第百八十一話 尾行
とんでもないものに手を出してしまった──
竜人族の族長であるレイジーは、底知れぬ恐怖に震える体を何とか鼓舞しつつ意識を保つ。少しでも気を抜いたら意識を根こそぎ刈り取られることは明白だった。
これまでに味わったことがない絶望と恐怖。カクカクと小刻みに震える足を拳で殴りつけながら、レイジーはそれに目を向けた。
視界に映るのは、憤怒の表情を浮かべながら禍々しい魔力と殺気を撒き散らす美しい少女。あらゆる種族が恐れ慄く存在、真祖アンジェリカ・ブラド・クインシーである。
まるで蛇に睨まれた蛙のように動けなくなった竜人たちを紅い瞳で睨みつけたアンジェリカが、左手をパールに、右手を竜人たちへスッと向けた。
竜人とパールとを隔てるように分厚い魔法盾が顕現し、同時に竜人たちの足元には魔法陣が展開した。驚愕するレイジーたち竜人族。
「ま、まずい! 回避しろ」
間違いなく殺されると確信したレイジーが咄嗟に叫ぶ。が──
「『煉獄』」
何の躊躇いもなく魔法を詠唱するアンジェリカ。魔法陣から爆炎があがり、たちまち竜人たちの体を呑み込んだ。
「ぎゃあああああああ!!」
動けなかった竜人はことごとく消し炭となり、かろうじて動けた者も黒炎が体にしつこくまとわりつき、叫び声をあげながら地面を転がる。
間一髪、魔法陣の領域から飛び出すことに成功したレイジーだったが、その左腕は爆炎で焦げ無惨なことになっていた。同じく、側近のノイジーも半身に重傷を負った様子が目に入る。
「ぐ……! 族長、ここは俺が引き受ける! 今のうちに撤退を!」
自身も相当なダメージを負っているはずのノイジーが、そう叫ぶやいなやアンジェリカの前に立つ。が──
「……下郎ども。逃すと思うか」
冷たい声を発したアンジェリカが腕を軽く振ると、たちまちノイジーの体が消滅した。一片の肉片さえ残すことなく側近が瞬殺され、呆然とした表情を浮かべるレイジー。
と、次の瞬間。離れたところにいたはずのアンジェリカが突如レイジーの目の前に現れ、焦げた腕に軽く手を触れた。途端に弾けるレイジーの腕。
「ぎゃああああああああ!!」
激痛のあまり地面の上をのたうち回るレイジーを、冷たい瞳で見下ろすアンジェリカ。仰向けになったタイミングを逃さず、その下腹部を足で踏みつける。
「ぐううっ……! ううう……ぐぐう……!」
「……あなた、族長って呼ばれてたわよね? なぜ私の娘を狙ったのか教えてもらえるかしら」
少し冷静になり言葉遣いももとに戻ったアンジェリカが口を開いた。
「…………」
「聞こえないのかしら?」
その場にしゃがみ込んだアンジェリカは、レイジーの片耳を指で掴むと軽く力を入れて引っ張った。ぶちっ、と嫌な音を立ててあっさりとちぎれる耳。
「あがぁあああっ!!」
「答えなさい。答えないと次は口と鼻を削いで目も抉るわ」
何とも恐ろしいことを平然と告げられ、レイジーの全身が再びガタガタと震え出す。
「そ……それは……言えな──がはっ!」
最後まで聞くことなく、アンジェリカはレイジーの体を蹴飛ばした。数メートル吹っ飛んだレイジーは建物の壁に激突し、ずるずると地面へ落下する。
「……うう……ぐう……」
「もう一度聞くわ。なぜ私の娘を狙ったの?」
つかつかとレイジーの前に進んだアンジェリカが、腕組みをしたまま紅い瞳で睨みつける。
「…………」
「……喋る気はなさそうね。なら……──!?」
再度痛い目を見せようとレイジーに近寄った途端、二人を隔てるように地面から炎と煙があがった。虚をつかれ一瞬驚いたアンジェリカだが、すぐさま炎と煙を振り払う。
「は……?」
一瞬視界を遮られたのち、レイジーの姿は影も形もなく消え去っていた。アンジェリカが怪訝な表情を浮かべながら、レイジーが転がっていたところを見下ろす。
「転移……? いや、それはないか……」
竜人族が転移のような高位魔法を使えるはずはない。だとすれば、誰かが助けにきた? 先ほどの炎と煙はめくらましか。周りに視線を巡らせると、ほかの竜人たちも姿を消していた。
「ママ!」
声をかけられハッとするアンジェリカ。振り返ると、パールがこちらへ駆けてくる様子が目に入った。
「パール! 大丈夫? 怪我はない?」
「うん! ママが魔法盾を展開してくれたし大丈夫だよ!」
パールをぎゅっと抱きしめ、その温もりを確かめるアンジェリカ。
「よかった……街の人たちに怪我人は?」
「いないよ! 逃げようとして転んじゃった人はいたみたいだけど」
「そう。まあ、大きな怪我をした人がいなくてよかったわね。パールの素早い避難誘導のおかげね」
優しく頭を撫でると、パールは嬉しそうに目を細めた。うん、きゃわゆい。先ほどまで怒りでどうにかなりそうだったアンジェリカだが、パール成分を補充したおかげでだいぶ怒りは鎮まった。
「ねえ、ママ。さっきの人たちって竜人、だよね?」
「ええ」
「あの人たち、私のこと襲ってきたよね?」
「そう……見えたわね。ただ、竜人は賢く理性もある種族よ。人間の街で少女を襲撃するような連中ではないはずなんだけど」
それに、竜人の族長を救出にきた存在も気になる。転移を使えるような相手が裏で手を引いているということだろうか。でも、なぜパールを? そこが一番引っかかる。
顎に手をやって黙り込んでしまったアンジェリカを、パールが心配そうに見上げる。
「ママ……」
「……大丈夫よ。あなたのことは私が必ず守るから」
「んー、てゆーか私もAランクの冒険者なんだし、自分の身は自分で守れるんだけどな」
やや口を尖らせながら拗ねたように発言する愛娘を見て、アンジェリカがクスリと笑みをこぼす。
「生意気言わないの。とりあえず、今日のところは帰りましょうか」
「えーー! まだ遊びにきたばかりなのにー!」
「仕方ないじゃない。あんなことあったばかりなんだし。それに、一応ギルドへ報告したほうがいいんじゃない?」
「あ、そっか。でもその前に! カフェでお茶しようよ!」
もともと立ち寄るはずだったカフェを指差すパール。大行列ができていたカフェも、先ほどの騒ぎで誰もいなくなっていた。
「今ならちょうど空いてるし、入れるよ!」
「まあ……たしかにそうだけど」
若干呆れた表情を浮かべながら、カフェに目を向ける。それほど行きたかったのか。というより、自分が狙われた理由は気にならないのだろうか。冒険者になってからというもの、何かと図太くなった気がする。
「店員が避難してるかもしれないから、そのときはおとなしく諦めましょ」
「うん!」
幸いにもカフェの店員は避難しておらず、厨房のなかで身を潜めていた。パールがAランクの冒険者であることと、先ほどの出来事を丁寧に説明すると、店員は感激した様子で自慢のスイーツを次々と出してくれたのであった。
──アンジェリカ邸のテラスに漂う爽やかな香り。ガーデンチェアに腰かけた少女が、ハーブティーの素晴らしい香りに恍惚とした表情を浮かべる。
「ああ……本当に素晴らしい香りですの。さすがはフェルナンデス様ですわね」
「ありがとうございます、リズ様」
にこりと微笑んだフェルナンデスに、思わず赤面してしまうリズ。
「そ、それにしてもお姉様がお出かけしているとは、誤算でしたわ。いつごろお戻りになられるのかしら」
「さあー、ちょっと分かんないっすねー」
向かいに座るウィズがティーカップ片手に口を開く。
「パールと二人でのお出かけは久々だからね。お嬢様もゆっくりしたいんじゃないかしら」
一仕事終えて休憩中のアリアが、テーブル中央に置かれた器から焼き菓子をひょいっと手に取る。その背後にはなぜか屋敷の門番、ノアの姿が。
「何か……落ち着きませんの」
ノアをちらりと見たリズがぼそりと呟く。何せ、ノアの顔はリズがモデルなのでそっくりなのだ。
「自分と同じ顔の者が近くにいるのは不思議な感覚ですわ。何回見ても慣れませんの」
「たしかに、ノアっちとリズ姐さんめちゃそっくりですもんね」
ノアとリズの顔を交互に見ながら感心したように唸るウィズ。
「あはは、すみませんリズさん。お嬢様以外でパッと思いつく顔がリズさん以外いなかったので」
「なぜお姉様の顔をモデルにしなかったんですの?」
「だって、ゴーレムだし何かの拍子にバラバラになっちゃうことも考えられるじゃないですか。さすがにお嬢様の顔と同じにするのは……」
「……私の顔なら罪悪感を抱かない、ということですの?」
じろりとジト目を向けられ、アリアは途端にあたふたとし始める。その後ろではノアが不思議そうな表情を浮かべていた。
「まあいいですわ。それより──」
「行ってきますぅ〜」
リズの言葉を遮るように、玄関のあたりからのんびりとした声が聞こえてきた。アンジェリカ邸のメイドであり吸血鬼ハンターのルアージュである。
「あら、ルアージュさんもお出かけですの?」
「ええ。街に用事があるんだとか」
玄関扉がバタンと閉まる音が響く。
「……やっぱり怪しい」
「え?」
小さな声で呟いたウィズに、アリアとリズが怪訝そうに目を向ける。
「絶対に怪しいですよ! ここ最近よく出かけてるし! 悪い虫がついたに違いないですよ!」
「いや、悪い虫って」
苦笑いしながら顔を見合わせるアリアとリズ。
「あの子も年頃なんだし、男くらいいても不思議じゃないでしょ」
「……アンジェリカの姐さんにも同じこと言われました。でも、男なんてろくでもないヤツらばかりなんです。それにルアージュの姐さんはまだ幼いじゃないですか。何かあってからじゃ遅いんです」
真剣な顔で語るウィズに、アリアとリズは「ええぇ……」と困った表情を浮かべる。いったい過去に何があったのか。ルアージュのことよりウィズの恋愛遍歴が気になった二人であった。
「とにかく! ルアージュの姐さんに何かあったら一大事です。いったいどこで何をしているのか、今から確かめましょう!」
「え。あの子を尾行するってこと?」
「そうです!」
再び顔を見合わせるアリアとリズ。二人の顔にありありと浮かぶ困惑の表情。
「いや、でもバレたらルアージュ怒るかもよ? あの子、普段あんな感じでふわふわしてるけど怒ったら怖いわよ?」
「それは知ってます。でも……」
どうやら、ウィズは本気でルアージュのことを心配しているようだ。沈痛な表情を浮かべたウィズを見て、アリアが深くため息をついた。
「はあ……分かったわよ。私も手伝うから」
その言葉に、パッと表情が明るくなるウィズ。単純である。
「ふうん……まあ退屈しのぎにはなりそうですわね。私も一緒に行きますわ」
「リズの姐さん、ほんとですか!?」
やった、と喜ぶウィズの視界に、ノアが親指を立てている様子が映り込む。どうやらノアもついてきてくれるらしい。
こうして、ウィズにアリア、ノア、リズの四名は、ルアージュが外で何をしているのか確かめるため、尾行をすることになったのである。