第百五十七話 いざ聖域へ
まさか、またここを使う日が来るとは思ってもみなかった。かつては、暇をつぶすのによくここへ籠ったものだ。
真祖サイファ・ブラド・クインシーは、地下へと延びる石造りの階段を進みながら、遥か過去へと思いを馳せた。地下へと降り立ち、金属製の重厚な扉を開くと、たちまちひんやりとした冷気が肌にまとわりついてくる。
「何か吐いたか?」
視線の先には、布で手を拭っているヘルガの姿。足元には緑と紫を合わせたような、何とも言いようのない色の液体がぶちまけられている。
「は、父上様。ただ、どうにも要領を得ないというか……」
ヘルガの背後に見える椅子には、全身を気味の悪い血で染めた悪魔族が座らされていた。両手は椅子のひじ掛けに縛られ、足は膝から下が切断されている。
椅子に座らされている悪魔族の名は、ベルフェゴール。悪魔族の頂点に立つ七禍の一名である。
「痛めつけすぎたのか?」
「いえ、そうではありません。もともと、精神に強い干渉を受けていたようなのです」
「ほう……」
サイファの瞳がぎらりと冷たく光る。ヘルガの脇を通り、ベルフェゴールの前に立ったサイファは、髪の毛を掴んでその顔を拝んだ。
拷問のあととはいえ、瞳に生気がない。先日、拠点を急襲して捕縛したときにも感じたが、七禍とはこの程度のものなのだろうか。
「ぐぎ……ぎぎ……ぎ……」
不気味な唸り声をあげるベルフェゴールを、サイファは冷たい瞳で見据える。
「父上様。拷問の続きなら私が……」
「いや、精神に強い干渉を受けているのなら、拷問をしたところでまともな情報は吐かんだろう」
「では……始末しますか?」
ヘルガがスッとサイファの横に並び立つ。
「まだだ」
ベルフェゴールを見据えているサイファの瞳が、より紅く染まった。
「喋れないのなら、無理やり頭のなかと心の深淵を覗き見るまでよ」
サイファの紅い瞳が強く輝いた。途端に、ベルフェゴールの思考と心の内がサイファのなかへと流れ込む。
「ふむ……」
二、三分ほどベルフェゴールの内面を覗き見たサイファは、にわかに眉を顰めた。
「何か分かりましたか、父上様」
「……ああ。こやつの記憶から、一つ気になる場所を見つけた。アンジェとどう関わりがあるのかは分からぬが……あと、悪魔どもの背後にいる者を探ろうと思ったのだが、強力なプロテクトがかけられていたため無理だった」
「何と……父上様でも無理とは……」
驚愕するヘルガに対し、サイファはフッと微かな笑みを漏らす。
「よほど正体を探られたくない者のようだな。まあよい。ヘルガ、こやつはもう用済みだ。処分して構わぬ」
「分かりました」
踵を返して地下室を出ていくサイファを見送ると、ヘルガは再びベルフェゴールの前に立った。その表情はどこか晴れない。
「……すまんな、フェルナンデス。こいつを一番殺したかったのはお前だというのに」
かつての戦場で、フェルナンデスはこいつの卑怯な策によって窮地に立たされた。それを救ったのが妹のアンジェリカだ。
アンジェは見事フェルナンデスの救出には成功したが、ベルフェゴールの執拗な攻撃を受けて手傷を負った。あれ以来、フェルナンデスはずっとベルフェゴールを探しまわっていたはずだ。その手で落とし前をつけるために。
「……直接手にかけたかっただろうな。許せ、フェルナンデス」
椅子にくくりつけられたベルフェゴールの横に立ったヘルガが、その首元へ手刀を一閃させると、ゆっくりと首が胴から離れ床にゴロリと転がった。
――パールたちがハノイ冒険者ギルドへ到着した翌日。パールとキラは、ハノイの冒険者たちと特別パーティーを組んで聖域へと向かっていた。総勢十五名の大所帯である。
「へえ。それじゃ、パール嬢は学園に通いながら冒険者稼業もやってるのか」
「うん、そうだよー」
「でも、それだけ強けりゃ学園で学ぶことなんて何もないだろう?」
すっかり打ち解けたミヤビが、元気に隣を歩いているパールへ怪訝な目を向ける。
「ちなみに、パールちゃんは学園の編入試験で満点をとり、実技試験でも大暴れして伝説になっている」
ミヤビとは反対側でパールの隣を歩くキラが、なぜか自慢げに言い放った。
「マジかよ。すげぇな……いったいどうしたらそんなバケモンに育つんだよ……」
大きなため息を吐くミヤビの後ろでは、パーティーメンバーのルイとアリサがうんうんと頷いている。同じ女性ということもあり、パールの強さには興味津々のようだ。
「ミヤビちゃんはどうして冒険者になったの?」
「あたい? うーん、もともと子どものころから興味はあったんだよ。ハノイは冒険者発祥の地って言われてるしな。でも直接的なきっかけは……」
「きっかけは?」
「……あたいが十歳かそこいらのときかな。街で何人かのチンピラに絡まれたことがあってよ。あたいもこんな性格だから、相手は大人なのに突っかかっちゃって。ぼっこぼこにされたんだわ」
「子ども相手に!? しかも女の子なのに!?」
思わず声をあげるパール。そんな酷いことする人、絶対に許せないよ! ぷんぷんと聞こえてきそうな勢いで怒り始める。
「はは……まあろくでなしのチンピラなんてそんなもんさ。で、このままじゃ命に関わるかも、ってときに、たまたま通りかかった人が助けてくれたんだ」
遠い目をするミヤビ。
「ほんと、凄かったよ。チンピラどもをあっという間にのしちまってさ。お嬢ちゃん、大丈夫かいって治癒魔法までかけてくれたんだ」
「へぇ~、素敵な人だね!」
「ああ。本当に素敵な紳士だった。その人はすぐに立ち去ったけど、いつかあの人みたいに強くなりたい、いずれ会えたときに強くなった姿を見てほしい、って思って冒険者になったんだ」
ほんのり頬を赤く染めながら話すミヤビに、キラがニヨニヨとした笑みを浮かべる。
「な、何だよキラの姐御。そんなニヤニヤして……」
「別にー。お嬢ちゃんの初恋話は初々しいなって思っただけよ」
「ひ、酷ぇ……てか、初恋とかじゃねぇし!」
そんなこんなで、会話しつつ道中を進み、いよいよ聖域への入り口までやってきた特別パーティーの一行。
両側を岩山に囲まれた細い道。前回、ミヤビたちはここを進んでいるとき、激しい投石を喰らって退散したとのこと。
「うーん……これは、進むか引くかしかできないね」
周りをきょろきょろと見回しながら一人ごちるパール。道幅は約三メートル前後だが、先がどうなっているのかは分からない。
「とりあえず、私とパールちゃん、ミヤビたちが前衛で進んだほうがよさそうだ。で、攻撃されたら魔法盾を展開しつつ進めばいいんじゃないかな」
キラの提案に、ミヤビたちが黙って頷く。前回のことがあるだけに、ミヤビとそのパーティーメンバーは一様に表情が曇っている。
「じゃあ進もうか。魔法盾を展開できる者は前衛で、それ以外は後ろに。後列を守りつつ一気に聖域まで突っ走っちゃおう」
「分かった、キラの姉御。おい、てめぇら! ハノイの冒険者の意地、見せてやろうぜ!」
ミヤビが飛ばした檄に、全員が「おう!」と勇ましく声をあげた。キラとパール、ミヤビ、アリサの四人が前列となり、やや早歩きで歩を進める。
「キラの姉御。もうすぐで前回あたいらがやられたところだ」
緊張した面持ちのミヤビが口を開き、キラとパールが軽く頷いた。歩く速度を変えずに、ミヤビたちが攻撃を受けた場所へと近づいていく。
「……何も起きないね?」
拍子抜けしたような表情を浮かべるパール。と、そのとき――
前方から、ごおっと唸りをあげながら何かが迫ってきた。石つぶて、などというかわいらしいものではない。直径二十センチほどはあろうかという、岩の塊が凄まじい速さで迫るのをパールは確認した。
「『魔法盾』!」
素早く魔法盾を展開する。飛来した岩の塊が、ゴンッと鈍い音を立てて弾き返された。
「パール嬢! まだ来るぞ! 『魔法盾』!」
前回、ミヤビたちは次々と投げつけられる石に傷つけられ敗走する羽目になった。そのときの経験が活きている。
「分かった! ミヤビちゃん、魔法盾を張ったまま走れる!?」
「あ、ああ! 多分大丈夫だ!」
「じゃあ、私先に行くから、魔法盾を張りながらしっかりついてきてね! 『魔力装甲』×三」
魔法盾よりもさらに堅牢な魔力の装甲を三枚も顕現させたパールは、そのまま勢いよく走りだした。
「ちょ、マジかよ! 魔力装甲を三枚も顕現させてしかも動きまわれるとか……!」
「し、信じられない……!」
唖然とした表情を浮かべるミヤビとアリサ。改めて、パールの規格外な強さを目の当たりにさせられ嘆息する。
「呆けてる場合じゃないよ! 私たちも急ごう!」
キラに促され、ハッとする二人。一方、キラはパールが一人で突っ走り、ケガでもした日にはシャレにならないと内心ドキドキしていた。
前方から次々と投擲される岩を、パールの魔力装甲がすべて弾いていく。おかげで後列は誰も傷ついていない。
相変わらず投石の勢いは衰えないものの、次第に道が広くなってきた。聖域が近い。古くから語り継がれてきた聖域へ近づきつつあることに、ミヤビたちの胸が高まる。
聖域とはいったいどのような場所なのか。守護者とはいったいどのような者なのか。期待と不安が入り交じる。
と、五十メートルほど先を走っていたパールが突然立ち止まった。同時に、投石も止んだようだ。
岩山に挟まれた道を抜けた先、そこには開けた場所があった。開けてはいるものの、周囲は高い岩山に囲まれており、ところどころに土が高く盛られている。
「パールちゃん!」
追いついたキラがパールに声をかける。が、パールは前方を見据えたままだ。いったい何が……!?
パールが視線を向ける先。そこには、愛らしい顔立ちをした黒髪の少女が立っていた。