第百六十三話 明確な殺意
パールから魔法の指導を受けたマオが診療所に担ぎ込まれた。自分のせいだと自らを責めるパールは、マオを害した者へ報復すべく動き始める。
テーブルの上に所狭しと並べられた酒のボトルに料理。まだ明るいうちだというのに、Bランク冒険者ガラとその一味は宴会の真っ只中であった。
ここはハノイの北、街はずれにある廃工場。もともと繊維工場だった建物は、現在所有者がいないため行政も勝手に処分できず、ガラたちの拠点となっていた。がらんどうになった工場内に、ガラたちの下卑た笑い声が響き渡る。
「それにしてもお頭、さっきは傑作でしたね~」
顔を赤らめた男が、酒の入ったグラスを片手にガラへ媚びるような顔を向ける。
「ん? ああ、あのガキか。いっちょ前に魔法なんざ使いやがるから、ついやりすぎちまったな。ククク……」
「まあ、あんだけ傷めつけりゃ、もう変な気起こすこともないでしょうよ。ていうか、もう死んでるかもしれねぇけど」
「違いねぇ」
ぎゃははは、と再度笑い声が響き渡ったそのとき――
とんでもない爆音とともに、工場への入り口付近の壁が吹き飛んだ。砕けた外壁のがれきが内部に飛散し、粉塵が舞いあがる。
「な、何だ!?」
驚き席を蹴った一同が、警戒しながら入り口付近に目を凝らす。いきなり壁が爆ぜるなどただ事ではない。
「な……何だありゃ……」
粉塵のなかから現れたのは、一人の少女。ただの少女でないことは、誰の目にも明らかだった。十歳にも満たぬであろう少女は、可憐な見た目に反し恐ろしく禍々しい魔力を纏っている。
しかも、少女の体を囲むように展開された複数の魔法陣が、彼女を中心にゆっくりと回転していた。尋常ではない魔力量と、こちらへ向けられている明確な殺意。何もかも異様な襲撃者を目の当たりにし、ガラたちがゴクリと喉を鳴らす。
襲撃者の名はパール。真祖アンジェリカ・ブラド・クインシーを母にもつAランク冒険者である。
「だ、誰だてめぇ……ここにいったい何の――」
パールがスッと手のひらを前方へ突き出す。彼女の周りをゆっくりと回転していた魔法陣が素早く前方へ横並びに展開した。
「『……魔導砲』」
問答無用、と言わんばかりに放たれた魔法。すべての魔法陣が眩しい光を帯びた次の瞬間、全魔法陣から高威力の閃光が一斉に放たれる。
廃工場内にいくつもの短い悲鳴が響いた。咄嗟に地面へ突っ伏して危機を逃れたガラが、恐る恐る顔をあげて周囲に意識を巡らせる。
「……い、いてぇ……! いてぇよお……!」
「ご、ごぼっ……ぐうう……な、何でこんなこと……!」
「うわあああ!! お、俺の足が……足があああ!」
ガラは戦慄した。十名近くいた仲間たちは、魔法の直撃を受けて地面をのたうちまわっている。胸や足を押さえて苦悶の表情を浮かべる者もいれば、涙を流しながら地面を転げまわっている者もいた。
な、何だこれは……!? いったいなぜこんなことに……!? あいつは何なんだ……!? 地面に伏せたまま混乱するガラが、気配を感じてハッと顔をあげる。
目の前には、先ほどの少女が立っていた。全身の毛が総立つほどの冷たい視線を向けられ、ガラは「ヒィッ!」と短い悲鳴をあげて後ずさる。
「……マオ君の腕を斬ったのはあなたですか?」
血まで凍ってしまいそうなほど、冷たい声を発したパール。尻もちをついたまま後ずさりしたガラの口が、金魚のようにパクパクと動いている。
「質問に答えてください」
「あ、ああ……俺だ……でも、あれは正々堂々と勝負したうえで――」
「そうですか」
無感情に答えたパールは、背中からすらりと抜いた魔剣を振りかざすと、ガラの肩口を一閃した。右腕がぼとりと地面へ落ち、肩口から勢いよく鮮血が噴きだす。
「ぎゃああああああああ!!」
痛みで地面を転げまわるガラを、パールは底冷えしそうなほど冷たい目で眺める。
「な、何でこんなこと……! いてぇ……いてぇよ……!」
仰向けになり、ぜぇぜぇと息を荒くするガラのそばに立ったパールは、魔剣をその喉元に突きつけた。
「い、イヤだ……た、助けてくれ……何でもするから……そうだ、ここにある金も全部あげるから……だから……」
パールは表情ひとつ変えず、魔剣の切っ先をガラの喉にぷつりと突き刺した。ちくりとした痛みを感じ、ガラの体がビクッと跳ねる。
「……一生懸命に生きようとする者の身と心を踏みにじる……あなたはこの世に生きていてはいけない人です」
首元へあてがっている魔剣に、少しずつ力を加えていくパール。
「い、イヤだ……助けて……」
涙ながらに懇願するガラを見つめるパールの目は、どこまでも冷たかった。
『……パール、もうよせ。これ以上やると本当に殺してしまうぞ?』
大きな瞳をぎょろりと動かしたケンがパールを諫めるように話しかける。普通なら、喋る剣に誰もが驚くところではあるが、今のガラはそれどころではない。
「……こんな人は死ぬべき」
ぼそりと呟いたパールは、ケンを握る手にグッと力を込める。
『やめるんだ、パール! こいつはたしかにクソ野郎かもしれねぇが、魔物でも魔族でもないんだ!』
「……」
パールの表情が一瞬強張る。だが、いまだ魔剣はガラの首に突きつけたままだ。と、そのとき――
「パールちゃん!」
「パール嬢!」
何者かが工場内に駆け込んできて、パールに大声で呼びかける。診療所から慌てて飛んできたキラとミヤビ、アリサだ。
サッと工場内に視線を巡らせたキラは、とりあえず誰も死んでいないことに胸をなでおろす。が、見るからに重傷の者もいる。人死にを出すわけにはいかない、早く何とかしないと――
「パールちゃん……パールちゃんの怒りや悔しさはよく理解できる。でも、それ以上はダメだよ……」
背後から声をかけられても、パールは微動だにしない。冷たい目でガラを見下ろしたままケンを突きつけている。
「パール嬢がそいつらを許せない気持ちはよく分かる。あたいだって同じだ。でも、今パール嬢がそいつをなぶり殺しにしたら、パール嬢もそいつらと同じになっちまう……そいつには何かしらの形で落とし前をつけさせるから、この場は引いてくれないか……」
ミヤビの言葉を聞いても、パールはケンをおろさない。が、ケンを握る手は小刻みに震えていた。それはまるで、葛藤しているように見えた。
「パールちゃん……!」
依然として冷たい目でガラを見据えていたパールが、悔しそうに下唇を噛む。こんな奴、死んで当然なのに。そうだ、死んで当然なんだ。柄を握る右手にグッと力を入れたパールだったが――
ケンをそっとおろし、そのまま背中の鞘へと納めた。殺されずに済んで安堵したのか、ガラは意識を失い白目をむく。
パールは少しのあいだ、倒れたガラを睨みつけていたが、やがて大きく深呼吸をし始めた。あの禍々しかった殺気混じりの魔力も今は収まっている。パールはガラを一瞥すると踵を返し、キラとミヤビのそばへ歩みを寄せた。
「私……マオ君のところへ行く。ギルドマスターさんにはあとで報告するから」
そう口にしてパールは廃工場をあとにした。去っていくパールの後ろ姿を見やり、深くため息を吐くキラとミヤビ。
「はぁ……パールちゃんが誰も殺さなくてとりあえずよかった……」
「ああ……だが……」
倒れているガラの取り巻き連中のそばへ近寄ったミヤビが、眉を顰める。
「内蔵や骨をやられている奴もいそうだな。死んじまわないうちに、最低限の治癒魔法だけかけとくか……」
「衛兵に突き出さなくていいの?」
「そうなると、パール嬢のことも説明しなくちゃいけなくなる」
「なるほど。こいつらが衛兵に訴えるって可能性は?」
「それもないと思う。もともと非があるのはこいつらだし、あんな小さな女の子に半殺しにされたなんて、恥ずかしくて言えないでしょうよ」
「たしかにそうね」
こうして、三人は倒れて唸り続けているガラの一味に、死なない程度の治癒魔法をかけ始めた。腹を押さえてうずくまる一人の男へ治癒魔法をかけながら、キラは先ほどのパールを思い出す。
今までパールちゃんが怒りを露わにすることは何度かあった。教会聖騎士に攫われそうになったとき、エルフがアルディアスさんを襲撃したとき。だが、それでも殺気を纏うようなことは一度もなかった。
あそこで止めなければ、パールちゃんは間違いなくガラを殺していたはずだ。今回、たまたま怒りが頂点に達しただけなのだろうか。何と言うか……さっきのパールちゃんは怖かった――
「屋敷へ戻ったら、お師匠様にも報告しないといけないわよね……」
再度ため息を吐いたキラは、最低限の治癒魔法をかけた男の頭を平手でぺしっと叩くと、別の男を治療するため立ちあがった。
――どこまでも静謐な白い空間に座する一人の女性。目を閉じたまま物思いにふけっていた女性は、背後に気配を感じ瞳を開いた。
「……報告かしら?」
「はい」
近寄ってきた側近がそっと耳打ちする。その報告内容を聞いた女性は、訝しげな表情を浮かべた。
「……まさか、トリガーが起動したというの?」
「いえ、そうではないようです」
「そう……」
何やら考え込むような仕草を見せる女性。その美しい横顔に、思わず側近は胸が高まった。
「かの一族は?」
「は。いよいよ当主自ら行動を開始しました。すでに何人かの七禍が手にかけられたようです」
「そう。では、私までたどり着くのは時間の問題かもね」
「……そうでしょうか? 七禍には精神干渉をしていたのでは?」
「曲がりなりにも悪魔族を統治する七禍よ? すべての者に精神干渉はできなかったわ。怠惰を司るベルフェゴールには容易だったけどね」
ふふ、といたずらっぽい笑顔を浮かべる美女。
「でも、私にたどり着いたところで何の問題もないわ。たとえ、あの一族の当主が動いたとしてもね」
「では、計画はこのまま?」
「ええ。このまま見守りましょ。仮にトリガーが起動しなかったとしても、いずれそのときは必ず来るのだから」
ぞっとするような笑みを携えた美女は、真っ白な空間のなか愉快そうにクルクルと踊り始めた。