第一話 魔の森で聖女を拾う
ジルジャン王国の国境近くに広がる魔の森。討伐難易度Aランク超えの魔物が多数生息するこの森に、真祖たるアンジェリカの屋敷はあった。
その日、朝靄がまだ晴れぬうちにアンジェリカは森へ散策に出かけた。新芽の爽やかな香りを堪能しつついつものルートを進んでいた彼女だったが、何とも言えない気配を感じて立ち止まる。
視線の先には一本の大木。何の変哲もない巨木だが、根元に布でくるまれた何かがあった。
それは人間の赤ん坊。布にくるまれた赤ん坊が巨木の根元ですやすやと眠っている。
アンジェリカが戸惑ったのは言うまでもない。何故このような場所に赤ん坊が捨てられているのか。
赤ん坊のそばに座ったアンジェリカは喉の奥が熱くなるような感覚を抱く。苦く辛い過去の記憶が否応なく掘り起こされた。
-千年以上前-
あるとき、私は一族の当主たるお父様から人間のある国を滅ぼすよう命じられた。真祖をただの吸血鬼と侮り無礼を働いたとのこと。
ただ、お父様は滅ぼすのは王族だけでもよいと言っていたので、私は城とその周辺だけを焦土に変えようと考えた。
私はそれまでまともに人間の国へ行ったこともなければ、人間と接触したこともほとんどなかった。
だから、何となく興味本位で人間の街に住んでみることにしたのだ。何せ時間だけは無限とも言えるほどある。
初めてまともに人間と交流もした。と言っても一人だが。定宿にしていた店の看板娘、サラ。
十六歳の彼女はいつも赤ん坊の妹を背負って店の仕事を手伝っていた。私はそのとき初めて人間の赤ん坊を目にしたのである。
「アンジェリカちゃん。今日の食事はどう?」
「ん、美味しい」
「でしょ!? 私が手伝ったんだー」
サラは太陽のように明るい笑顔が魅力的な子だった。妹のシスは赤ん坊だったから話せなかったけど、私が顔を近づけると小さく柔らかな手でペタペタと顔を触ってた。
なんて愛おしい生き物なんだろう。私は素直にそう感じたのを覚えている。あるときは、私が指を近づけたらギュッと握ってくれた。とても幸せな温もりだった。
一ヶ月ほどサラの親が経営する宿で暮らした私だが、そろそろお父様からの命令を遂行しなければならない。宿で眠る最後の日、私はサラにとても重要なことを伝えた。
「サラ。明日は絶対に王城の近くに行ってはダメよ」
「んー? 何かあるの?」
「ん……嫌な予感がするだけ。約束してくれる?」
「アンジェリカちゃん変なの。分かったよー」
サラはシスを背負ったままケラケラと笑うと、「じゃあおやすみなさい」と言って部屋に戻った。
翌日、私はお父様からの命令を遂行すべく街の上空で魔力を練った。城とその周辺を焦土に化せるだけの魔力を練り込む。
『展開』
アンジェリカの前方に一メートル前後の魔法陣が二十近く展開する。
『魔導砲』
個々の魔法陣が光を放ち始めたかと思うと、凄まじい勢いでいくつもの閃光が放たれた。
と、そのとき──
アンジェリカの視界に入ってはいけないものが入った。赤ん坊を背負って王城前の大通りを歩いている女の子。
サラ──!
あれほど言ったのに何故!?
すでに魔導砲は放たれているため取り消しはできない。軌道を変えるべく力を尽くしたが──
魔導砲によって王城とその周辺は焦土と化した。アンジェリカは延焼と粉塵が収まったのを見計らい地に降り立つ。
サラとシスの姿はどこにもなかった。
せめて遺体があれば再生魔法で何とかなる──
アンジェリカは一縷の望みをかけてサラがいたあたりを探し回ったが見つけることは叶わなかった。
真祖一族でも最強と誉れ高いアンジェリカの魔法は、そこら一帯のあらゆる生物を一瞬で消し去ってしまったのだ。
人間に特別な感情などない。脆弱で短命な人間など真祖にとってそこいらの虫と何ら変わりはない。
だが、アンジェリカの血のように紅い瞳からは止めどなく涙が零れ落ちた。そっと右手の人差し指に視線を向け、柔らかな温もりに思いを馳せる。
このときの出来事はアンジェリカの心に暗い影を落とした。
アンジェリカは巨木の根元で眠る赤ん坊の頬にそっと触れる。次に、少し震える手で赤ん坊の小さな手をとった。
ああ──
遥か昔のことなのに、シスの小さく柔らかな手と温もりが記憶から蘇る。あのとき、私はサラとシスを助けられなかった。
でも、今目の前にいるこの子は助けられる。
アンジェリカはそっと赤ん坊を抱いた。何て可愛いのだろう。いつまで見ていても飽きそうにない。
「……もう大丈夫よ。私があなたを守るから」
アンジェリカの言葉はどこか自分に言い聞かせているようでもあった。
と、そのときアンジェリカは赤ん坊の手の甲に何か模様が浮かんでいるのを発見する。その星型の紋章に彼女は見覚えがあった。
「……聖女の紋章」
聖女は女神の加護を受けた者である。一定の周期で誕生し、ときに魔物討伐の旗頭として担がれることも少なくない。
しかし、だとしたら尚更解せない。聖女は人間たちにとって希望となりうる存在だ。それをなぜこのような森に捨てたのか。
……考えたところで答えは出ないか。
アンジェリカは小さく息を吐くと、赤ん坊を抱き直して屋敷に向かい歩き始めた。
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