第百六十八話 やっぱりできない
真の聖域らしき場所への入り口を発見したパール。少女の姿をしたゴーレムは聖域への侵入を阻むように入り口へ立ち塞がる。そんなさなか、突如悪魔族が襲来。さらに、パールに強力な魔法が襲いかかる。魔法を放った主は、まだ診療所で静養しているはずのマオであった。
『ワケ分からないくらい一生懸命で真っすぐな人』
ハノイの冒険者ギルドへ訪れたその日、必死の形相を浮かべて受付嬢へ詰め寄っていた彼を見て、率直にそう感じた。それに、お母さんのことがとても大切なんだなって。
お母さんにもっと楽をさせてあげたい。その一心で年下の女の子から魔法を習って、乱暴なチンピラ冒険者に特別パーティーのメンバーを代わってほしいとお願いして、リンチされて、片腕を失うほど大ケガして……。
私が魔法なんて教えたせいだ、変に自信をつけさせたからだ。心から後悔した。彼にいったい何て謝ればいいんだろう。
でも、彼は私を一言も責めはしなかった。それどころか、魔法を習ったおかげであいつらと対等に戦えたって、お礼まで言われた。本当に、ワケ分からないくらい一生懸命で真っすぐで、優しい男の子。
それなのに――
突然目の前に現れたマオは、一言も発することなくパールへ高威力の魔法を放った。咄嗟に魔力装甲を展開し防御するが、あまりもの威力に装甲の表層が大きく抉られる。
「そ、そんな……! どうして……!?」
パールが混乱するのも無理はない。本来なら、マオ程度の実力でパールの魔力装甲に傷一つでもつけられるはずがないのだ。それに、この場所へ突然現れたこと、普段のマオと雰囲気がまったく違うこと、示し合わせたように悪魔と一緒に現れ、自分たちに攻撃を加えていること。何もかも意味不明だ。
「マオ君!? どうしてこんなことするの!?」
マオに向けて大声で問いかけるが、彼の耳にはまったく届いていないようである。反応がいっさいない。
「マオ君!!」
『落ち着けパール。ありゃどう見ても普通じゃねぇ……』
「どういうこと? ケンちゃん?」
『はっきりしたことは分からねぇ。が、今の状況も併せて考えると、悪魔に操られているって可能性もあるんじゃねぇか?』
たしかに、あの悪魔族が現れるのとほぼ同じタイミングでマオはやってきた。しかも、見た目こそマオだが、目つきも雰囲気もいつもの彼ではない。ケンちゃんの言う通り、悪魔に操られてるってのが一番しっくりくるかも。
「だとしたら……魔法、もしくは呪いの類かな……?」
以前、友人のジェリーが悪魔に呪いをかけられていたのを思い出す。うん、呪いの類なら何とかなる。ジェリーちゃんのときも私の力で癒せたし!
再びこちらへ向けて放たれる魔法を回避し、少し離れたところの小さな岩の陰へ隠れる。思った以上にこの戦闘は疲れる。何せ、マオだけでなく背後のゴーレムにも意識を向けなくてはならないのだから。
「ケンちゃん。もしマオ君が悪魔に魔法か呪いで操られているのなら、私が触ればもとに戻ると思うんだ」
『ああ、そうだな』
「だからね……ごにょごにょ……」
『なるほど……おもしれぇ』
刃の上でぎょろりと蠢くケンの大きな目が、スッと細くなった。
「よし、じゃあいくよ、ケンちゃん」
『おおよ!』
「『魔散弾』!」
岩陰から飛び出したパールは、天に向けて複数の魔法陣を展開させると、そのまま空へ魔散弾を放った。魔力を凝縮した細い閃光が一斉に空へと吸い込まれていった、次の瞬間――
重力に従うかのように、いくつもの閃光が空から地上へと降り注ぐ。高威力の閃光はマオの周辺を囲むように降り注ぎ、あたり一帯は土煙で何も見えなくなってしまった。
無表情ではあるものの、周囲を警戒する素振りを見せるマオ。と、そのとき。真正面から土煙を斬り裂いて何かが飛来してきたのをマオは確認した。
『ひゃっほおおおおおお!』
「!?」
風を巻いて飛び出してきたのは、魔剣のケン。鋭い切っ先を向けて突っ込んでくるケンに、マオは多少戸惑ったように見えたが、そのまま両手のひらでパシッと刃を挟んでしまった。真剣白刃取りである。
が、これこそパールとケンの思う壺であった。
『今だ、パール!』
ケンが合図したのとほぼ同時に、マオの背後から飛び出したパールが彼の腰あたりへ突進し抱きつく。
「やった! これで……――え!?」
抱きつかれた形になったマオは、ケンを投げ捨てるとものすごい力でパールを振り払った。
「きゃあっ!」
勢いよく地面を転がったパールだが、素早く立ち上がり再びマオと距離をとる。
『パール、大丈夫か?』
「うん……でも、聖女の力が効かないみたい……これって、どういうこと? 魔法や呪いで操られているんじゃないの?」
戻ってきたケンを右手に握り、パールが絞りだすように言葉を紡いだ。想定外の展開である。どうしよう。
少し離れた場所から轟音が響き、パールはちらりとそちらを見やった。キラやミヤビたちも激しい戦闘のさなかである。ゴーレムの少女はというと、相変わらず洞窟への入り口前で仁王立ちだ。
どうする? どうする? どうする? まずいよ、八方ふさがりだ。このままじゃ埒があかない。先にキラちゃんたちに合流して、向こうの悪魔を倒したほうがいいかな……? と、そんなことを考えていたパールだったが――
「……パ……ル……が……い……。ろ……して……」
先ほどまで一言も喋らなかったマオが口を開いた。何かに抗うように、必死な形相を浮かべながら言葉を紡いでいる。
「マ、マオ君!? 話せるの!? 何!?」
「……パール……お……れ……もっとつ……よく……なりたく……て……」
全身を痙攣させながら言葉を絞りだしてゆくマオ。その顔は苦痛に歪んでいるようにも見えた。
「……あく……ま……が……けいや……く……したら……もっと……ちか……ら……やる……って……」
マオの瞳からは大粒の涙が零れていた。
「で……も……まちが……い……だた……もう……おれは……お……れじゃ……ない……また……パー……ルのこと……こう……げき……す……る……」
必死に何かを耐えるように、一つひとつ言葉を絞りだしていくマオの姿に、パールもまた涙が止まらなかった。
「おね……が……。いま……の……うち……おれ……ころ……し……て……。どう……せ……もう……もと、もどれ……ない……」
「……マオ君!!」
嫌だよ。そんなことできるわけないじゃないか。せっかく仲良くなれたのに。それに、私から魔法を習って強くなれたって喜んでいたじゃん。片腕はなくなっちゃったけど、もっと魔法の腕を磨いてAランクの冒険者を目指すって言ってたじゃん。
「……ぐぎ……ぎぎぎぃ……! はや……く……パー……ル……! もう……じ……かん……な……」
『パール……残念だが、あいつの言う通りかもしれねぇ。悪魔との契約には代償がつきものだ。もうすぐあいつの自我は完全に失われ、ただの厄介な敵になっちまう……』
止めどなく流れ落ちる涙を、服の袖で乱暴に拭ったパールはこれでもかと強く奥歯を噛みしめた。こんなことって……。こんなことって……!!
「いぎぎぃ……! いでぇ……も……げん……か……パ……ル……はや……く……」
『パール! あいつはもう限界だ! それにずっと苦しんでる! もう終わらせてやろう……!』
「マオ君……!」
もう一度涙を拭ったパールが、眼前に複数の魔法陣を展開させた。そのまま魔力を練ってゆく。展開しているすべての魔法陣が怪しい光を放つ。
もういつでも魔導砲は撃てる。今、マオ君に一斉砲撃を喰らわせれば、きっと彼はひとたまりもないだろう。
「……さようなら……マオ君……」
完全に自我をなくし、パールへ魔法を放とうとするマオ。が、それより早く、パールが魔導砲の全砲門を一斉に開こうとする。これで勝負はつくはずだった。
『私は別に楽なんてさせてもらわなくていいの。この子さえ元気でいてくれれば……それで……』
満身創痍の体で診療所のベッドに横たわるマオ。そのすぐそばで、沈痛な表情を浮かべながら大粒の涙を流していた母親の姿と言葉がパールの脳裏をよぎる。
「やっぱり、できないよぉ……」
再び大きな瞳から涙があふれ、展開していた魔法陣もすべて消失した。その隙を逃さず、自我を失ったマオが無詠唱で強力な魔法を放つ。戦意を喪失してしまったパールに、もはやそれを回避する術はない。
小さな体に高威力の魔法が直撃し、儚く可憐な少女はその短い生涯を終えた。かに見えたのだが――
「あ……あれ……?」
死を覚悟し目を伏せたパールだったが、何事もないことに戸惑ってしまう。ん? あれ、飛翔魔法使っていないのに空に浮いてる? それに、何だかほっぺに柔らかいものが……。
恐る恐る目を開くパール。今、彼女は誰かに片手で抱かれたまま宙に浮いていた。こ、この感触……まさか……!
「ちょっと、パール。あの程度の相手に何してるのよ?」
「お、お姉ちゃん!?」
そう、間一髪パールを救い出したのは、彼女の姉であり、真祖アンジェリカ・ブラド・クインシーの忠実なるメイドにして眷属、アリア・バートンである。
「どど、どうしてお姉ちゃんがここにいるの!?」
「まあ、ちょっとね。あ、私だけじゃないわよ?」
アリアが指さしたほうを見やる。散々傷めつけたキラやミヤビへ、今まさにとどめをさそうとしている悪魔族の前に、初老の執事が立ちはだかっていた。
「フェルさんも!」
会っていないのはわずか数日だったにもかかわらず、とても懐かしい気がする。
「それよりパール。これはいったいどういうことなの?」