聞きしますが、ここでいったい何をしているのですか?」
一瞬表情を曇らせたヘルガが、キョウ、シーラと視線を交わす。アリアには、何かを確認したかのように見えた。
「……アリア。賢い君のことだから、アンジェの周りを探らせていた吸血鬼が私の配下であることはすでに分かっていると思う」
「……なぜ、そんなことを?」
「アンジェを救うためなんだ」
「お嬢様を? どういうことですか?」
一瞬、葛藤するかのような表情を見せたヘルガの肩に、キョウが手をかける。
「それは私からきちんと説明しよう。そして、アリア・バートン。すべてを知った暁には、アンジェを救うため必ずや使命を果たしてほしい」
「……使命とは?」
「……アンジェリカが育てている娘、聖女パールを抹殺するのだ」
どこからともなく入り込んだすき間風の、切ない風切り音が耳の奥にへばりついた。