第百七十五話 イングリス
遊歩道に沿って植樹された木々の葉が風でざわめくのを聞きながら、アンジェリカは目の前にいる少女から目が離せなかった。
太陽の光を絡めて美しく輝く、ふんわりとした金色の髪。つるつるぷにぷにの肌。着用しているのは学校の制服だろうか。胸には校章らしきものがあしらわれていた。
似ている。外見だけじゃない、魔力の質もパールやメルとそっくりだ。だとすれば、やはりこの子はパールやメルと何らかの関係が……?
「ねぇ、あな――」
「何かご用ですか?」
アンジェリカの言葉を遮り、少女はキッと鋭い視線を向けた。パッと見はパールにそっくりだと思ったが、明らかにパールより目つきがきつい、というか悪い。性格も少しきつそうだ。
「え、ええと、ごめんなさい。頭は大丈夫?」
アンジェリカとしては、振り下ろした手が少女の頭に当たってしまったので、純粋に怪我はないかと聞いたにすぎなかったのだが……。
「……どういう意味ですか? 私の頭がおかしいと言いたいのですか?」
眉間にシワを寄せた少女が、怒り心頭といった様子でアンジェリカを睨みつける。
「あ! ごめんなさい……そういう意味じゃないの。私の手が当たっちゃったから、怪我とかないかなって」
「……そうですか。問題ありませんので、お気遣いは無用です」
子どもなのにとても「ちゃんと」している。アンジェリカは素直にそう感じた。親の教育がよいのだろうか。
『ママー! お腹すいたーー!』と屋敷の廊下をパタパタと音を立てて走りまわるパールを思い浮かべるアンジェリカ。
いや、子どもは元気いっぱいでいいのよ。うん、間違いない。
無理やり自分を納得させた彼女は、改めて目の前の少女をつま先から頭のてっぺんまで見つめた。
「あの、何ですか? 先ほどから私のことをジロジロと見ておられるようですが。もしかして、危ない人じゃないですよね?」
水着姿の美少女が、同性である自分の体をジロジロと見つめてくるのだ。警戒心を抱いても不思議ではない。
「あ、違うの。あなたが私の娘とあまりにそっくりだったから、つい」
「娘? そのお年で娘さんがいらっしゃるのですか?」
「ええ。それで、あなたがよければだけど、ちょっと私とお茶でも飲みながら――」
「お断りします」
みなまで言わさずバッサリと拒否する少女。
「見ず知らずの方と二人きりになるなど、あまりにもリスクが高すぎますから」
「うう……お願い! ほんの少しでいいから!」
「嫌です。私はこれで失礼します。それでは」
アンジェリカからプイっと顔をそむけ、少女は遊歩道を歩み始める。が、何を思ったかアンジェリカは立ち去ろうとする少女の腕を掴んだ。
「……何をするんですか? 大声を出して人を呼びますよ?」
「ご、ごめんなさい、つい! でも、それくらいあなたとお話をしたいの。あ、ほら、あそこによさげなお店もあるし、少しだけどうかしら? 飲みものも食べものも、何でも私がごちそうするから!」
アンジェリカを見上げて睨みつけていた少女だが、「食べもの」「ごちそうする」と聞いてたしかに肩がぴくりと反応した。
あ、パールも食べるの大好きだもんね。そんなとこまで似ているのか。
「それにね、私この国の者ではないの。他国から遊びに来ているだけだから、この国のことをもっと知りたいな~って」
少女はしばし考えるような素振りを見せた。そして――
「……ほ、本当に少しだけですよ」
アンジェリカから視線を外し、小さな声で渋々承諾する少女。心のなかで「やった!」と叫ぶアンジェリカ。
「あ、ありがとう。そう言えばまだ名前を聞いていなかったわね。私はアンジェリカ。あなたは?」
「……イングリスです」
「イングリス。いい名前ね。じゃあ、さっそく行きましょ」
二人は連れ立って、オープンテラススタイルの飲食店に足を向けた。店内は厨房設備のみで座席はない。店内で調理された食事を屋外のテラスで味わうスタイルのようだ。
店舗の一箇所に窓があり、そこから注文できるらしい。アンジェリカが窓の前に立つと、壮年の店員がメニュー表を手渡してくれた。
「私はこの飲みものを。イングリスはどうする?」
「私はオレンジジュースを。あと、サンドイッチとアップルパイ、木の実が入ったクッキーの盛り合わせ、ウインナーの盛り合わせ、フルーツタルトをとりあえずお願いします」
メニュー表へ素早く視線を這わせたイングリスが、流れるように次々と注文していく。
あまりの量に店員も驚き顔だ。パールがよく食べるので慣れているアンジェリカはそれほど驚いてはいない。
「ふふ。じゃあひとまずそれでお願いね。ええと、支払いっと……あ」
しまった。私この国のお金もってない……。水着買うときもキラが出してたしなー。
とりあえず金貨なら大丈夫かな? 金ならどこの国でも価値は似たようなものでしょ。うん、そうに違いない。
一人納得したアンジェリカは、おもむろに宙へアイテムボックスを展開し、両腕を突っ込むとガサゴソと金貨を探し始める。
驚いたのは店員とイングリスだ。何せ、アイテムボックスは失われたと言われる伝説の魔法なのである。
壮年の店員とイングリスがあんぐりと口を開け茫然としているなか、アンジェリカは「あった」とアイテムボックスから金貨を一枚取り出した。
「悪いけど、私この国のお金もっていないのよ。この金貨で支払わせてもらっていいかしら?」
「おお……い、いや、金貨で支払うのはいいんだが、その……まいったな……釣り銭の用意が全然足りねぇや……」
金貨を手渡され、戸惑った様子で頭をかく店員。
「ああ、お釣りはいらないからあなたが取っておいて」
「ふぁっ!? ほ、本気かお嬢ちゃん!? 相当な額の釣り銭になるぞ!?」
「ええ、問題ないわ。ただ、私たちが注文したメニュー、テーブルまで運んでもらっていいかしら?」
通常、こういうスタイルのお店では、客が完成した料理を窓口で受けとり、自らテーブルへ運ぶケースがほとんどだ。が。
「も、もちろんだ! こんなにチップはずんでもらったんだしな!」
快く応じてくれた。金貨の力おそるべし。
「さて、それじゃ私たちは座って待ってましょ」
イングリスに声をかけたアンジェリカは、彼女が呆然とした表情を浮かべていることに気づく。
「ど、どうしたの?」
「はっ! 一瞬意識を失いそうになりました……」
目をぱちぱちとさせ、首を左右に振るイングリスを不思議そうに見つめるアンジェリカ。
あ、もしかして金貨で支払いしたことに引いてるとか? しかもお釣り全部チップとしてあげちゃったし。
ちょっとやらかしちゃったかも。密かに反省するアンジェリカだが、イングリスが呆然としていたのはそのような理由ではなかった。
「……アンジェリカさん。どうしてあのような魔法を使えるのですか?」
テーブルにつくなり、イングリスが疑問を口にする。
「あのような魔法……? ああ、アイテムボックスのこと?」
「はい。異空間にあらゆるものを収納できるアイテムボックスは、失われた魔法と言われています。それをあんないとも簡単に……」
しまった、そう言えば前にも誰かにそんなこと言われた気がする。さあ、なんて誤魔化すか。
「ああ〜……まあ、親がちょっと凄い魔法の使い手なのよね……で、幼いころから厳しく指導され今にいたる……ってとこかな」
こんな説明で納得してくれるかな、と不安を覚えたが、イングリスは思いのほか納得しているように見えた。
「イングリスは魔法に興味があるの?」
「はい。私、今八歳なのですが、同年代のなかでは魔力と魔法技術が高いので、学園では高等部に混ざって研究活動をしているんです」
「へえ。それは凄いわね」
まあ、パールやメルと同じ血筋ならそれはそうだろう。
「私、もっと魔法が使えるようになって、お母様に楽をさせてあげたいんです」
「……あなたのお母様はどういう方なの?」
「……とても優しくて、私のことを何より大切にしてくれる素晴らしい方です。血もつながっていないのに……」
アンジェリカの瞳が鈍い光を帯びる。
「どういうこと?」
「……私は、お母様の本当の娘ではないんです。八年前、湖のほとりに捨てられていた私を、お母様が連れ帰り養女にしたんです」
予想はしていたことだが、それでもアンジェリカはわずかながら動揺せずにはいられなかった。
パールにメル、そしてイングリス。容姿も魔力の質もそっくりな三人が、揃いも揃って捨てられており、真の親が誰なのか分からないとは。
これはいったいどういうことなのだろう。わずかに目を伏せ思案し始めるアンジェリカ。
「……? あの、アンジェリカさん?」
「あ、ごめんなさい。そんな過去があったのね。辛いことを思い出させてしまって申し訳ないわ」
「いえ。問題ありません。それに、捨てられていたこととか、本当の親のこととか私はどうでもいいんです。私にとってお母様は一人しかいないのですから」
やや照れ気味に言葉を紡いだイングリスに、アンジェリカは慈しむような視線を向ける。
パールも、私のことをそんなふうに思ってくれているだろうか。と、そこへ──
「お待たせしました! 次々とお持ちしますね!」
たっぷりのチップを得て大満足の店員が、満面の笑みを携えて飲みものを運んできた。
「ふふ、とりあえずいただきましょ」
お互いのグラスを軽くカチンとあわせ、心地よいそよ風を頬に感じながら二人はグラスへ口をつけた。
──どこまでも真っ白な空間に響く足音。静謐が支配する空間で一人佇んでいた女は、わずかに不機嫌そうな表情を浮かべ背後を振り返った。
「んもう〜。また楽しそうなこと思いつきそうだったのに、考えが霧散しちゃったじゃないー」
ぷう、と頬を膨らませる美女に、呆れた目を向ける側近の男。
「それは申し訳ありません。ただ、もっと興味を抱けそうな報告がありますが?」
「え、そうなの?」
パッと顔を綻ばせた彼女の耳元に顔を寄せると、男は小声で何かを囁く。
「へえ〜! すごい偶然もあるものね」
「ですね。たしか以前も同じようなことありましたよね」
「真祖ともなると運の強さも尋常でないのかもねー」
ふふ、と愉快そうに笑った女が悪戯っぽい表情を浮かべる。
「ま、いくら運が強くてもさすがにもうどうしようもないけどね」
「……ずいぶんと真祖アンジェリカにご執心ですね」
「そりゃあね。理由はあなたにも説明したはずよ?」
「ええ。ですが、私としては彼女より始まりの吸血鬼、サイファ・ブラド・クインシーこそ真の脅威だと感じますが?」
「んー? そう?」
「そりゃそうですよ。実際、悪魔族を統治する七禍の二人までがまるで虫ケラのようにあっさりと葬られています」
「そうねー」
「正直、私は彼こそ何とかすべきだと思いますよ」
「まあ、たしかにね。魔力量に魔法技術、知識、戦闘経験、戦略・戦術眼、決断能力、行動力。あらゆる面で彼は娘であるアンジェリカを上回っているわ……現時点ではね」
「なるほど……そういうことですか」
思わず恋してしまいそうなほど魅力的な、にっこりとした笑みを浮かべる美女。
が、側近の男が彼女に恋することは絶対にない。なぜなら、彼女の恐ろしさを嫌というほど理解しているから。
「ふふ……聖女の真実を知ったとき、アンジェリカはいったいどんな絶望の表情を見せてくれるのかしら……ふふ、うふふふ……あは……あはははははあーっはははははは!!」
美しい顔をぐにゃりと歪めた女の、愉快で堪らないと言わんばかりの高笑いが真っ白な空間に響き渡った。
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