閑話 冒険者ギルドへようこそ! 3
アンジェリカがギブソンのもとを訪れ、自分もギルドで仕事を手伝うと伝えた翌日。リンドル冒険者ギルドのホールは異様な緊張感に包まれていた。
いつもであれば、業務開始前のギルドは受付嬢や職員たちが和気あいあいと談笑しているが、今日に限っては誰もが一言も発しない。
ホールで一列に整列した受付嬢たちの前に立つのは、真祖アンジェリカ・ブラド・クインシー。カウンターを背に立つ彼女は、腕組みをして受付嬢たちに視線を巡らせている。
受付嬢たちはアンジェリカが何者なのか理解している。アンジェリカの恐ろしさを直接見たことがない受付嬢も、先輩やギルドマスターから「絶対に無礼を働かないこと」と厳命されているようだ。
いったい何が始まるのだろう、と不安を隠せない受付嬢たち。ごくりと喉を鳴らしながら、アンジェリカが口を開くのを待つ。
なお、受付嬢たちが戸惑っている理由はもう一つある。彼女たちの目の前には、アンジェリカだけでなくもう一人見たことのない美少女が立っているのだ。
「……おはよう」
いつもよりやや低い声で朝の挨拶をしたアンジェリカ。寝起きが悪いため、朝は声もテンションも低い。
「お、おはようございます!」
受付嬢たちも一斉に挨拶を返した。
「ギブソンから聞いているかもしれないけど、今日から少しのあいだ私もカウンター業務に加わるわ」
ごくりと喉を鳴らしながら顔を引き攣らせる受付嬢たち。無理もない反応である。唯一、パールだけは嬉しそうな表情を浮かべていた。
「ああ、紹介するわ。この子は私の従姉妹でリズ。彼女にも手伝ってもらうわ」
そう、アンジェリカの隣に立っていたのはリズであった。昨日、いきなりギルドの仕事を手伝えと言われ、ほとんど有無を言わさず拉致されてしまったのである。
「まあ……そういうわけでお手伝いしますわ。よろしくですの」
なぜ真祖とその関係者はみんな美少女なのだろう、と全受付嬢が心のなかで呟いたのはここだけの話。
「で、さっそくだけど。業務を効率よく遂行するために窓口を大きく四つにわけるわ」
アンジェリカが顔の前で指を四本立てる。
「え、ええと。それはいったいどういうことでしょうか?」
古参の受付嬢が静かに手を挙げ、恐る恐るアンジェリカに質問した。
「現状におけるギルドの業務は大きく四つ。冒険者登録の手続き、引退の手続き、既存冒険者への各種対応、市民からの依頼受付。窓口をわけて、それぞれが一つの業務に集中できる環境を構築すれば、より効率的に業務を遂行できるわ」
「な、なるほど……たしかに、それなら効率がよさそうです!」
「それに、窓口の混雑具合を見れば、どの業務がもっとも忙しいかも判断できるでしょ。必要に応じて最適な人員を迅速に分配できるわ」
おお……、とどよめく受付嬢たち。目がキラキラと輝いている。そして、アンジェリカは受付嬢たちに指示を出し、各業務の担当者を決めていった。
ちなみに、アンジェリカとパールは新規冒険者登録の手続き、リズは引退の手続き担当である。こうして、真祖と愛娘、さらに従姉妹まで加えた布陣でリンドル冒険者ギルドの業務がスタートした。
「冒険者登録の手続きはこっちに並んでね。記入が必要な書類を先に配るから、そのあたりで書いてから並んでちょうだい」
アンジェリカが説明したあと、すかさずパールが書類の束を体の前に抱えて列に並んでいる人々へ配り始める。
「冒険者引退の手続きはこちらですの。すでに引退届を書き終えている方は、書類を掲げたまま挙手していただいてよろしいかしら?」
リズの前に列をなしていた冒険者たちが、一斉に書類を持っている手を挙げる。と、リズが何かボソボソと唱えると、彼らの手から離れた書類が彼女のもとへ集まった。驚く冒険者たち。
「ふむ。では、ケニーさんにライドさん、ラッシュさん、ハットさんだけこちらへ来てくださる? あとの方は書類に不備もなく受理したので、お帰りいただいて結構ですわ」
テキパキと仕事をこなしていくアンジェリカとパール、リズを目にし受付嬢たちは嘆息する。何せ、普段の何倍もの速さで仕事が進んでいくのだ。
必要書類の配布や回収はもちろんのこと、書類に目を通し不備を素早く見つける能力も素晴らしい。文字通り、人間業ではない技術を目の当たりにし、受付嬢たちは「真祖と身内ぱねぇ」と心から思った。
こうして、アンジェリカやパール、リズが力を尽くしたため、彼女たちが仕事を手伝い始めて三日も経たないうちに繁忙期は収まり始めた。
ホールの混雑はすっかり解消され、受付嬢たちも定時には帰宅できるようになったのである。彼女たちがアンジェリカやパール、リズに心から感謝したのは言うまでもない。
「はぁ~……パールちゃんやアンジェリカ様がお手伝いしてくれて本当によかった~……」
「ほんとにね。そうじゃなかったら、繁忙期あと三週間くらいは続いていた気がする」
「アンジェリカ様たち、ずっと働いてくれないかな~」
あれほど恐れていた真祖ではあるが、一緒に仕事をしているうちに彼女の合理的な考え方や面倒見の良さに触れ、心酔してしまった受付嬢も多い。
そのアンジェリカたちは、忙しさがほぼ解消されたのを理由に、手伝いは本日までということらしい。あからさまに落胆する受付嬢たち。
「ああ……私たち、明日からまともに働けるのかな……」
アンジェリカは、業務の合間を縫って受付嬢たちに業務を効率よく進めるための助言もしていた。そのおかげもあり、彼女たちは快適かつスムーズに仕事を進められたのである。
「だねー。ちょっと憂鬱~……」
ギルドの休憩室でそんな不安を口にしていたのだが、実は扉の外でアンジェリカの耳に入っていた。たまたま、通りかかったときに聞こえてしまったのである。
「ふむ……」
顎に手をあてて何かを思案するアンジェリカ。そして――
「最後に、もう一仕事だけしておいてあげようかしら」
――リンドル冒険者ギルドの応接室で向き合うアンジェリカとギブソン。すでにギルドの業務は終了し、受付嬢たちも退勤していた。
「アンジェリカ様。こたびの件、まことにありがとうございました」
「気にしなくていいわ。パールが早く帰れるように手伝っただけだしね」
「パール様にも本当に感謝しています。私以上に、受付嬢たちが心から感謝していたようですが」
「ああ、その受付嬢たちとカウンター業務のことだけど。ここ数日、彼女たちとカウンター業務に携わってみて、いろいろと非効率だと感じたことがあるわ。それを改善するだけで、彼女たちの負担が少なくなり業務も今よりもっと効率的に進められるようになると思うけど」
「そ、そうなんですか?」
目をぱちくりとさせるギブソン。カウンター業務の内容は理解しているものの、業務への取り組み方や効率面のことなどあまり考えたことはなかった。
「ええ。業務効率化が実現すれば、彼女たちにかかる心身の負担が軽減し、離職率も低下する。各種手続きもスムーズに進むようになるから、冒険者や市民たちの満足度向上にもつながるわ」
「なるほど……」
「手始めに、まずは業務の標準化を進めなさい。業務の取り組み方を統一するのよ。で、それを可視化するの。業務手順書のようなものを作成しておけば、誰もが同じ業務品質で仕事に取り組めるし、新人の育成も楽になるわ」
アンジェリカが話す内容を、慌ててメモし始めるギブソン。
「それと、無駄な業務の抽出と排除も進めなさい。必要ないのに、慣習や惰性で続けている業務があるでしょ? それらを排除するだけで業務時間の短縮につながる。そうね、たとえば依頼書の作成。現状、依頼者から話を聞いたうえで受付嬢が依頼書を一から作成しているでしょ? あれをやめて、統一した書式の書類を用意したうえで依頼者本人に書いてもらうようにすれば、受付嬢の業務が減るわ」
「むむ、たしかに……」
「まあ、報酬や条件などのすり合わせはしないといけないけど、それでも受付嬢の業務負担や作業時間が減ることは間違いないと思う」
一心不乱にメモをとり続けるギブソンを尻目に、アンジェリカは次から次へと業務効率化のアイデアを述べてゆく。
「あと……そうね。どうしても受付嬢じゃないとできない仕事以外は、外注するのもひとつの手よ」
「と言うと?」
「たとえば、文書の作成や管理、郵送物のチェックや管理なんかの業務は、別に受付嬢でなくてもできるでしょ? これらを外注すれば、受付嬢たちはその分本来の業務に集中できるわ。受付嬢しかできない重要な業務に注力できるし、業務品質も高まって顧客満足度も向上する、はず」
次々と溢れ出てくるアイデアに舌を巻くギブソン。アンジェリカから聞く話は、どれも目から鱗が落ちる内容ばかりだった。
こうして、カウンター業務における業務効率化のヒントを一通りギブソンに伝えると、アンジェリカは「それじゃあね」と一言残してその場から消えた。
翌日から、さっそくリンドル冒険者ギルドでは業務改革がスタートする。アンジェリカから教えてもらった内容を参考にしつつ、ギルドマスターであるギブソンが率先して改革を進めた。
その結果、受付嬢たちはこれまで以上に効率よく業務を遂行できるようになり、無駄な残業もなくなったのである。
不要な仕事もなくなったため心身の負担が減り、快適に働けるようになったと受付嬢たちはホクホク顔だ。すべての受付嬢が、心のなかで「アンジェリカ様、ありがとうございます!」と声を大にして感謝の言葉を述べたのは言うまでもない。