第百六十一話 朝から揉めごと
聖域攻略のため特別パーティーのメンバーを増員することに。ギルドマスターのヒュースと冒険者ミヤビで追加メンバーを選定することになった。一方、悪魔族の拠点を急襲したヘルガは内部で研究室らしき部屋を発見。真祖サイファは七禍の一柱であるマモンの捕獲に成功する。
あれ、ここってどこだっけ? ベッドの上で目を覚ましたパールは、寝ぼけまなこで周りを見まわした。
「あ、そっか。私ハノイにいるんだった」
目を擦りつつ、んーーっと伸びをする。カーテンのすき間からは朝陽が差し込み、小気味よい小鳥のさえずりも聞こえる。すっかり朝のようだ。
パールたちが宿泊しているのは、ハノイでもかなりランクの高い宿である。ハノイ冒険者ギルドのマスター、ヒュースが気を遣ってくれたのだ。
細部にまで意匠を凝らした調度品がいくつも配置された部屋は広々としており、壁には美しい絵画も飾られている。
パールは、隣のベッドでいまだ眠っているキラに目を向けた。この部屋はダブルベッドなので、二人は別々に寝ている。
そうか、ベッドがやたら広く感じたのはそのせいか。いつもはママと一緒に寝ているもんね。ベッドが広々としているのはいいけど、やっぱりママがいないのは少し寂しいなぁ。
半身を起こしたパールは、わずかに寂しさを覚え小さくため息を吐く。今日で三日かぁ……。ママには早ければ三日で帰るって言ってあるし、あまり長引かせると心配するよね。それに、ママも寂しくなっているかも……いや、ママは大人だからそれはないか。
すでにアンジェリカが寂しくて発狂寸前なのをパールは知らない。
パールはベッドを降りると、寝ているキラのそばにそっと近づく。昨夜、ミヤビたちと地元のお酒をたらふく酌み交わしていたためか、キラはまだ熟睡しているようだ。
「キラちゃーん、朝だよ。ご飯食べてギルドへ行かなきゃ」
体をゆするが反応は鈍い。んーー、と唸りながら毛布にくるまってしまった。
「キラちゃん、そろそろ起きなきゃ。起きないといたずらしちゃうよ?」
「んーー……あと五分……」
はぁ、とため息を吐いたパールは、足元の毛布をそっとめくり――
「『雷撃』」
キラの白くすらりとした足に手を触れ、相当威力を落とした雷の魔法を放った。
「いったあああああああい!!」
気持ちよく眠っているところ、いきなり足に電流を流されベッドから跳ね起きるキラ。
「な、なな……何てことするのよパールちゃん……」
若干涙目になっているキラに苦笑いしつつ、パールは「朝ですよー」と着替えを手渡した。
「んもう~……パールちゃん、やることがだんだんお師匠様に似てきたんだから……」
「そりゃ、ママの娘だからね」
すっかり目が覚めた、いや、覚まさざるを得なくなったキラがのろのろと着替え始める。その後、着替えを終えた二人は一階の食事処で簡単に朝食を済ませ、ギルドへと向かった。
――さまざまな地方から冒険者が集まるハノイの冒険者ギルドは、朝から活気に満ちあふれている。朝の時間帯がもっとも活気づくのは、どこのギルドでも同じなのだが、それにしても今朝は騒がしすぎる気がした。
「……何かあったのかな?」
「うん。あそこ、人だかりができているね」
ギルドへ足を踏み入れたパールとキラの目に飛び込んできたのは、ホールの一角にできている人だかり。何事かと近づいてみると――
「――だからって、殴りつけるこたぁねぇだろうが!」
人垣のすき間を縫って覗いた先では、顔を憤怒の色に染めたミヤビが男の冒険者を睨みつけていた。その足元には、男の子が尻もちをついて頬を押さえている。
「おいおい、悪いのは俺たちか? このガキがあまりにもしつこいからだろうが。なあ、お前ら?」
スキンヘッドでがっしりとした体躯の男が、ニヤニヤと厭らしい表情を浮かべる。
「ああ、お頭の言う通りだ」
スキンヘッドの仲間であろう数人の男が、同意するように頷く。
「ふざけんな! そもそも、ここハノイでは冒険者同士の私闘や暴力沙汰はご法度だ! それに、子ども相手に手ぇあげるなんざ、どこまで腐ってやがる!」
激高したミヤビが詰め寄ろうとするが――
「ミ、ミヤビさん! もういいから! 騒ぎになったらミヤビさんにも迷惑がかかっちまう……!」
倒れていた少年がミヤビの足を掴む。
「くっ……!」
怒りと悔しさで歯噛みするミヤビを尻目に、スキンヘッドの男はやれやれといった表情を浮かべた。
「ふん……まあ、あんたらとは共闘する仲だ。俺たちだってこれ以上騒ぎを大きくしたかねぇよ。おらっ! お前ら何見てやがる! 見せもんじゃねぇぞ! とっとと道をあけろ!」
スキンヘッドの男は倒れた少年を一瞥すると、見物していた冒険者たちを追い払うようにしながらギルドを出ていった。
「ミヤビちゃん、大丈夫?」
駆け寄ってきたパールに気づいたミヤビが、大きく深呼吸した。何とか平常心を取り戻そうとしているのだろう。
「ああ……みっともねぇところ見せちまったな」
パールは、いまだ尻もちをついたままの少年に近づき、そばにしゃがみこんだ。
「多分、口のなかが切れてるね。ちょっとおとなしくしててね」
パールが少年の頬にそっと手を触れると、頬がぽおっと光を帯び始める。
「うん、これでよしっと。もう痛くないと思うけど」
「ほ、ほんとだ……。あ、ありがとう。君は……?」
「私はパール。リンドル冒険者ギルドから応援に来ているAランク冒険者だよ」
「え、Aランク!? 君いくつ……?」
「えーと、七歳ですね」
「す、凄いんだな……」
驚きを隠せない少年だが、その表情には少しばかりの悔しさが滲んでいた。一方、パールは目の前にいる少年が、先日カウンターで受付嬢に食い下がっていた少年、マオであることに気づいた。
「ねえ、ミヤビちゃん。いったい何があったの?」
すっくと立ちあがったパールがミヤビに視線を向ける。
「ああ……ちょっとあっちで話そう……」
パールとキラ、ミヤビ、マオは広々としたホールの一角に設置されているテーブルセットに向かう。
ミヤビの話によると、先ほど揉めていたスキンヘッドの男はガラという名のBランク冒険者らしい。もともと盗賊団のお頭だったという、いわくつきの冒険者とのこと。
実力こそAランク並みだが、素行の悪さがたたり昇格できないのだそう。今回、聖域を攻略して財宝を探すのに、盗賊あがりの能力が役立つだろうと考えたギルドマスターのヒュースが、特別パーティーのメンバーに加えたそうだ。
「ふーん。それで、どうしてさっきは揉めていたの?」
状況から見るに、マオがガラに殴られ、ミヤビが激高したのは何となく分かる。が、なぜそのようなことになったのか。
「それは……俺が特別パーティーのメンバーを代わってほしいって言ったから……」
マオが目を伏せたまま言葉を絞りだす。殴られた傷はもう治っているが、やはり悔しいのだろう。
「そう言えば、この前もカウンターで特別パーティーに入れてほしいって言っていたよね?」
パールが口にした言葉に、マオがそっと頷いた。
「俺は……どうしても特別パーティーに入りたいんだ。だから、ガラに頭を下げてお願いした。たしかに、ちょっとしつこかったかもしれないけど……」
肩を小さく震わせるマオの様子に、パールがミヤビをちらりと見る。
「いくらしつこいからって、子どもをいきなり殴りつけるなんてありえねぇ! そんな奴をあたいは誇り高きハノイの冒険者なんて認めない! あのくそったれ……!」
いや、私がここ来たばかりのとき、いきなり訓練場でお仕置きしてやるー、ってなったよね? とはさすがにパールも言わない。空気が読める娘である。
「そもそも、君はどうしてそこまで特別パーティーに入りたいんだ?」
マオに目を向けたキラが、率直な疑問をぶつけた。
「……母さんに、少しでも楽をさせてやりたいんだ……うちは父親がいないから……」
「なるほど、特別パーティーが聖域を攻略した暁には、取得した財宝の一部が報酬として支給される。それが目的か」
「ああ……何としてもお宝を手に入れて、母さんを楽にしてあげたかったんだ……」
キラもミヤビも、極貧の生活を経験したことがあるのであろう。マオの気持ちは痛いほど理解できたようだった。
一方、パールはお金で苦労したことがまったくない。はっきりと聞いたことはないが、アンジェリカは相当なお金持ちであるうえに、パール自身も冒険者としてかなりの稼ぎがある。父親がいなくてお金に苦労する、というのもパールには共感できなかった。
それでも、マオが母親を助けたいという気持ちは十分理解できた。が、いかんせんこればかりはどうしようもない。たしか、以前聞いた話によるとマオはまだDランカーだったはず。
聖域へ連れて行ったところで戦力になるとは思えない。でも、何かしら力にはなってあげたい。パールは少しのあいだ考え込んでいたのだが――
「ねえ、マオ君は魔法使いなの?」
「え? ああ、俺は魔法と剣どちらも使ってる」
「そうなんだ。じゃあ私と同じだね。特別パーティーに入るのは難しいかもだけど、魔法を鍛えればこれからもっと難易度の高い案件を受けられるようになると思うんだ。私、今日は時間があるから魔法を教えようか?」
特別パーティーに加わる新たなメンバーの準備があるため、聖域へ向かうのは明日か明後日だ。今日一日は時間を自由に使える。
「い、いいのか!?」
「うん。私、リンドルの冒険者ギルドで指導員をやった経験もあるから、教えるの得意だし!」
椅子から立ち上がったパールが、ふんすと胸を張る。
「ええ……パール嬢そんなことまでやってたのか……? どんだけ規格外なんだよ……」
「でも、実際パールちゃんのおかげで、リンドルの冒険者たちはかなり強くなったのよ?」
ふふん、と自慢げに語るキラを見て、マオとミヤビがごくりと喉を鳴らす。
「一日じゃ教えられることは少ないかもだけど、やる? マオ君?」
「ああ! よろしく頼むよ、パール!」
勢いよく立ち上がったマオがパールの手をとる。が、恥ずかしくなったのか、顔を赤らめてパッと手を放した。その様子をニヨニヨと眺めるミヤビ。
二人は、キラとミヤビを置き去りにしたまま、元気に訓練場へと駆けていった。