第百八十話 激昂
8月19日、「森で聖女を拾った最強の吸血姫~娘のためなら国でもあっさり滅ぼします!~」の第1巻が無事発売されました。ありがとうございます☆ 10月?にはコミックシーモアでコミカライズ版が先行配信予定ですので、併せてよろしくお願いします。
「何ですって?」
寝起きでややご機嫌斜めなアンジェリカが、静かに口を開く。視線の先には神獣アルディアス。起き抜けにテラスで紅茶を楽しんでいる彼女を見つけたアルディアスが、昨夜の件を報告に来たのである。
「竜人族とは珍しいわね。にしても、ここが私の屋敷と知ったうえでの狼藉かしら?」
『それは分からぬ。たまたま森に迷い込んだ可能性もあるとは思うが……』
「ふうん……」
わずかなあいだ考えこむような仕草を見せたアンジェリカだが、紅茶を優雅に飲み干すと大きく息を吐いた。
「まあいいわ。あなたとノアがこてんぱんにしたんでしょ? ならもう二度と近寄らないだろうし」
『むう。どうじゃろうな。もし、本気でお主と敵対するつもりである愚か者たちなら、またやって来るやもしれぬ』
「そのときは、またあなたとノアで何とかしてちょうだい。皆殺しにしちゃっていいから」
軽い調子で言い放ったアンジェリカは、どこかソワソワしているように見えた。その様子にアルディアスが首を傾げる。
『……どこか浮き足立っているように見えるが、何かあるのかえ?』
アンジェリカの眉が、一瞬ピクリと跳ねたのをアルディアスは見逃さなかった。
「え、ええ……。今日は久しぶりにパールと街へお出かけするの」
『ああ、そう言えば今日は休日じゃったな』
「ええ。最近はあの子も友達づきあいが増えたし、なかなか母娘二人でお出かけする機会もなかったから。今日は思う存分楽しむつもりよ」
傍目からもワクワクしている様子が伝わり、アルディアスは微笑ましそうにアンジェリカを見つめた。愛する娘との外出を心から楽しみにしている姿はただの母親である。とても、あらゆる種族から恐怖の対象として認識されている真祖とは思えない。
『パールも喜ぶじゃろうて。では、妾も今日は息子たちを連れて少し遠くまで散歩へ出かけるかのぅ』
アルディアスが振り返り、庭の芝生の上で思い思いにくつろぐ息子たちに目を向ける。
「あら、いいわね」
アンジェリカにアルディアス、二名の母親は愛する子どもとすごす楽しい一日を想像し、思わず頬を緩める。そんな彼女たちをじっと見つめていた一羽の蝙蝠が、軒先からそっと飛び立ったことに二人は気づかなかった。
二時間後。外出準備を終えたアンジェリカは、リビングのソファに身を委ねたまま、パールが身支度を終えるのを待っていた。と、そこへ──
「アンジェリカ姐さん。ちょっといいですか?」
リビングへやってきたのはダークエルフのウィズ。起き抜けなのか寝巻き姿のままだ。胸元も大胆にはだけているため、大変けしからんことになっている。
「ええ……ってあなた、なんて格好してんのよ」
アンジェリカにジロリと白い目を向けられ、慌てて胸元のボタンを留める。
「で、何?」
「ええと……ルアージュの姐さんのことなんですが……」
「ルアージュがどうかしたの?」
「最近、ふらりといなくなることが多いというか……」
リビングのなかには二人以外誰もいないにもかかわらず、周囲に視線を巡らせつつ小声で言葉を紡ぐウィズ。
「どこかへ出かけてるの?」
「みたいです。ただ、本人に聞いても『ちょっとねぇ〜』とか『大したことじゃないよぅ〜』とか、誤魔化されちゃうんですよね」
意外にもクオリティが高いルアージュの物真似に、アンジェリカが思わず笑みをこぼす。
「まあ……あの子も年ごろの女の子なんだし、もしかするといい男が見つかったのかもしれないわね」
「……それは私も考えました。もし、姐さんにそんな悪い虫がついてるなら一大事です。と思って二回ほど尾行したんですが、あっさり巻かれました」
その発言に思わずアンジェリカは引いてしまった。やってること、かなり異常だと思うんだが。自分も以前、パールに対し同じようなことをしていたのだがそれは棚に上げる。
「い、いや。別に悪い虫かどうかは分からないじゃない?」
「いえ、姐さん。男なんてどうしようもない奴ばかりなんですよ。ほんと。もしルアージュの姐さんが悪い虫にたぶらかされてるなら、私が何とかしないと!」
いや、あんた過去に何かあったの? それに、どうしてそこまでルアージュに執着するのか。
そういや、この子が居候を始めてから、世話係はずっとルアージュだったわね。なんだかんだで仲良いし、姉のような存在を誰かに取られたくないってことかな?
まあ、姐さんって呼んでるけどダークエルフであるウィズのほうが実際には遥かに年上なんだけど。
「うーん、もしかすると仕事かもしれないし、あまり邪魔になるようなことしちゃダメよ?」
そう、ルアージュは今でも吸血鬼ハンターなのだ。独自の人脈もあるし、密かにハンターとして活動している可能性はある。
「うー、じゃあアンジェリカ姐さんからも何してるのか聞いといてくださいよ〜」
「……そうね。分かったわ」
そんな会話をしていると、外出準備を終えたパールがパタパタと足音を響かせながらリビングへやってきた。
──まさか、あのような躓き方をするとは思わなかった。
竜人族の若き長であるレイジーが静かに目を開く。昨夜の襲撃で、貴重な戦力を数名失った。しかも、屋敷への侵入すら叶わぬままに。
「……堅牢な結界に、屋敷の門番たるメイド姿のゴーレム。そして神獣フェンリル……」
絞り出すように言葉を吐いたレイジーが、奥歯をギリギリと噛み締める。このままではマズい。このまま真祖の王子たちとの約束を果たせぬままだと、領土の保持どころではない。
ランドール共和国の首都リンドル。その郊外に隠れやすそうな廃屋を見つけたレイジーたちは、昨夜からずっとここへ籠っていた。新たな作戦を考えなくてはいけないが、良案は一つも出てこない。と、そこへ──
「……む?」
パタパタとせわしなく翼を動かしながら、一羽の蝙蝠が建物のなかへと入ってきた。蝙蝠はレイジーのすぐそばにやってくると、耳元で何事かを囁き始める。そこで、初めて蝙蝠が真祖の配下であることに気づいた。
「ふむ……ふむ……何と。それはまことか?」
報告を聞いたレイジーが蝙蝠へ目を向けると、肯定するかのように翼を激しく上下に動かした。
「レイジー様。いったい何と?」
レイジーの右腕、ノイジーが怪訝な目を向ける。
「ふふ……昨日の今日でこれほど早く絶好の機会が巡ってこようとは……!」
レイジーの全身に力が漲り、瞳には凶悪な光が宿った。
──休日ということもあり、リンドルの商業街はいつにも増して多くの人で賑わっていた。
「ママー! こっちだよ!」
こちらを振り返り全力で手を振るパールに、アンジェリカが微笑ましそうな目を向ける。いや、うちの娘かわゆすぎん?
周りにはパールと同年代の女の子も何人か歩いているが、どの子と比べてもパールが圧倒的にかわいい。うん、最強。
思わずニヤつきそうになるのを何とか堪え、アンジェリカは小走りでパールのもとにたどり着く。
「ほら、ここだよー」
二人がやってきたのは、商業街でもっとも繁盛していると言っても過言ではない雑貨店。パールは先日友人と一緒に訪れたばかりだったが、どうしてもアンジェリカを連れてきたかったのだ。
「へえ。立派なお店じゃない……ていうか看板のインパクト凄いわね」
看板にでかでかと書かれた『リンドル冒険者ギルド ドラゴンスレイヤー監修店』の文言を目にし、アンジェリカの頬がにわかに引き攣る。
以前パールから聞いたところでは、この店の眼前で営業していた悪質なお店をこらしめようと、このような看板にしたとのこと。
我が娘ながら容赦ないな、とアンジェリカはパールの横顔をちらりと見やる。なぜかドヤ顔のパールが扉を開き、澄んだ鐘の音を聞きながらアンジェリカは店内へ足を踏み入れた。
「いらっしゃいま……あ、パールちゃん! また来てくれたのね?」
「お姉さんこんにちは!」
「恩人のパールちゃんがよく来てくれるようになって嬉しい〜。今日はお姉さん? とお出かけかな?」
店主の女性がニコニコとしながら、アンジェリカに目を向けた。地味な格好に変装しているとはいえ、圧倒的な素材のよさは隠せない。あまりもの美少女っぷりに店主が思わず息を呑む。
「あ。お姉ちゃんじゃなくてママなんです」
「え!?」
ギョッとした表情を浮かべた店主が、パールとアンジェリカを交互に見やる。十代にしか見えない少女をママと紹介されたことにも驚いたが、店主はもう一つ重大なことを思い出した。
ドラゴンから街を救った幼い少女の冒険者。その母親はあの『国陥としの吸血姫』である、という噂。
「え、ええと……パールちゃんのお母様ということは……」
「うん、真祖だよ!」
驚くほどあっさりと真実を告げられ、思わず卒倒しそうになる店主。だが、そこは持ち前の商人根性で何とか乗り切った。
「や、やっぱりそうなんだ。ええと、パールちゃんのお母様、はじめまして。実は以前、娘さんにこのお店を救ってもらったことがありまして……その節はまことにありがとうございました」
「聞いているわ。この子が自ら助けたいって思って行動したことだし、私に礼を述べる必要はないわよ。それに、パールが言ってた通りいいお店みたいだし」
パールの頭を優しく撫でながら、アンジェリカは店内へ視線を巡らせる。そんな母の様子を、目を細めて見上げるパール。
そんな二人を間近で見た店主の女性は、「とてもいい母娘」だと率直な感想を抱いた。
その後、店内に客が少なかったこともあり、店主自らアンジェリカたちに珍しい商品を紹介してまわった。店主としてはそんなつもりはなかったのだが、「あ、これいいわね」「これも素敵ね」とアンジェリカが次々と購入していくため、わずか三十分足らずで売上がとんでもないことになった。
最初はアンジェリカに対し緊張していた店主だったが、彼女たちが店をあとにするころには満面の笑みを浮かべ、地面につくんじゃないかというほど腰を折り頭を下げた。
「いっぱい買ったねー、ママ」
「そうね。珍しい品がたくさんあったから。いい買い物したわ」
「えへへー。ママが喜んでくれてよかったよ」
「パールが以前あのお店を助けたおかげね」
手を繋ぎ横並びに歩くパールに、アンジェリカが優しい笑みを向ける。えへへー、と若干ドヤ顔のパール。尊い。娘のかわいらしさに思わず立ち眩みしそうになるアンジェリカだった。
「あ、次はここだよママ!」
続いて二人がやってきたのは、最近話題になっている人気のカフェ。まるでお菓子の家を彷彿とさせる、メルヘンチックな外観が印象的なお店だ。
そう言えば、アリアやキラも行ってみたいって言ってたわね。それにしても、ずいぶん繁盛してそうね。
店の前には行列ができていた。十人ほどの男女が、今か今かと入店できるときを待っている。
「うーん、待ち時間どれくらいかなぁ?」
「カフェだから、のんびりすごす人が多いだろうしね。結構待たなきゃいけないかもね」
「だよねぇ。うーん、迷うなぁ……」
腕組みをして「うーんうーん」と悩む娘が実に愛おしい。こんなきゃわわな顔を見られるなんて、外出した甲斐があった。と、そんなことを考えていた刹那──
こちら側へ向けられている明確な敵意と悪意をアンジェリカは察知した。次の瞬間──
アンジェリカたちのもとへ、四方八方から強力な魔法が撃ち込まれた。そこいら一帯が焦土と化しそうなとてつもない魔力。街中でこのような魔法を行使するなど正気の沙汰ではない。
「『魔法盾』」
アンジェリカに魔法は通用しないが、娘の愛する街が破壊されるのはいただけない。落ち着いた様子で展開した魔法盾は、アンジェリカたちを中心にカフェもすっぽりと囲んでしまった。
「うわぁ……やっぱりママ凄いや……」
突然の襲撃にもかかわらず、はわぁ〜と感心するパール。その様子に苦笑いを浮かべながらも、アンジェリカはパールへ的確に指示を出す。
「パール、戦闘になるかもしれないから、あのあたりの人たちをここから離れさせなさい」
「うん!」
さすがAランク冒険者である。すぐにその場を離れたパールは、混乱する人々を安心させつつ避難誘導を始める。
「さて、出てきたらどう?」
せっかくのお出かけを台無しにされ、著しく機嫌を害したアンジェリカの冷たい声が響く。その声が届いたのかどうかは不明だが、いくつもの建物の陰や屋根の上から黒い影が飛び出し、瞬時にアンジェリカとの距離を縮めた。
人間のように見えるが、首元が堅そうな鱗に覆われている。竜人族だ。昨晩、屋敷を襲撃してきた輩だろうか?
アンジェリカは小さく息を吐くと、迫ってきた一名の竜人族を一瞬で消し炭にした。そのまま全員消し炭にしてやろうと思った刹那──
「きゃあっ!」
背後からパールの悲鳴が聞こえ、アンジェリカは弾けるように振り返った。見ると、複数の竜人族がパールに襲いかかっている。
「パール!!」
普段のパールならあの程度の相手に遅れは取らぬだろうが、今は状況が悪い。何せ、周りにはまだ大勢の住人がいる。パールは住人たちを守りながら戦闘に及ぶしかなかった。
さらに、アンジェリカを呆然とさせることが起きた。何と、正面からアンジェリカに迫っていた竜人族たちが、彼女を素通りしてパールのもとへ向かったのである。
「……は?」
アンジェリカを無視し、彼女の目の前で次々とパールへ飛びかかろうとする屈強な竜人たち。何が起きているのか、聡明なアンジェリカでさえ理解が追いつかなかった。
なに、これ?
いったいどういうこと?
私が狙いじゃない?
最初から、パールを狙っていたの?
最初から、パールを殺そうとしていたの?
私の愛するパールを?
刹那、アンジェリカの頭のなかで何かが爆ぜた。小さな体から尋常ではなく禍々しい魔力がたちのぼる。禍々しい、などという生やさしいものではない。
あまりにも凶悪かつ暴力的な魔力を放出したことで大地と空気はビリビリと震え、周囲に建つ建物の窓ガラスもすべて粉々に砕け散った。
パールを亡き者にせんと迫っていた竜人族たちも、鎖で全身を縛られたかのように動きが止まる。というより動けないのだ。全員が底知れぬ恐怖に体をガタガタと震わせ、数名は泡を吹いて気絶してしまった。
「下郎ども……自分たちが何をしているのか分かっているのか……?」
憤怒の表情を浮かべるアンジェリカが、身も心も凍てつかんばかりのおどろおどろしい声を絞り出す。常人なら発狂しかねない、恐ろしく冷たい声が竜人たちの耳の奥へへばりついた。
殺気の塊と化したアンジェリカが、血のように紅い瞳で竜人族を睨み据える。
そこにいたのは、パールが知るいつもの優しい母ではなく、あらゆる種族から恐怖される真祖、アンジェリカ・ブラド・クインシーだった。