第百七十九話 夜襲
この世には絶対に争ってはならない相手がいる。強力な魔法の使い手であるハイエルフにダークエルフ、悪魔族を統治する七禍。そして夜を統べる種族、吸血鬼の真祖一族。
なかでも恐ろしいのは真祖一族だ。始まりの真祖、サイファ・ブラド・クインシーはかつて遊び感覚で世界の半分以上を支配したという。
他種族との戦争すらただの退屈しのぎ。彼の愛娘であるアンジェリカ・ブラド・クインシーにいたっては、七禍の四柱を一名で相手どり、一歩も引けをとらなかったのだとか。尋常な強さではない。
そのような一族と事を構えれば、種を存続させる道は途絶えてしまう。だからこそ、今回我々もいち早く真祖へ根回しを始めたのだ。
竜人族の若き長であるレイジーは、閉じていた目を静かに開く。その双眸には、必ず一族と領土を守り抜かんとする決意の色が見てとれた。
コンコン。静寂を切り裂くかのように、扉を叩く音が室内に響く。レイジーが「入れ」と口にすると、扉が開き凶悪な顔つきの竜人族を筆頭に十名ほどがぞろぞろと室内へ入ってきた。
「レイジー様。準備が整いました」
集団の先頭に立つ男がぺこりと頭を下げる。レイジーの右腕であり、一族屈指の戦士でもあるノイジーだ。
「ああ、ご苦労。お前たち、ノイジーから話は聞いているか?」
ノイジーの背後で横一列に整列している戦士たちが、お互いの顔をそっと見合わせつつコクリと頷く。
「よし、話は単純だ。近々、真祖の一族が大きな事を起こすらしい。我々は真祖の一族につく。代わりに領土と自治権の維持を約束してもらったが、ひとつだけ依頼をされた」
屈強な体つきをした竜人族の戦士たちが、ごくりと喉を鳴らす。依頼の内容と難易度の高さをすでに聞かされているからだ。
「いいか。依頼とは言うものの、実質は真祖一族からの命令に等しい。我々、誇り高き竜人族が他種族に命令されるとは、などとは言うまいな? 吸血鬼の真祖一族はそんじょそこらの強者とはワケが違う。今さら依頼を断ることも失敗もありえないことと知れ」
「ははっ!」と一斉に頭を下げる戦士たちへ、レイジーは静かに視線を巡らせる。これでいい。この依頼さえ達成できれば、我々竜人族の未来は安泰なのだ。自らへ言い聞かせるように大きく頷いたレイジーは、一族のために最善の判断ができたことを微塵も疑っていなかった。
――リンドルの商業街は相変わらず賑やかだった。が、その少女が通りに現れると、それまでとはやや違った空気があたりを支配した。
人々が向ける視線の先には、大きな白い獣にまたがる可憐な少女。真祖アンジェリカの愛娘であり、Aランク冒険者のパールである。それと――
「わ、わわ……! おおっと……!」
「メ、メリー、大丈夫?」
先ほどから、震える手でパールの細い腰を掴んで離さないクラスメイトに、心配そうに声をかける。
「う、うん。大丈夫だよ。てゆーか、神獣に乗れるなんて、光栄というか緊張するというか……」
『くっくっ。気にするでない。パールの友達であれば何の問題もないわえ』
「は、はい! ありがとうございます!」
突然アルディアスから話しかけられ、ピンと背筋を伸ばしたメリーにパールは苦笑いを浮かべた。
「お、着いたね。アルディアスちゃん、あそこのお店だから、少し手前でおろしてくれる?」
『うむ』
地面に伏せたアルディアスの背中から、パールがぴょんと飛び降りる。続いて、メリーもパールの手を借りながら恐る恐る飛び降りた。
二人の目的地は、商業街で高い人気を誇る雑貨店だ。そのお店は良質なアイテムが多く、何とドラゴンの素材を用いた品まで扱っている。
店舗の前に立った二人が、誇らしく掲げられた大きな看板を見上げる。店名の下には、大きくこのような一文が書かれていた。
【リンドル冒険者ギルド・ドラゴンスレイヤー監修店】
そう、ここは以前、パールが援助することで廃業の危機を免れた雑貨店だ。パールの尽力によって、向かいで営業していた厭味ったらしい雑貨店は廃業し、反対にこちらのお店は大繁盛である。
「さあ、ここだよ」
隣に立って看板を見上げるメリーに、パールが声をかけた。ぽかーんと口を開いて看板を眺めるメリーの瞳は、どこか輝いているようにも見える。
「ほえー……凄いね。これって、パールのことなんでしょ?」
「うん」
「いやー、やっぱ凄いやパールは。そんなに小さくてかわいくて、しかもフェンリルまでテイムしているんだから」
「あはは、ありがとう。さ、入ってみようよ」
店構えも一新されキレイになった店舗の扉を開くと、カランコロンと透き通るような鈴の音色が響いた。
「いらっしゃ……あ! パールちゃん!?」
「お姉さん、こんにちは!」
店を救ってくれた恩人との久々の再会に、目を輝かせながら喜ぶ店主の女性。カウンターの内側から出てきた女店主が、パールの両手をぎゅっと握って喜びと謝意を示す。
「よく来てくれたね、パールちゃん! もっと頻繁に来てくれればいいのに!」
「あはは、ごめんなさい。最近は何だかんだ忙しくって」
「まあ、リンドル学園の学生でしかもAランクの冒険者だもんね。そりゃ忙しいか。あ、そちらはお友達?」
パールのそばに立つ三つ編みおさげの少女に気づき、にっこりと笑みを向ける店主。
「うん、クラスメイトのメリーちゃんです。商業街の雑貨店に行きたいって話をしてたから、それならおすすめがあるよってことで連れてきたんです」
「なるほどー。将来有望なお客様を連れてきてくれたわけね? メリーちゃん、よろしく!」
「あ、はい! こちらこそです! それにしても、このお店品揃え凄いですね~……お客さんもたくさんいて繁盛しているし……」
軽く会釈したメリーが、周りへきょろきょろと視線を向ける。大改装によって広くなった店内には所狭しと逸品が陳列され、何名もの客が気になる品を熱心に物色していた。
「ぜーんぶパールちゃんのおかげでね。本当は店名も『パール雑貨店』に改名したかったのに」
「いや、それは恥ずかしいからやめてください」
「あはは……たしかそう断られたんだよね。メリーちゃん、ぜひゆっくりと見ていってね。気になるものがあれば教えて。できるだけ値引きするから」
最後の部分だけ声量を落としてそう伝えると、店主は会計を待っていたお客さんのもとへ慌てた様子でパタパタと走っていった。
それにしても、ずいぶんアイテムの幅が広がった気がする。店内へぐるりと視線を這わせたパールは、新装開店したばかりのころに思いをはせた。
これだけ繁盛店になったのは、お姉さんの努力があってこそだよね。私たちも珍しいアイテムに出会えるし。ほんと、あのときお姉さんを援助してよかったよ。
店内をゆっくり歩きながら、パールは自分の行いが間違いでなかったことを再認識する。と。あるショーケースの前で複数人が目を皿のようにして商品を物色する様子が目に入った。何だろう、そんなに珍しい品なのだろうか。
パールとメリーも、そっとそのショーケースに近づく。そこに展示されていたのは、真っ黒なブレスレット。艶やかに輝くブレスレットは、何とも言えない怪しい光を放っていた。
「なになに……? 超希少なエビルドラゴンの爪を素材に、高名なドワーフの職人が手間暇かけて製作したブレスレット……? 呪いの付与効果あり……?」
いや、物騒すぎるでしょ。何だよ、呪いの付与効果って。装着した本人が呪われるってこと? てか、このエビルドラゴンの素材って、あれだよね。デュゼンバーグで私が戦った個体のだよね……?
まじまじと眺めていたパールだが、設定されている値段を見て思わず跳びあがりそうになった。ある意味富豪なパールでさえも、驚きで目を見開いてしまうほどの価格設定だ。
たっっっっか!! 心のなかで絶叫するパール。いや、高すぎない? でも、お姉さんがぼったくり価格を設定するはずはないし……。ここ以外のお店だと、いったいどれくらいの価格になるんだ……?
先ほどからコロコロと表情が変化するパールの横顔を、クラスメイトのメリーは真剣な眼差しでじっと眺めていた。
――その日の深夜。真祖が住まう魔の森。
「ふう……魔の森とは言ってもこの程度か」
竜人族の長であるレイジーは、ここまでの道中を思い返し小さく息をついた。
「深夜だからということもありましょう。魔物の多くは闇が深くなると活動を控えます」
傍らに立つ男、長の右腕であるノイジーが意見を述べる。今、彼らがいるのは魔の森の奥深くに位置する場所。そう、真祖アンジェリカが住まう屋敷の目と鼻の先である。
「人間にとって脅威であっても、我ら竜人族にとって魔物など恐るるに足らぬ。まあ、余計な手間がかからなかったのは幸いだった」
ふん、と鼻を鳴らしたレイジーが視線を向けた先。そこに見ゆるのは、月の灯りに照らされ闇夜へぼんやりと浮かびあがる巨大な屋敷。
このような深い森のなかには不似合いな屋敷だ。
「いいか、お前たち。依頼は、真祖アンジェリカの庇護下にある人間の少女を始末することだ。決して真祖の娘には危害を加えてはならぬ。いや、我らが危害を加えられるような相手ではないがな」
レイジーは自嘲気味に笑うが、ノイジーをはじめ竜人族の戦士たちはまったく笑えない。話では、その人間の少女は真祖アンジェリカが本当の娘のようにかわいがっているという。
自分たちは、そのような存在に手をかけようとしているのだ。もし、真祖アンジェリカの知るところとなったら? そのときは、間違いなく自分たちはもちろん、竜人族も根絶やしにされるだろう。
実のところ、竜人族たちは学園帰りのパールを襲撃しようと機会を狙っていた。が、一片の隙もないフェンリルが常に周囲を警戒しており、ついに襲撃の機会は訪れなかった。
そもそも、あの神獣フェンリルをテイムしているなど聞いていない。強引に襲撃を敢行しても、高い確率で返り討ちに遭うだろうと考えたレイジーたちは、夜の闇に紛れてこっそりとパールを暗殺しようと考えた。それで今にいたる。
「屋敷には真祖アンジェリカ以外にも手練れが住んでいるとのことだから気をつけろ。情報によれば、標的の少女は真祖アンジェリカと一緒の部屋で寝ているとのこと。なお、アンジェリカは一度寝るとなかなか目を覚まさぬらしい。数名で静かに部屋へ侵入し、疾く娘の首を刎ねよ。いいな」
かなり無茶な作戦ではあるが、屈強な竜人族の戦士たちだ。相手が真祖の娘とはいえ、おそらく何とかなるだろう、とレイジーやノイジーは考えた。
「よし、いくぞ」
顔を隠すための覆面をかぶった竜人族の戦士一行が、屋敷の敷地内へ足を踏み入れようとする。のだが――
一名の戦士が屋敷の門扉へ近づいた瞬間、バチッ! と大きな音が発生し、その巨体が弾き飛ばされた。結界である。
「む……結界か……。しかも、これほど強力な結界を展開するとは……」
アンジェリカ邸を囲むように展開している結界は、ハーフエルフのキラやダークエルフのウィズによって定期的に強化されている。
現在の結界は、わずかな悪意や敵意を抱く者の侵入は決して許さない。そのように設計されている。真祖サイファやヘルガが使役する蝙蝠が自由に結界を出入りできていたのは、アンジェリカに対する悪意や敵意が微塵もないからだ。
「く……どうしますか、長。我々にこの結界を破るのは……」
忌々しげな表情を浮かべて歯噛みするレイジー。想定外の事態に焦りが募る。
「仕方がない……口惜しいが、屋敷への夜襲は諦める。明日の日中、あの娘を――」
背後に何者かの気配を感じたレイジーは、口を閉じてすぐさま振り返る。視線の先にいたのは、メイド服を纏った美しい女性。
「ごき……げん……よう……」
不気味なほど無表情なメイドが、たどたどしく言葉を紡ぐ。その様子が、竜人族たちの恐怖心をさらに煽った。
「き、貴様はいったい、なにも――」
「侵入者……発見。殲滅……します」
絞りだすようなレイジーの言葉を最後まで聞かず、アンジェリカ邸の門番ノアは驚くような速さで竜人族の戦士たちへ迫る。
「ぐ……! メイド風情が舐めるなよ!」
ノイジーはレイジーを庇うように前へ出ると、風を巻いて突っ込んできたノアの体を鋭い爪で引き裂いた。が――
「む……! 手ごたえが……? まさか、こやつゴーレムか!?」
「侵入者……殺します……」
いっさいの感情を見せることなく、ノイジーの顔面に強烈なパンチを見舞う。たまらず吹っ飛び地面をゴロゴロと転がるノイジー。
「ノ、ノイジー!! くそっ! こうなったら全員で――」
全員でかかれ、と言おうとした矢先、耳をつんざくような雷鳴があたり一帯に響き渡り、空からいくつもの雷が降り注いだ。
雷の直撃を受けた数名の戦士が、地面に骸を晒す。混乱するレイジーの視界の端に、月の光を絡めた美しい銀毛を纏う獣が映りこむ。
「フェ、フェンリル……!」
本来の巨体に戻っているアルディアスが、竜人族の戦士たちを高いところから見下ろす。何名かの戦士は尻もちをつき、なかには失禁している者もいた。
『くっくっ……。お主ら、ここが誰の屋敷なのか知っての狼藉なのかえ? もし、知ってのうえでの狼藉であれば、とても正気の沙汰とは思えぬが』
腹の底に響きそうな声を浴びせられ、竜人族たちは生きた心地がしなかった。ドラゴンの血を引く種族とはいえ、神獣たるフェンリルの相手にならないことくらい、よく理解している。彼らに残された道は、ここでおとなしく殺されるか、脱兎のごとく逃げるかのどちらかだった。
「……全員、退け! 『爆炎壁』!」
レイジーは、戦士たちに撤退を指示すると同時に魔法を詠唱した。アルディアスとノアの前に、荒々しい爆炎の壁が顕現する。
『む……』
アルディアスがわずかに怯んだのを確認する間もなく、レイジーたちは一目散にその場から逃走した。倒れている同族には見向きもしない。あまりにも潔すぎる撤退である。
「侵入者……逃がさない……」
逃亡を図る竜人族たちの背中を、冷たい瞳で見据えたノアが飛びかかろうとするが――
『やめておくのじゃ、ノア。撤退するのなら深追いすることはない』
アルディアスの言葉を聞いたノアは、ちらりと彼女を見やると小さく「はい」と返事した。
ふむ。夕方、我とパールたちを遠目に注視していた者たちであろうか。竜人族とは珍しい……が。なぜこやつらが我やアンジェリカの周りをうろつく?
まあ、このような輩がどれほど襲撃してこようが、アンジェリカにも妾にも糸ほどの傷もつけられまいが。とりあえず、今夜のことは明日アンジェリカに報告しておくかの。
夜空に浮かぶ月を見上げて大きく息を吐いたアルディアスは、のそのそと屋敷の敷地内へと戻っていくのであった。