閑話 冒険者ギルドへようこそ! 2
繁忙期に突入したリンドル冒険者ギルド。受付嬢たちにのしかかる過度な負担を軽減し、状況の改善を図るため、パールは臨時的に受付嬢として働いてほしいとギブソンから依頼された。
普段からお世話になっている受付嬢のためなら、と了承したパールであったが……。
「……んん? んんん? これって……」
労働条件を確認するため、テーブルの上に広げられた書類に視線を巡らせるパールの頬を、一筋の汗が流れ落ちる。業務内容については何の問題もない。パールが眉間にシワを寄せている理由は給金の額にあった。
「あの、ギルドマスターさん。給金の額って、これで間違いないんですよね……?」
「え? えーと……はい、間違いないですね」
あっさりと答えられ焦りの表情を浮かべるパール。いや、いやいやいや。朝から夜まで働いてこの金額? 安っ!! 受付嬢さんたちって、あんな過酷な業務をこなしながらこれくらいのお給金しかもらえてないの!?
パール自身はまったくお金に執着しないのだが、薄給で働いている受付嬢たちが不憫に感じてしまった。しかも繁忙期の今は普段よりさらに過酷な環境で働いている。これは何とかしてあげないと。
と、気合を入れるパールであったが、実のところ受付嬢たちの給金はそれほど悪くない金額である。
むしろ、ほかの職業に比べると高い部類に入るため、冒険者ギルドの受付嬢は女子たちにとって憧れの職業なのだ。
では、なぜパールが受付嬢の給金が安いと感じたのか。理由は単純で、パールの金銭感覚がぶっ壊れているのだ。
アンジェリカの愛娘として何不自由なく育てられ、自身も冒険者として莫大な富を得ている。
一般の人々が労働の対価としてどの程度の給金を得ているのか、パールはよくわかっていなかった。それゆえに、書類に記載された給金の額を見て愕然としてしまったのである。
と、こんな感じで勘違いはあったものの、使命感に駆られたパールは翌日からギルドの受付嬢として短期間だけ勤務することになった。
翌日。案の定ざわつくリンドル冒険者ギルド。それもそのはずで、いつものようにギルドへ入ったら、常勤の受付嬢たちに混じってパールがカウンターに立っているのである。
パールのことを知っている冒険者からすると、驚かないはずがない。なお、パールの身長ではカウンターから顔も出せないので、踏み台を使っているようだ。
「お、お嬢! 冒険者やめちゃったんですか!?」
「パール嬢ちーっす! て、あれ!? お嬢、何でカウンターにいるんすか!?」
「お嬢、受付嬢になったんですか!? まじパねーっす!」
馴染みの冒険者たちの反応は実にさまざまである。なお、業務の進め方は事前にギブソンやトキから一通り教えてもらっているので心配はない。
最初は「大丈夫かな?」と心配していた受付嬢たちだったが、テキパキと仕事をこなしていくパールを見て胸をなでおろした。
「えーと、冒険者登録にいらしているヤスさーん。書類のチェックが終わったのでカウンターまで来てくださいね~。あ、ユーさんはこの書類をもってあちらの窓口へ行ってください。はい、次の方ー。あ、ダダリオさん。お久しぶりです。報酬の受け取りですね。では討伐対象の素材か何か……はい、確認しました。では、こちらをどうぞ。ええ、それじゃまた! はい、次の方~。依頼の申し込みですね。ありがとうございます。どのようなことでお悩みでしょうか?」
流れるように業務を遂行するパールを見て、とてつもない心強さを覚える受付嬢たち。とんでもない即戦力の登場に、全員が「これからずっと働いてくれないかな」と内心思っていたのはここだけの話。
「はい、次の方~」
「ああ……って、ガキじゃねぇか。ちっ、てめぇみたいなガキで大丈夫なのかよ」
お約束な感じで悪態をついてきたのは、身長二メートルを超える人相の悪い男。パールを知らないところを見ると、リンドル冒険者ギルドへ訪れたのも初めてのようだ。
「……で、本日はどのようなご用件でしょうか?」
一瞬イラッとしたパールだが、仕事の効率を考え相手にしないことに。こめかみに血管が浮き出てはいたものの、無理やり笑顔を作って対応した。
パールが何も反論してこないため味をしめたのか、男はニヤニヤしながらさらに悪態をつき続けた。次第に引き攣っていくパールの顔。
彼女が真祖の愛娘であり、規格外のAランク冒険者であることを知っているほかの受付嬢や周りの冒険者は一斉に色をなくした。
「だいたいよぉ~、てめぇみてぇな何も知らねぇようなガキがよぉ~」
「……『闇の鎖』」
我慢の限界を迎えたのと、これ以上くだらない話を聞き続けると業務効率が低下すると判断したパールが魔法を唱える。悪態をついていた輩は、またたく間に黒い鎖に縛られホールの床に転がる羽目になった。
「すみません、ほかのお客様の邪魔になりますので。えーと、誰か。この人を外に放り出しておいてください」
苦笑いを浮かべた馴染みの冒険者たちが、黒い鎖でがんじがらめにされた輩を抱えて外へと運びだす。「ひぇ~、や、やめろ~!」と情けない声をあげながら運ばれていく輩を無視し、パールは次の来客対応を始めた。
なお、一連の流れを見ていた受付嬢たちが、心のなかで「さすがパールちゃん!」と称賛を送り、カウンターの下でグッと拳を握っていたというのはここだけの話。
翌日、翌々日もテキパキと業務をこなすパール。もちろん、学園には報告済みである。学園始まって以来の大天才であり魔法技術も教師をしのぐパールは、授業への出欠が自由であるため休んでも問題ない。
パールが即戦力として活躍しているため、受付嬢たちの負担は大きく軽減した。が、今度は別の問題が発生し始めた。
どうせなら、将来有望な美少女に対応してもらいたいと考えた人々が、パールの前へ行列をなすようになったのである。その結果、パールに負担が集中するようになった。
「ただいま~……ああーーーー、疲れた~……」
屋敷に戻ったパールは、リビングへ入るなりやわらかなソファへ向かってダイブした。ソファの上でぼよんと大きく跳ねる小さな体。
リビングへ入ってきたアンジェリカが、パールへ心配そうな目を向ける。ここ何日か帰りが遅いうえに、疲れた顔をしているのだから心配するのは母親として当然だ。
「ねぇ、パール。大丈夫なの?」
「うんー……なかなか過酷だけど、頑張らないと受付嬢のお姉さんたちがかわいそうだしね。それに、繁忙期は一ヶ月くらいって言ってたし、何とかやりきるよー」
その言葉を聞いたアンジェリカの耳がぴくりと反応する。は? 一ヶ月? 何、一ヶ月もパールの帰りが遅くなるというの?
いやいや、ありえないでしょ。こんなに小さくてかわいくて声も鈴みたいにかわいらしい女の子を一ヶ月も夜遅くまで働かせるなんて。
パールの健康が心配だし、何より私がかわいいパールとすごす時間が少なくなるじゃない。いくらパールが夜遅くまで働くのを了承したからって……!
考えているうちに、段々とイライラしてきたアンジェリカ。ソファの上で仰向けになって寝転んでいるパールの隣に腰をおろし、ふんわりとした金色の頭を優しくなでる。パール成分を補給して何とか落ち着きを取り戻した。そして次の日。
リンドル冒険者ギルドの応接室で、ギルドマスターのギブソンは全身から脂汗を流していた。今、彼の目の前にいるのは、真祖アンジェリカ・ブラド・クインシー。
足を組んでソファに腰かけ、感情の読めない紅い瞳でじっとギブソンを見つめている。恐ろしいほどの圧力に、ギブソンはちびりそうになった。
「お、お久しぶりでございます、アンジェリカ様……」
「ええ。そうね」
「あの~……それで、本日はいったいどのような……?」
「うん……。最近ね、パールの帰りが遅いのよ」
バックンバックンと波打つギブソンの心臓。泣きたくて泣きたくて震える。
「あ、別に怒ってなんていないのよ? パールが自分の意思でやってることだから。うん、全然怒ってなんていないの」
いや、めちゃくちゃ怒ってますやん! それ、絶対にめちゃくちゃ怒ってるときのやつですやん! 絶対に声にしてはいけない心の叫びである。
「あの子はとても優しい子だから。賢いし魔法も凄いし声も鈴みたいにかわいらしいし。受付嬢たちの負担を何とか減らしてあげたいって、本気で思ったはずよ。うん、だから私は別に怒ってないの」
ギブソンとて馬鹿ではない。女の子が口にする「別に怒っていない」「何でもない」が地雷であることはよく理解している。そのうえで、ここではどう対応すれば正解なのかと必死に頭を回転させた。
『では、パール様のカウンター業務は本日限りということで』
これが最適解のようだが、おそらくダメだ。こんなこと口にしたらおそらく……。
『は? 私の愛する娘が自分の意思でやると言っているのに、あなたはその気持ちを無視するの? あの子を傷つけるつもり?』
多分こうなる。となると――
『できるだけ早くこの状況が収束するよう、私と職員一同が必死に努力しますので……!』
これか……? いや、この場合だと――
『は? ということは、あなたたちはこれまでこの状況を打破しようと、必死に努力をしていなかったと? そのくせ、幼い少女を協力させて夜遅くまで働かせていると? へぇ~……』
いかん、目に見えるようだ。考えただけで恐ろしい。く……いったいどうすれば正解なんだ……! 必死に頭を捻るギブソン。できることなら窓をあけて思いきり叫びたい。そんなことまで考えていた矢先――
「……一日あたりの対応可能数を増やせば、この状況が長引くことはなくなる。わよね?」
「え……?」
思いもよらぬアンジェリカの提案に、思わずきょとんとしてしまうギブソン。たしかに、依頼の受付や冒険者登録、削除など各種手続きの対応を増やせば、一ヶ月も経たないうちに繁忙期が終わる可能性はある。
現状では、当日に対応できないことが多く、どんどん後ろ倒ししている状態だ。そのため、忙しい日々が延々と続くという負のスパイラルが生まれている。
が、一日あたりの対応を増やすと、労働時間は長くなり個々の受付嬢への負担も増加する。いくらこの状況が早めに収束するとはいえ、受付嬢たちの負担が増加し健康被害を受けるようでは意味がない。
「ア、アンジェリカ様の言いたいことはわかるのですが、それでは受付嬢やパール様の負担がより大きくなってしまいますので……」
言葉を選びながら、恐る恐る上目遣いで言葉を紡ぐ。が、アンジェリカから返ってきた答えは予想もしていないものだった。
「大丈夫よ。明日から私も手伝うわ」