第百五十六話 雨降って地固まった
大人げないとは思ったが、本気で叩きのめしてやろうと思った。誰をって? リンドルからやってきたとかいう金髪のガキだよ。
ギルマスの協力要請でやってきた金髪のガキは、誇り高きハノイの冒険者を愚弄しやがった。あとで多少問題にはなるかもしれねぇが、あたいは本気でぼっこぼこにしてやるつもりだった。
ところがどっこい。戦いが始まってみりゃ、手も足も出ずぼっこぼこにされたのはこっちだった。パーティーメンバ―全員で挑んだってのに、あっという間に返り討ち。
魔力で強化した体で魔剣を振り回したかと思えば、魔法陣の複数同時展開からの独自魔法攻撃。あんなの、今までの人生で一度も見たことがない。
正直、死ぬかと思った。が、あたいは生きている。というより、メンバー全員誰も致命傷は負っていない。それもそのはずで――
「はい、治療終わりましたよー」
「ん……んん……?」
ハノイ冒険者ギルドの冷たい訓練場に横たわっていたゾフィーが、ゆっくりと目を開く。まず目に飛び込んできたのは、先ほどまで戦闘を繰り広げていた金髪の少女。そして、心配そうにのぞき込むミヤビをはじめとしたメンバーたち。
パールの魔導砲をまともに喰らったミヤビたちは、その場で意識を失った。そのままでは話もできないので、パールが聖女の力を行使して治療をしたのである。
ただでさえパールの強さに驚いていたミヤビたちだが、不思議な治癒の力を行使する姿にさらに驚かされた。
「お、おい……それって魔法じゃないのか……?」
恐る恐る尋ねるミヤビを振り返ったパールは、手袋を外して聖女の紋章を見せた。
「私、こういう者なんです」
手の甲に浮かびあがる星型の紋章。紛れもない聖女の紋章を目の当たりにし、ミヤビたちの顔が再度驚愕に染まる。
「ま、まさか、そんな……本物の聖女様……?」
絞りだすように言葉を吐いたのは、幼い顔立ちが印象的な治癒士のルイ。パールを見るその瞳には、羨望の色がありありと浮かんでいる。
「まあ一応本物です。あ、でもいろいろと面倒くさいので、あまり言いふらさないでもらえると助かります」
じゃあどうして言ったんだ、と思わずツッコミそうになったミヤビだが、そこはグッと言葉を吞み込んだ。
「申し訳なかった」
パーティーメンバー全員の治療を終えたパールに、ミヤビが真っ先に頭を下げた。その姿を見たメンバーたちも、次々と腰を折る。
「あたいらは、ハノイの冒険者こそ真の冒険者だと思ってる。それは今でも変わりない。でも、だからといって強者に敬意を払えないほどバカではない。どうか謝罪と敬意を受けとってほしい」
もう一波乱くらいあるだろうと予想していたパールだが、ミヤビが思いのほかあっさりと謝罪したことに拍子抜けしてしまう。いつの間にかそばに来ていたキラも呆れ顔だ。
「まあ……謝ってくれたのならもういいです。キラちゃんにも謝ってくださいね。キラちゃんはSランカーで、私よりもっと強いんですから」
パールの言葉に顔が強張るミヤビたち。恐ろしいほどの強さを誇る少女が、自分よりもさらに強いと認めるキラに、ミヤビたちが恐る恐る視線を向ける。
なお、キラが「いや、もうパールちゃんのほうが強いから!」と内心ツッコんでいたのはここだけの話。
とりあえず、雨降って地は固まった。ミヤビ一行とパール、キラはホールへと移動し、今後のことについて話し合うことになった。
「……というわけで、あたいらは聖域に向かったはいいものの、何ひとついいところなくやられて帰ってきたってわけだ」
ミヤビが自嘲気味に話すと、ゾフィーをはじめとしたメンバー全員が目を伏せた。屈辱的な敗走を思い出したようだ。
「敵の正体もまったく分からないってこと?」
「ああ……情けねぇが、まったく分からねぇ。まあ、人間じゃねぇのは間違いないだろうけどな」
と、ミヤビと会話していたキラは、パールがホールの一角を見つめていることに気づく。
「パールちゃん、どうかした?」
「ねえ、キラちゃん……」
「う、うん……?」
「ここのギルドって、売店があるみたいだよ?」
思わず椅子からずり落ちそうになる一同。
「あ、ああ。ハノイのギルドは規模が大きいし、在籍している冒険者も多いからな。食べ物や飲み物の売店も併設してるんだよ」
「すごい! 私ちょっと行ってくる!」
ミヤビの説明を聞いたパールは、椅子からぴょんと飛び降りると一目散に売店へ向かって走っていった。
「えええ……パールちゃんまだ何か食べる気……? ほんとあの小さな体のどこに入るんだろ……」
若干引き気味のキラ。ミヤビたちも、ギルドに入ってきたときのパールが両手に肉の串をもっていたのを思い出す。
「人間離れした強さなのに、ああいうところは年相応なんだな……」
ぼそりと呟いたミヤビに対し、メンバー全員がうんうんと頷く。すっかり、パールに対する悪感情はなくなっているようだ。
数分後、何種類かの焼き菓子を購入したパールは、テーブルへ戻ってくるなりはむはむと食べ始めた。その様子に全員が苦笑いを浮かべる。と、そこへ――
「お願いだよ! 俺も聖域攻略の特別パーティーに入れてくれ!」
カウンターのほうから喚くような声が聞こえ、パールたち全員が顔を向ける。十代前半だろうか。カウンターでは、少年が真剣な様子で受付嬢に詰め寄っていた。
「ええと……あのね、特別パーティーのメンバーはギルマスが決めるの。それに、ランクと実績で決めるから、あなたじゃ入るのは難しいんじゃないかな……」
対応している若い受付嬢は戸惑い顔だ。
「俺だって、Dランカーだしそれなりの実績もある! 何でもするから入れてくれよ!」
「うーん……そう言われてもねぇ……」
対応しかねると感じたのか、受付嬢はほかの職員を呼びに席を立った。悔しそうな表情を浮かべる少年。
「あのお兄さんは?」
焼き菓子を頬張りながらミヤビに質問するパール。
「ああ……マオか。まだDランカーだが、やる気のあるいい少年だ。あんなふうにちょっと暴走することもあるけどな」
「ふうん……」
カウンターから動こうとしないマオをじっと見つめるパール。その必死な様子からは、何かしらの事情がありそうだと感じた。
――相変わらずじめじめとした陰鬱な部屋だ。悪魔侯爵ドラゴは、思わずため息を吐きそうになった。
「ドラゴ、ただいま参上しました」
薄暗い部屋の窓辺に腰かけている初老の男が、じろりとドラゴを見やる。男の名は悪魔公爵ロンメル。
「……上からの指令だ。アイオンの首都ハノイにある聖域へ向かえ」
「ハノイの聖域……? かねてより財宝の噂があるあの聖域ですか?」
「そうだ」
「まさか、私に財宝を盗ってこいと……?」
眉を顰めるドラゴに、ロンメルの冷たい視線が突き刺さる。底冷えしそうな視線に、ドラゴは思わず身じろぎした。
「……詳細は不明だ。上からは聖域へ行けとしか言われておらぬ」
「……ますます意味不明ですね。行ってどうすればよいのです? それ以外の指示は?」
「それ以外の指示はない。というより、連絡が途絶えてしまったのだ」
ドラゴから視線を外したロンメルが、そっと目を伏せる。
「いったい……どういうことですか?」
「どうもこうもない。七禍のお一人であられるベルフェゴール様と連絡がつかなくなった」
ドラゴの顔が驚愕に染まる。
「そ、それは何故……?」
「分からぬ。しかも、ベルフェゴール様だけではない。配下の悪魔族、誰とも連絡がつかん」
バカな。そんなことがあり得るのだろうか。目を大きく見開いたまま体を硬直させるドラゴ。
「……すでに消された、もしくは攫われたという噂もある」
「バ、バカな……あり得ません、そんなこと。すべての悪魔を統治する七禍のお一人が消されるなど……」
「そうとも言い切れん」
そう、この世界にはそれを可能とする者が存在している。忌まわしき吸血鬼の真祖一族。
「かつて、真祖の娘はたった一人で三人の七禍を相手に戦闘を繰り広げたという」
ドラゴの顔が強張る。背中を嫌な汗が伝うのを感じた。
「だが、真に恐ろしいのはその娘ではない」
悪魔との戦争すらただの暇つぶし、その気になれば星と月の位置さえ動かすと言われた始まりの吸血鬼、サイファ・ブラド・クインシー。
だが、なぜ今さら真祖が自ら七禍に手を出すのか。その疑問は残る。かの者にとって、悪魔との諍いはただの退屈しのぎであり遊びにすぎない。
「ふぅ……頭が痛いな……」
ロマンスグレーの髪を後ろへ撫でつけながら、ロンメルがぼそりと呟く。
「もしかすると、ベルフェゴール様が自らの意思で地下に潜った、といった線もある。我々に聖域へ向かえと命じたことも、何かしら関連があるのやもしれん」
「た、たしかに……」
「あとで命令違反を問われないよう、我々は命じられたことを遂行するのみだ。行け」
「は……」
釈然としない気持ちのまま、ドラゴは踵を返し陰鬱な雰囲気漂う部屋をあとにした。