第百七十二話 錚々たる顔ぶれ
新章開始です。
どのようなことでも、初めての試みは胸が躍るものだ――
真祖、アンジェリカの忠実なる執事であるフェルナンデスは、机の上に広げた紙に再度視線を巡らせた。
その様子を、アリアとルアージュがともに見守る。ここは、普段パールが勉強するときに使っているアンジェリカ邸の書斎。
インクと紙、埃の匂いが立ち込める書斎で、アリアとルアージュ、フェルナンデスの三人が一つの机を囲むように立っていた。
「アリア……これで間違いありませんね?」
「はい、大丈夫です」
フェルナンデスもアリアも驚くほど真剣な表情である。アリアに確認をとったフェルナンデスが、紙の上に羽ペンを走らせる。
「よし……これならきっと……きっとうまくいくはず……!」
「ええ、問題ありませんわ……!」
達成感を漂わせるフェルナンデスとアリアを尻目に、ルアージュの顔はやや引き攣っている。先ほどから、とても深刻そうな話をしているように見えるが、実はこれ――
「招待客の数に料理の量、テーブルの配置……うん、完璧ですね!」
満面の笑顔を浮かべたアリアが、たわわな胸の前で両拳を握る。相変わらずとんでもない破壊力なの~、とはルアージュの心の叫び。
「よし、ではこの計画で進めましょう。招待状の作成はルアージュ、お任せしてもいいですか?」
「は、はいぃ~!」
「ではお願いします。ああ、招待状の件名は……『パール 生誕祭のご案内』でいいでしょう」
もっとも無難な件名だと思ったフェルナンデスだが、アリアが難色を示した。
「うーん、八歳の記念すべき誕生日ですからね……『祝! パール嬢 八歳おめでとう生誕記念パーティーのお誘い』とか、よくないですか?」
超絶親バカなアンジェリカに匹敵するほどパールのことをこよなく愛するアリアが、シスコン全開な件名を口走る。
フェルナンデスとルアージュの口元がわかりやすく引き攣っていた。
「私は別にいいと思いますが、おそらくパールお嬢は嫌がると思いますよ? 『恥ずかしいよ!』と」
「う……」
「私もそう思いますぅ~」
「……フェルナンデスさんの案で大丈夫です」
「わかりました。というわけでルアージュ。よろしくお願いします」
「お任せあれなのですぅ~」
そう、実は来週パールが八歳の誕生日を迎える。これまでは、親しい者を屋敷へ招いてささやかなパーティーで祝ってきたが、今年はもっと大々的な催しにしようということになった。
理由は単純で、パールの交友関係が以前に比べ相当広がったためである。そのため、今年は学園で仲がいい友達やギルド関係者、教会関係者、バッカスなどランドールの中枢を担う人物などを招いてパーティーを開こうということだ。
まあ、もとは酔っぱらったキラとウィズが提案し、アンジェリカやアリアが乗り気になったので決まったというだけの話なのだが。
なお、大勢を呼ぶとなると屋敷のダイニングには入りきらない。そこで、今回の誕生日パーティーは広大な庭を使うことにした。
青空の下での立食形式パーティーである。これなら、フェンリルのアルディアスやその子どもたちも参加者と触れあえる。触れあいたいかどうかは別にして。
何はともあれ、愛する妹の成長を全力でお祝いしたいアリアと、できる男フェルナンデスによってパール生誕祭の準備は着々と進められていくのであった。そして一週間後。
「パールちゃん、お誕生日おめでとう!」
「おめでとうございますなのです!」
パールの学友、ジェリーとオーラの元気な声が庭に響く。友人の誕生日パーティーということで、二人とも余所行きのかわいらしいドレスを纏っている。
「ありがとう! ジェリーちゃん、オーラちゃん!」
笑顔で応えるパール。学園で頻繁に顔をあわせているクラスメイトではあるが、やはりお祝いしてもらうのは嬉しいものなのだ。
それにしても、人多くない? ママにお姉ちゃん、いったいどれくらい招待したんだろ? こんなにたくさんの人にお祝いしてもらうなんて、ちょっと恥ずかしいというか、申し訳ない気持ちになるよ。
屋敷の庭には、今まで見たことのない光景が広がっている。礼服を纏った何人もの男女が、グラスを片手に青空の下で談笑しているのだ。
アリアにフェルナンデス、ルアージュは、歓談している人々のあいだを縫いながら各テーブルをチェックし、足りない飲み物や料理を補充している。
少し離れたところではアルディアスが子どもたちとくつろいでいた。そのアルディアスのお腹と尻尾部分には、リズと弟子のユイ、モア、メルがへばりつき顔を蕩けさせている。
パールは、先ほどリズたちからお祝いしてもらったときのことを思い出していた。リズさんって相変わらず美人というか、かわいいよなぁ~。ママの周りって美少女多くない? てか、やっぱりノアちゃん見て驚いてたよね。
思わずくすりと笑みが零れる。そのノアは、メイド服を着用したまま屋敷の門番をしている。かつて、アイオン共和国の首都、ハノイの聖域で守護者と呼ばれた彼女は、現在アンジェリカ邸の最強門番だ。
ユイちゃんにモアちゃん、メルちゃんは相変わらず元気そうだったな。そう言えば、ユイちゃんは魔法が上手になったから、今度手合わせしてほしいって言ってたっけ。
「聖女様」
「ん? あ、ソフィアさん!」
背後から声をかけてきたのは、エルミア教の教皇ソフィア・ラインハルト。
「お誕生日おめでとうございます。今年も聖女様をお祝いできて、心から嬉しく思いますわ」
周りの耳目を気にしてか、いつものようなポンコツ感がない。何となく物足りないと感じてしまうパールであった。
「あ、ありがとうございます。もうママとはお話しましたか?」
「いえ、本日は聖女様の生誕祭なので、まずご挨拶にと……。それで、アンジェリカ様は……?」
きょろきょろとし始めるソフィア。その斜め後ろでは、護衛の聖騎士レベッカが「やれやれ」といった表情を浮かべていた。
「さっきまで近くにいたんですけどね。あ、あそこですね。あそこで女の人と話しています」
パールが視線を向けた先では、アンジェリカがメガネをかけた若い女性と歓談していた。相手は、リンドル冒険者ギルドの受付嬢、トキ。
少し前に、アンジェリカは繫忙期を迎えたリンドル冒険者ギルドでカウンター業務の手伝いをしていた。そのときの手腕があまりにも見事で、業務効率化も見事実現したことから、トキたち受付嬢はアンジェリカにすっかり心酔してしまったのである。
なお、ギルドマスターのギブソンは、重要な職務のためリンドルにいないようだ。そのため本日は不参加である。参加できないことがかなり悔しそうだったのをパールは思い出した。
と、ちらりとこちらに目を向けたトキと目が合った。パールに向かって大きく手を振るトキ。アンジェリカもこちらに目を向け、ソフィアの存在に気づいたらしい。「それでは聖女様、また後ほど!」と頭を下げたソフィアは、そそくさとアンジェリカのもとへ向かう。何て自分の欲望に素直な人なんだ。
でも、あれでこそソフィアさんって感じがするな。いそいそとアンジェリカのもとへ向かうソフィアの後ろ姿を眺めながら、パールは苦笑いを浮かべるのであった。
「あ、あれはまさか、エルミア教の教皇猊下……? それに、あっちには疾風の二つ名で知られるSランク冒険者のキラ……な、聖デュゼンバーグ王国の王族まで……?」
とんでもない顔ぶれを目の当たりにし、全身をわなわなと震わせている一人の男。ランドール共和国の最高議会で副議長を務めるフリューゲルである。
「ふふ。驚くのも無理はない。私も、まさかこれほどの顔ぶれが一堂に会するなど思ってもみなかった」
フリューゲルの隣に立つ屈強な男は、最高議会の代表議長であり、実質的なランドールのトップであるバッカス。彼もまた、パール生誕祭に招待されていた。
「は、話には聞いていましたが、凄まじいですな……真祖の人脈……」
「ああ。ほとんどが、過去にアンジェリカ様やパール様に助けてもらったり、悩みを解決してもらったりしている。かくいう私もそうだが」
旧ジルジャン王国はアンジェリカ様の手によって滅ぼされたが、あのお方はそのあと我が国が帝国につけ入れられないよう尽力してくれた。
帝国と悪魔族に国が狙われたときも、アンジェリカ様とパール様の尽力によって事なきを得たのだ。感謝してもしきれるものか。
少し遠い目をしたバッカスだが、パールの周りに人がいなくなったのを見計らい、フリューゲルを連れてお祝いの言葉を伝えるため歩みを寄せた。
そんなこんなで、和気あいあいと楽しい雰囲気のままパール生誕祭は進行していくのであった。
――もっと余分に手ぬぐいを持ってきておくんだった。照りつける太陽の光を忌々しく思いつつ、ギブソンは服の袖で額の汗を拭った。
ここは、ランドール共和国から南西に位置するラディック王国の王都リッチ。リンドル冒険者ギルドのギルドマスター、ギブソンは仕事でこの地を訪れていた。
「それにしても、ずいぶん暑いな……」
ギブソン同様、額の汗を拭いながら口を開いたのは、Sランク冒険者のケトナー。ギブソンの護衛として同行していた。
「そうですね……まさか、リンドルとここまで気候に違いがあるとは……」
できることなら長居はしたくない。なるべく早く諸々の用事を終わらせてしまおう。少し歩く速度をあげたギブソンだったが、その足がピタリと止まる。
「ん? どうした、ギルドマスター?」
ギブソンの後ろを歩いていたケトナーが、怪訝そうに窺う。往来の真ん中で立ち止まったギブソンは、少し離れたところにいる子どもを見ているようだった。
ギブソンは混乱していた。そんなはずはない。ランドールとここがどれだけ離れていると思っている。こんなところにいるはずがない。
彼が視線を向ける先。そこには、ふんわりとした金髪が印象的な美少女が立っていた。同い年くらいの友人と楽しそうに会話をしている少女。そして、ギブソンはその顔をよく知っていた。
「なぜ……ここにパール様が……?」