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第百五十三話 協力要請

思考を整理したいときはのんびりと散策するに限る。できることなら、ゆっくりと庭園を散策しながら思考をまとめたいと考えていたのだが、どうやらそれは難しいようだ。


「ヘルガ様。御当主様がお呼びです」


手に付着した紫色の薄汚い血を水で洗い流していたヘルガは、ハンカチで手を拭きながら背後を振り返った。


「ああ、今から報告に伺うところだった」


恭しく頭を下げたメイドへ、紫色に染まったハンカチを渡す。アリアの後釜としてヘルガのメイドとなったエミューは、一瞬嫌そうな顔をしながらもハンカチを受けとった。


「父上様はどこにおられる?」


「……またあちらに」


エミューがスッと目を伏せる様子で、ヘルガは父がどこにいるのか即座に理解した。真祖が住まう荘厳かつ巨大な城のなかには、数えきれないほどの部屋がある。ヘルガの父であり、吸血鬼の頂点に君臨する真祖サイファ・ブラド・クインシーは、最近そのなかの一室へよく入り浸っていた。


「失礼します」


ノックをして扉を開ける。部屋の主がいなくなってしばらく経つというのに、扉は何の抵抗もなくスッと開いた。こまめに手入れされている証拠だ。


広々とした部屋のなか、サイファは窓際に立ち外を眺めている。


「父上様。ご報告にあがりました」


「……うむ」


「七禍の配下を捕え拷問にかけましたが、目新しい情報は得られませんでした。ただ、七禍は依然としてアンジェリカを的にかけている、といったことを口にしています」


「アンジェリカの居所はまだ分からぬか?」


「は。ですが、大陸中に配下を放っていますので、それほど時間を置かずに見つかるのではないかと……」


「……そうか」


窓際から離れたサイファは、古びたドレッサーの前に立つと、懐かしそうに手を触れた。愛娘、アンジェリカが幼いころサイファが贈ったものだ。


「ヘルガよ。狡猾な悪魔族とその背後にいる者は、我々も想像がつかないような方法でアンジェを搦めとろうとしている可能性がある」


「というと……?」


「はっきりとしたことは分からぬよ。ただ、悪魔族の動きが今までとまったく違う。恐ろしいほど綿密に練った計略が動いている……そんな気がするのだ」


「アンジェが心配なのは私も同様です。ですが父上様、アンジェは一族最強の吸血鬼です。成長した今となっては、私たち兄ですらあの子には勝てますまい」


「ああ。アンジェが強いのは理解している。だが、それは悪魔族とて同様だ。それを理解したうえで、何かしら勝算があるのかもしれん」


ヘルガへ向き直ったサイファが鋭い視線を向ける。


「引き続き、アンジェの居場所を探せ。だが、見つけたとしてもまだ接触はするな」


「そ、それは何故……?」


「悪魔どもの行動が読めんからだ。それに、アンジェのそばに悪魔の息がかかった者がいないとも限らない。もっと情報が必要だ」


「かしこまりました……」


「アンジェの捜索と並行して七禍の居場所も探れ」


「七禍の?」


「ああ。私が直接出向いて捕獲する。奴らがアンジェに何をしようとしているのか、私自ら聞き出してやろう」


ヘルガの全身がぶるりと震える。その気になれば星の位置さえ変えると言われ、戦争すらただの退屈しのぎにしかすぎない始まりの吸血鬼、サイファが動く。不謹慎ではあるものの、ヘルガは心の奥底で七禍に同情せざるを得なかった。



――リンドル冒険者ギルドの執務室では、ギルドマスターのギブソンがパール、キラと向き合っていた。


「ええと、お二人にお願いしたいことがありまして」


パールはキラと顔を見合わせる。言葉のニュアンスからして、ただの依頼ではないように思えた。


「実はですね、アイオンの首都、ハノイ冒険者ギルドから協力要請が届いていまして」


「アイオン……デュゼンバーグの北にある国だったかしら?」


キラが小首を傾げながら記憶を辿る。


「ええ、そうです。アイオンはここ数年、幾度となく災害に見舞われていまして、大変な財政難に陥っています」


アイオンか……地理の授業でもたしか習ったよね。パールは教科書に載っていた地図を思い出す。


「で、アイオンには古くから聖域と呼ばれる場所があります。そこには、とんでもない財宝が眠っていると言い伝えがあるんですよ」


ふむふむ。


「アイオンの最高議会は、聖域の財宝を手に入れて財政難を解決したいと考えているようです」


「それはまた、何と言うか……博打打ちみたいな発想だな……」


呆れたような表情を浮かべたキラが、腕を組んでソファの背もたれへもたれかかる。


「ええ、私もそう思います。ただ、各国からの資金援助もままならず、アイオンとしては苦肉の策なのでしょう。それで、議会はハノイの冒険者ギルドへ正式に聖域の調査および財宝の入手を依頼しました」


「で、失敗したと」


「仰る通りです」


苦笑いを浮かべたギブソンが、手元の資料へと目を落とす。


「何でも、聖域には守護者と呼ばれる存在がいるのだとか。正体は分かっていません。古くから大勢が財宝目当てに聖域を攻略しようとしたようですが、生きて帰ってきた者もいないようです」


「で、私とパールちゃんにハノイの冒険者と協力して、その聖域とやらを攻略しろって?」


「はい。ハノイ冒険者ギルドのギルマスは旧友でして……無下にもできず。アイオンまでは距離がありますが、お二人なら空も飛べますし、何よりお強いですし」


眉を寄せて考え込むキラ。反対にパールはどこかワクワクしたような顔をしている。久々の遠出に心が躍っているようだ。


「まあ……私はいいけど、問題はお師匠様かな……アイオンまで行くってことは、パールちゃんはしばらく家を空けるってことでしょ? 許してくれるのかなぁ……?」


「そこは私が説得するよ!」


ソファから勢いよく立ち上がったパールが、えっへんと胸を張る。ギブソンとキラは心強いと感じた一方で、一抹の不安を拭いきれなかった。



そしてその夜。


真祖が住まう森の屋敷とその一帯に、アンジェリカの叫び声が響き渡った。屋敷の庭では、アンジェリカの叫び声にアルディアスや子どもたちがビクッと体を震わせ、魔の森に巣くう魔物も恐怖におののき屋敷の近くから逃げ去った。


「な、なな、なななな……何で? どうして? え、えええ、え? 冗談……でしょ?」


パールからしばらく家を留守にするかも、と告げられたアンジェリカは、これでもかというほど狼狽した。うろたえすぎて舌もうまくまわっていない。


「ええとね、アイオンの冒険者ギルドから協力要請が来たんだって。だから、私とキラちゃんの二人で受けることにしたの」


「い、いやいや、だって、それってしばらく家に帰ってこれないってことでしょ?」


「うーん、早く依頼を終わらせればすぐ帰ってこられるよ? まあ、三日から一週間くらいは必要かもってギルドマスターさんは言ってたけど」


「三日……一週間……」


ソファに腰かけているにもかかわらず、思わず立ちくらみを起こしそうになるアンジェリカ。よく見ると目の焦点も定まっていない。


「んもー、大丈夫だよママ。私とキラちゃんならササっと依頼片づけてくるから!」


胸の前で両拳を握りながら鼻息を荒くするパールと対照的に、アンジェリカの顔には絶望の色がありありと浮かぶ。


三日から一週間……そんなにもパールと会えないというの!? ベッドのなかでぎゅっとすることも、おでこにキスすることも、鈴のようにかわいらしい声を聞くこともできないというの!?


ギブソン……許すまじ! 八つ裂きにして魂も残らず燃やし尽くしてやろう……いや、その元凶を作ったアイオンとかいう国を地図から消して……


「ちょっとママー? 何か物騒なこと考えてるよね?」


パールに真正面からジトっとした目を向けられ、ハッと我に返るアンジェリカ。


「アイオンは今とても大変で困っているんだって。私とキラちゃんで助けられるのなら、行ってあげなきゃ!」


「で、でも……」


「大丈夫だよ! ケンちゃんも連れていくし、キラちゃんもいるんだから、危険なことは何もないよ」


ケンはともかく、キラはポンコツだし……。と失礼なことを考えていると、考えが伝わったのかキラの顔に怪訝そうな表情が浮かんだ。


「それに、もし長くなりそうなら、途中で何度か帰ってくるから。心配しないで!」


ああ。娘が母離れしてしまった……。紅茶のカップをもつアンジェリカの手が震える。というより、アンジェリカが子離れできていないだけである。


悲嘆に暮れるアンジェリカと久々の遠出で心躍らせるパール、苦笑いするしかないキラ。明日なんて来なけりゃいい! そんなアンジェリカの思いも虚しく、無情にも夜はふけていくのであった。

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[気になる点] お泊りに行く感覚でキケンなダンジョンに行くパールて、頭お花畑かな? てか、具体的に何処に何をする為に行くかを 伝え無いのは報告、相談とは言わないよね。 [一言] パールさん急にIQ下が…
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