第百七十一話 一族の決意
閑話を挟んで新章開始します⭐︎
アイオン共和国の最高議会で議長を務めるラスカルは、極度の緊張から幾度にわたり意識が遠のきそうになるのを感じていた。ここはアイオンの首都、ハノイにある議事堂の一室。先ほどから室内の空気はピンと張り詰め、一種異様な雰囲気に包まれていた。
「ア、アイオン共和国最高議会で議長を務めております、ラスカルです。このたびは、わざわざご足労いただき――」
「そういう挨拶は不要よ」
シワが刻まれた額に脂汗を浮かべながら、必死の思いで挨拶をしようとしたラスカルの言葉をバッサリと遮ったのは、紅き瞳の美しい少女。真祖、アンジェリカ・ブラド・クインシーである。
議事堂の一室で、ローテーブルを挟み向かいあうラスカルとアンジェリカ。彼女の両隣には、ランドールにおける最高意思決定者であるバッカスと、冒険者ギルドのギルドマスターであるギブソンが座している。
一方、ラスカルの両隣には、ハノイ冒険者ギルドのギルドマスター、ヒュースとアイオン最高議会の副議長、バラクーダが緊張した面持ちで座っていた。
なぜアンジェリカやギブソンがここにいるかというと、要するに今回の一件の後始末である。そのために、アンジェリカは一度ランドールへ戻り、バッカスやギブソンを連れてきたのだ。いきなりアンジェリカだけでこの国の上層部へ話をつけに行くより、バッカスやギブソンに仲介してもらったほうがスムーズだと考えたのである。
「は、はい。それで、我々に話というのは……?」
すでに、目の前の少女が真祖であるということは説明を受けている。最初は悪い冗談かと思ったラスカルだったが、血のように紅い瞳と小さな体から立ち昇る禍々しい魔力を間近で感じ、信じざるを得なかった。
「うん。あとで冒険者たちから正式な報告があるとは思うけど、先に私から伝えておこうと思って」
怪訝な表情を浮かべ、顔を見合わせるラスカルとヒュース。ギルドマスターであるヒュースも、まだミヤビたちから正式な報告は受けていないのだ。
「えーとね、申し訳ないのだけど。あなたたちが聖域と呼ぶ場所に財宝などはいっさい存在しないわ」
「は……? そ、それはいったいどういう……?」
戸惑いながらも言葉を発したラスカルの隣では、副議長のバラクーダが思わず腰を浮かしそうになっていた。
アンジェリカは、事の顛末を包み隠さずすべてラスカルやバラクーダに聞かせた。聖域と呼ばれる場所には洞窟があり、古くから月の花が咲いていること。自身の眷属がその場所を守るためにゴーレムを生み出し、いつの間にか守護者と呼ばれるようになったこと。
「で、では……財宝が眠っているという噂は……」
「長い歴史のなかで、どんどん噂に尾ひれがついたんじゃないかしら」
「そ、そんな……!」
がっくりと項垂れるラスカルとバラクーダ。とてもわかりやすい落ち込みようである。国を再建するための財源と期待していたのだから、当然と言えば当然なのかもしれない。副議長のバラクーダにいたっては、目から涙まで流れていた。
「もう、お終いです……財宝がないのなら、もうこの国を建て直すことなど……!」
膝の上で両拳を強く握り、絶望感に打ちひしがれるバラクーダ。ヒュースのいかつい顔にも沈痛な表情が浮かぶ。その様子をじっと見ていたアンジェリカが、小さく息を吐いた。
「……そこで、あなたたちに相談なんだけど。条件次第では、この私が国を再建する資金を援助してあげてもいいわ」
ラスカルにバラクーダ、ヒュースの三人が、反射的に顔をあげる。全員の顔に驚愕と戸惑いの色がありありと浮かんでいた。
「な、何を……そんな冗談……」
「冗談ではないわ。幸い、お金には困っていないし、この国を再建する程度の資金であれば支援は可能よ」
「ほ、本当ですかっ!?」
三人の顔が途端に明るくなる。が、すぐさまその顔に猜疑の色が宿った。国を建て直すほどの資金を簡単に援助すると言っているのだ。疑念が湧かないはずがない。
「ええ。ただ、さっき言ったように条件がある」
アンジェリカの紅い瞳でじっと見つめられ、ラスカルはごくりと喉を鳴らした。
「き、聞きましょう」
「簡単なことよ。あなた方が聖域と呼んでいた場所を、これからも守ってほしいの。あそこを守っていた守護者、ゴーレムは私の屋敷へ連れ帰ることにしたから」
「あの場所を、ですか?」
「ええ。守護者がいなくなれば、誰でも洞窟へ入れるようになる。そうなれば、月の花が踏み荒らされてしまうでしょ? それが嫌なの」
「は、はぁ……」
「だから、衛兵を駐屯させるなり何なりして、あの場所を守ってちょうだい。それが資金援助の条件よ」
アンジェリカの提案は、アイオン側にとってこの上ない好条件だ。その程度のことで莫大な資金援助をしてもらえるのであれば、断る道理はない。守護者もいなくなるのであれば、観光資源として聖域を活用することも可能なのだ。ラスカルはアンジェリカと視線をあわせると、背筋をまっすぐに伸ばしたまま体を前傾させた。
「真祖、アンジェリカ様。その条件、ぜひ飲ませていただきたく存じます。ですから、資金援助の件、ぜひともよろしくお願いいたします」
アンジェリカが小さく頷く。これによって、アイオン共和国は資金難から解放され、亡国の危機から逃れることになった。余談ではあるが、晩年ラスカル議長は「この国が今も存続しているのはアンジェリカ様のおかげ」とことあるごとに口にしていたという。また、副議長のバラクーダは翌年誕生した孫娘に対し、強く優しく育ってほしいとの願いを込め、アンジェリカと名づけたのだとか。
――アンジェリカたちが議事堂で会談に臨んでいるさなか、ハノイの冒険者ギルドでも思いがけない事実が発覚していた。
「ええええ!? じゃあ、ミヤビちゃんが冒険者になるきっかけになった、憧れの人ってフェルさんだったの!?」
パールの素っ頓狂な声が広々としたホールに響き、思わず何人かの冒険者が視線を向けた。大きな声を出しすぎたと反省し、慌てて口を手で押さえるパール。
「や、あの、うん。まあそんな感じというか……」
ホール内に設置された丸いテーブルを囲みながら、ミヤビがもじもじと言葉を紡ぐ。すぐそばにはフェルナンデスもいるため、緊張しているようだ。
「へえ~……! フェルさんはミヤビちゃんのこと、覚えてた?」
「ええ。彼女がまだ十歳くらいのころですね。たまたま、お嬢様にお出しする紅茶の茶葉をハノイへ買いに来ていまして。無粋な輩に絡まれていたので、追い払ってあげたのです」
フェルナンデスからちらりと視線を向けられたミヤビは、顔を赤く染めて俯いてしまった。いや、めちゃくちゃ乙女じゃん、ミヤビちゃん! 初めて会ったときの印象とまったく違うんだけど!?
「聖域で助けてもらったとき、あのときとまったく同じだって……あのときの光景も蘇って……」
「ふふ。あのときのお嬢さんが、これほど立派な冒険者になっていたとは驚きです。時が経つのは早いものですね」
頭から、プシューっと湯気が出てきそうなくらい顔を赤くしたミヤビ。彼女のこのような様子を見たことがなかったパーティーメンバーは、一様に驚きを隠せない。と、そこへ――
「パール! ミヤビさん!」
パールたちが集まっているテーブルのもとへ駆けてくる一人の少年。声の主は、悪魔侯爵ドラゴと契約を交わし、危うく自我を失いそうになった少年マオだった。
「マオ君! もう大丈夫なの?」
「ああ。ダメージはパールに治療してもらってたしな」
「そっか、よかった! 腕の調子も問題ない?」
以前、ガラに切断されたマオの腕に、全員の視線が集まる。彼の腕はたしかに肘から先が切断されていたのだが、そこには立派な腕が存在した。
「ああ! この通りだよ!」
元気にブンブンと腕を振り回すマオ。そう、実はパールがアンジェリカにお願いし、切断されたマオの腕を再生してもらったのである。ミヤビら冒険者の前で伝説級の魔法を使用したため、誰もが腰を抜かしそうになっていたのを思い出す。
「よかっ――あ、お姉ちゃん!」
ギルドの扉を開いて入ってくるアリアを見つけ、パールが手を振る。アリアのすぐそばには、聖域の守護者と呼ばれ恐れられたノアの姿が。
「ただいま、パール」
「うん。ハノイの街はどうだった?」
「めちゃくちゃ発展してて驚いたわよ。だって、昔は国どころか町さえなかったんだもん。ね、ノア?」
「う……はい」
ぎこちないながらも返事をするノア。そんな彼女は、長く着用していたフルプレートメイルを脱ぎ棄て、今はメイド服を着用している。どうやら、街へはノアが着る服を買いに出かけていたようだ。
「ノアちゃん、メイド服とても似合うね!」
「あり……が……とう」
サッと視線を落とすノアの様子は、何となく恥ずかしがっているように見えた。そしてパールは気づく。初めてノアに会ったときから、ずっと誰かに似ていると思っていたが、やっとわかった。でも、どうして?
「ねえ、それはそうとお姉ちゃん。どうしてノアちゃんの顔をリズさんに似せたの?」
「あー……。身近で思いつく顔がお嬢様かリズさんくらいしかいなかったのよ。さすがに、お嬢様の顔にするのはね……」
ということらしい。なるほど。これでツインテールにすれば完璧にリズさんだもんな。そのころ、デュゼンバーグの自宅でリズが盛大にくしゃみをしていたのはここだけの話。
――どれほどのあいだ、こうしていただろうか。時間の感覚がない。耳の奥で聞こえる耳鳴りと心臓の鼓動音によって、自分がここに存在していることを自覚できた。
絶望感に支配されている場合ではない。そんなことはわかっている。自分だけではなく、ここにいる誰もがよく理解している。だが――
「……父上様」
一族の皇子でありアンジェリカの兄でもある真祖、ヘルガ・ブラド・クインシーは、冷たい石の壁に半身をよりかけたまま、当主たるサイファ・ブラド・クインシーへ声をかけた。
不快な湿気と生臭い匂い。ここは真祖一族が住まう城の地下にある一室。ヘルガのすぐそばには、すでに原形を留めていない肉の塊が椅子に縛られた状態で存在していた。悪魔族の頂点に君臨する七禍の一柱、マモンのなれの果てである。
「……わかっている。蝙蝠からも追加報告が入っている。アンジェは、かの娘を溺愛しているとのことだ……」
いつもと変わらぬ口調ではあるが、どこか余裕がないようにヘルガは感じた。同じく、アンジェリカの兄であるキョウ、シーラの二人も同じように感じたらしく、自然と視線が交錯する。
余裕を失うのも無理はない。七禍の一柱であるマモンからもたらされたとんでもない真実。それは、ここにいる全員を絶望の淵へ叩き落とすのに十分だった。死より苦しい拷問に加え、精神と思考への干渉。そこまでしても、非情すぎる結果は変わらなかった。
「では、やはり……」
「ああ……マモンがもたらした情報は真実であろう。まさかそこまで狡猾な手を使ってこようとは……」
眉間にシワを寄せ、苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべたヘルガ。衝動的に冷たい石の壁を殴りつける。
「アンジェは私にとって、かけがえのない愛娘である。お前たちにとっても、アンジェは大切なかわいい妹であろう?」
「当然です!!」
キョウにシーラ、ヘルガ、三兄弟の声が見事に重なる。
「私は……何をしてでもアンジェを、愛する娘を守る。お前たちにもその覚悟はあるか?」
静かにだが力強く頷く三人。その紅い瞳には、意思の強さがありありと浮かんでいた。
「アンジェを救おうとする我々の行動は、あの子には理解されまい。むしろ、敵として認識されるであろう。あの子を助けられたとしても、感謝されるどころかこのさき永遠に恨まれる可能性が高い。それでも、気持ちは変わらぬか?」
「……変わりません。アンジェのいない世界など、とても考えられません。それであの子を救えるのなら、どれほど憎まれようが構わない」
キョウの言葉に、シーラとヘルガもゆっくりと頷く。
「……お前たちの決意、よくわかった。では、必ず成し遂げようぞ。我々の手で、どのような手を使ってでも……」
三兄弟の前に立ったサイファが、一人一人へゆっくりと視線を巡らす。
「必ず、あのパールという娘を殺すのだ」